夏実の恩返し?

 

 

王波児は倒れた。




重なるストレス。精神的疲労。その他諸々、心の重圧に耐えきれなくなった内臓(最早それは胃に止まらなかったのだ)は悲鳴を上げまた彼自身も苦しそうなうめき声を上げながら病院に運ばれたのであった。
夏実と銀次は、まるで病気の父親を慕う子供のように波児にすがりつき、わあわあ騒いだため救急隊員につまみ出されてしまった。結局付き添ったのは偶然その場に居合わせたヘヴンである。
彼女のテキパキとした態度を薄れゆく視界で認めた波児は、『ああ………これで幾ら取られるんだろ』などとまた内臓がおかしくなりそうな事を考えた。


「どうしよう銀ちゃん………」
「どうしよう夏実ちゃん………」
2人合わせて乙女チックにため息を吐いたその場に、誰か居たなら。
波児が、もう少し自分の体調に余裕をもって病院など行っていたら。
後々巻き起こる騒動は無かっただろう………




制服というのは、気持ちを引き締める。
特に仕事着はそうだと夏実は思っている。Honky Tonkで使っている黒のエプロンは何の変哲もない普通のエプロンだが、紐を結ぶと今日も一日頑張るぞ!という気分になるのだ。
「銀ちゃん、出来た?」
「うーんと」
奥のスタッフルームから出てきた銀次。
その場にある服(波児の物)を拝借した為、少々丈が長くウェストが空いたがなんとか様になっている。
黒のスラックスにシャツ。普段と違い、上までボタンを嵌めているので銀次は窮屈そうだ。
だが、そうしている銀次はいつもの2割増し格好良かった。
「わあ銀ちゃん!カッコイイ!」
「えっホント?」
夏実のたったその一言で銀次の機嫌は鰻登りに上昇する。
「えへ、夏実ちゃんも可愛いよ!」
「ありがとーv」
そのまま居れば、春の日だまりのような2人ではあるがそんな場合ではなかった。


「先ずはレギュラーから」
「はい」
波児のこだわりまくったコーヒーは、フィルターにネルを使ったり水だしの装置があったりドリップからこだわりまくったりしているので、おいといて。
夏実が習っているのはこれだけだった。
とりあえず慎重に手順を確認し、紙に書き、カップに注ぎ、出す。
「おっけー!良かった銀ちゃんいつでも喫茶店のマスターになれるよ!」
「わーい♪」
がしゃーん。
「きゃー!」
「ごめんー!」
………マスターへの道は遠そうである。




―――1日目


夏実が来る前に開店準備をしていた銀次は、困っていた。
其処に天の助けが!
「おい銀次知らねーか銀次………」
言いながら入ってきたのは、蛮だった。
「銀次?オメー何やって」
「あっ蛮ちゃん!」
涙の滲んだ目で振り向かれ、蛮は仰け反った。
オマケに相棒は見慣れない格好をして、大層可愛らしかった(蛮フィルター)。
「助けて!」
両手に道具を持ってヨタヨタと歩く銀次を支え、荷物を半分受け取った蛮は首を傾げる。
「波児はどーした」
「波児さんは………倒れちゃった」
「あらら………」
呑気にしているが、蛮は冷や汗をかいていた。
数日前『お前なー、そろそろ借金返してくれないとなー………………イロイロとな………フゥー』などと心臓に悪い事を言われたため、ギックリして思わず『金は無い!当分無理!ゴメン!』と馬鹿正直に叫んでしまったのだ。
あの後カウンターに手をついた波児がピクピクと小刻みに震えながら腹を押さえていたので、きっと何かのツボに入って爆笑しているのだろうと思ったがどうやら違ったらしい。
―――苦しんでたのか。悪かった。
珍しく反省した蛮は、せめてものオワビとばかり店を手伝う事に決めた。


「うわ、うわ、うわ」
「………なんだうっとーしーウロチョロすんな!」
蛮も銀次と同様着替えた。髪も、前を少しだけおろして後は後ろになでつけている。
カウンターで咥え煙草。波児も良くやるその仕草。
「蛮ちゃん格好いいなあ………」
しみじみと言われ、反射的に蛮は拳を繰り出した。
「イッテー!」
「ンなのは当たり前だバカヤロウ。わーったらとっとと掃除しろ」
「はーい」
命令されることになれた銀次は、さかさかと仕事を始める。
そして、蛮の頬が紅くなっていることに気付かない。
しっかりしているように見えて、蛮とてまだまだ褒められて照れる年頃なのだ。




慣れた手つきでコーヒーを煎れていく蛮に、出勤してきた夏実までも感心している。
「蛮ちゃんってね、本当に何でも出来るんだよ」
銀次が傍で自慢気にしていると、夏実はニコニコと笑って相槌をうつ。
可愛らしい2人の反応に満足した蛮はしかし、表情は引き締めて姿勢を正した。
客が入ってきたのだ。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー!」
「いらっしゃいませ!」
蛮は丁寧な物腰で、銀次は元気に、夏実は健康的に。
入ってきた客はいつもの店主が居ないので驚いたようだが、すぐに席について注文をした。
「ブレンド一つ」
「はい」
頷いて素早い手つきで品物を作り上げていく蛮に、銀次がぽけっと口を開けて見ていると足を踏まれた。
「ギャッ」
「………とっとと運べよ」
耳打ちされた言葉にガクガク頷き、銀次はトレイにカップを乗せてぎくしゃく運んだが、受け取った初老の男性が笑って『ありがとう』と言うと、途端に人懐っこく笑って「どうぞ」などとやっている。
蛮は微かに微笑む。客商売は現場で雰囲気を掴むのが一番なのだ。


そして、店の鉄則。一人入れば次々入る。
銀次も慣れないなどと言っている場合でなく、夏実と一緒に店内を回っていた。
蛮はまるでずっと前からの店主のような貫禄で次々にオーダーをこなしていく。
実に格好良かった。
学校帰りといった風情の女子高生が入ってきたときには、蛮を見てきゃあきゃあ騒いでいたし、女性客の大半はチラチラ視線をやってはあの若い方マスターの御親戚かしら、などと噂していたからだ。
それをやーっぱ蛮ちゃんはすごいよな、なんて見守っていた銀次とて「カワイーv」などと注目されていたのだが。
本人が気付かないだけである。
常連客は夏実が笑顔で配るコーヒーに相好を崩し、軽い会話を楽しみ、正に今!Honky Tonkは繁盛していた。波児が居たら感動する場面だ。


しかし其処に余計なものが現れた。


「おやおや………」
その声が店に響き渡るや否や、客足がバタバタと減っていく。
別に言動がおかしいとか(怪しくはある)、格好がおかしいとか(………黒い)の問題ではなく、只、彼がその場に居るだけで。
「怖い―――!!!!」
銀次は持っていたトレイを放り投げ、奥にすっ飛んで逃げようとしたが果たせず。
「危ないですねえ」
どうやったのか華麗にトレイを受け止めカップもキャッチ、ついでに銀次の首根っこも掴んだ赤屍。
夏実の「だれ?だれだっけ?」という視線に、蛮は「あーいいから目を合わせんなよ」というような視線を向ける。
そして赤屍に向かって丁寧に言葉を紡いだ。
「ご注文をどうぞ」
「………」
いつもなら直ぐに喧嘩腰の態度に移行する筈の蛮のその態度。
流石の赤屍も驚いて数秒目を見開いていたが、にっこりと笑って(怖い!)席へ着いた。
無論、腕の中の銀次はぴゃっと走り去って夏実の後ろに隠れる。
「怖いのです―――怖いのです―――ブルブルブル」
「銀ちゃん、大丈夫、多分」
多分かい。
「そうですよ銀次クン。私は君に会いに来たのですからね」
怪訝な顔をしながらおずおずと出てきた銀次に、赤屍は満足そうに頷いた。
「素晴らしい。来て本当に良かった」
「あの………何が?」
銀次が?マークいっぱいの顔で問う。
「大した御評判ですよ?新しい店員がそれはもう、美しい………と」
「うつくしい?」
思いっきり、首を傾げた銀次は言った。
「うつくしいのは蛮ちゃんですよ」
美しい=カッコイイの図式。銀次は美辞麗句の意味を繋げて考えてしまうらしい。
「変な事言うな!」
他の人間ならともかく、銀次に直球で褒められた蛮は真っ赤になって叫んだ。
「あっ、蛮さん照れてるー」
「違うやめろー!」
「ほんとだよ?蛮ちゃんカッコイイよ!」
「だからやめろっつーのにー!!」
じゃれ合う、仲の良さげ2人の様子をニコニコと眺めていた赤屍はマイペースな人間だった。
「紅茶をお願いします」


「紅茶………」
「紅茶………?」
「紅茶………!」


自分の言った一言が、なにやら重い沈黙をもたらしてしまった。
赤屍が視線を上げると、銀次が今にも泣き出しそうな壮絶に可愛らしい(赤屍フィルター)顔で言った。
「ごめんなさい赤屍さん………紅茶………出来ないですー!うわーんっ」
「………ふう」
「すみません………」
蛮も夏実も首を横に振る。そう、唯一蛮のカバー出来ないメニューがこれだ。


何事も凝り性な波児は、紅茶もパックではなく、自ら吟味した茶葉を使っていた。
それは適当に煎れても美味しくないので、どうしたら良いかと頭を悩ませていたところである。
道具は揃っているのだが。


「銀次クン、泣かないでください」
えぐえぐと無意識に泣き落としていた銀次は、赤屍の優しい(ような気がする)声に顔を上げる。
「失礼」
立ち上がった赤屍は帽子を置くと、手を洗って湯を沸かし始めた。
茶葉の缶を取り出し、『いい品ですね………これはこれは』などと感想を呟きながら丁寧に正確に量を量る。
「ゴールデン・ルール、というものがありまして」
胴部が丸いティーポットを満足そうに見やり、頷いて。
「この形のティーポット。汲みたての沸騰したお湯を使うこと。茶葉の量は正確に。時間を計って蒸らします。物にもよりますが………この葉だと大体3分弱といったところでしょうか」
慣れた手つきで紅茶を扱うドクター・ジャッカル。
蛮は「うわー、変なモン見ちまったー」という顔をしているが、夏実と銀次は純粋に感動していた。


「どうぞ、飲んでみてください」
「いただきます」
「いただきますー」
「………いただきます」
コク、と口に含み、飲み込んだ銀次は次の瞬間顔を輝かせて笑った。
「うわあ、美味しいっ!」
夏実も蛮も、パックとはまるで違うその芳香と味に衝撃が走った。
「すごい美味しいですーv」
「う、うま………い」
紅茶を存分に褒められ、いつもとは明らかに違う上機嫌のにっこりで赤屍は笑った。
其処に、爆弾が投下された。


「スゴイ、スゴイです!あの、是非お願いしたいことが」
夏実ちゃんそれは―――!という銀次のストップも間に合わなかった。
「マスターが復活するまで、店を手伝って頂けませんか?」
キラキラした目でお願いした夏実。彼女はまったく怖い物知らずだった。
「こんな美味しい紅茶、マスターも敵いませんよ!ね!」
今や夏実は燃えていた。

Q:普段お世話になっているマスターが倒れ、自分は何が出来るだろうか。
A:今まで通り美味しいものをお客さんに提供して、マスターが帰る日まで店を廃れさせない事ですー!!

「別に構いませんが」
「やったー♪」
飛び上がってガッツポーズを作る夏実とは裏腹に、蛮はその場にすっ転んだ。
銀次などカリカリと椅子を囓り出す。




「夏実ちゃん………なんてことを」

 


 

「「「「いらっしゃいませ」」」」
4重奏だった。




―――2日目


店に入ってきたのは病院から様子を伝えに来たヘヴンである。
その視線は夏実から銀次に移動し、次いで蛮に移り、最終的に赤屍に止まった。
「キャ―――――――――!!!」
気持ちは分かる。


黒のエプロンに、髪を後ろで束ねた赤屍はとりあえず普通の男に………
見えなかった。気配そのものが怪しすぎるのである。
まあ容姿には文句のつけようがないので、一応サマにはなっている。
「銀次クンが結んでくれたんですよv」
「えと………邪魔そうだったから」
いつもの黒コート、帽子を脱いだ格好のせいか。はたまた美味しい紅茶のせいか。
銀次の怯えは著しく減少していた。赤屍も心得えていて、やたら殺気を出したりしない。
蛮はすっかり波児のいつも居る定位置に収まり数百年も前から経営者のような顔で道具を扱い、夏実もすっかり馴染んでいる。
店員が倍になって少々(?)物騒になっても、店自体は順調だった。


「お、美味しいわ………!」
初めこそ遠巻きにカップを見つめ、その辺の棒きれでつついていたヘヴンも一口紅茶を啜ると直ぐに顔つきが変わった。
ついでに銀次の切ったらしい、カタチが愉快な前衛芸術になっているサンドイッチをぱくり、と食べ親指を立てる。
「美味しいわよ銀ちゃん」
「ヘヴンさんに褒められた!わーいっv」


喜ぶ銀次を眩しげな視線で見つめる赤屍はさて置いて、店にはどんどん客が入ってくる。
どうやら昨日今日で評判になったらしく、女性客が圧倒的に多い。
皆それぞれかわいい、だのかっこいい、だのステキー、と囁きながらそれぞれ視線を巡らせ、出された品をゆっくり堪能している。
(うーん………ちょっと見、新手のホスト喫茶みたいね………)
ヘヴンは忙しく働いている4人を見ながらそんな感想を抱いた。
入院している波児も、今頃自分の店がこんなことになっているなどと想像もしていないだろう。
まあ繁盛していればそれに越したことはない。
客もヘヴンも、穏やかな一時を過ごしていた。そんな時。


「つッ…」
事件は起こった。
飾り付けの果物をむいていた銀次が、誤ってナイフで指を切ってしまったらしい。
ほんのちょっとの傷ではあるが、途端両脇を固めていた男2人が即座に反応する。
「おい」
「銀次クン」
ば、と振り向いた蛮と赤屍。
彼等の視線はちびっとだけ滲んでいる血に釘付けである。




奥の席でコーヒーとケーキのセットを食べていた奥様は、店のマスターはきっとサングラスをかけた年若い方ねと思っている。
何より手つきも慣れてるし、指示を出しているのだから。
髪を縛った長身の方も素敵なんだけど………と、途中から違う思考に行くのは致し方ないとして。
そして、彼女の考えによるとたった今可愛らしい悲鳴を上げた可愛い男の子(どうやら名前は銀次君らしい)の店員さんを手当するのはマスターの役割である。


<以下奥様の妄想>


「気をつけろよ」
「ごめんなさい…」
幼い感じのする青年が俯く。
マスターは彼の手を掴み、流れる水にその指を浸した。
「ああ………結構深く切れてるな。ちょっと、頼む」
「はい」
女の子に後を任せた2人は、奥のドアに消えていった。


薄暗い部屋の中、救急箱をだした相手に銀次はおずおずと指を預けた。
「たいした事、無いから」
「知ってるよ」
無言で消毒し、絆創膏を貼り付けたマスターは優しい眼差しで青年の頭を撫でた。
「気をつけろ。な?」
「マスター………」
がばっ。
まるで昼メロのように2人は抱き合う。
「マスターっ………俺っ………」
「分かってる、銀次」
思いの丈をぶつけるように激しく抱き合い、やがてどちらかともなく口付ける。
「もう少し、待ってくれ。全部片付いたら一緒に暮らそう」
「まだ………?あと何ヶ月我慢すればいい?」
「裁判で全部片付くまでだ。俺にはお前とこの店があればそれでいい」
「うん…」
「あんな欲得ずくの女、はなっから好きでも何でも無かったんだからな」
「俺のこと、好き………?」
「当たり前だろ?お前以外何もいらねえよ………」
「んんっ…!」
「銀次………」
「あっ、駄目だよぉ………こ、こんなところ………お客さんだって居るんだしっ」
「銀次………俺が嫌いか?」
「好きだけどっ……でも」
「俺もだ…」
「ああっ!あ、はあっ………んっ………!」




入り口近い席で友人と共に談笑しつつパフェを食べていた女子高生は、店のマスターはきっと髪を後ろで結わえた背の高い男の人だーと思っている。
はっきりした年齢は分からないが、落ち着いた、ちょっとミステリアスな雰囲気がある。
サングラスをかけてるお兄さんも格好いいけど、やっぱちょっと若すぎるし。
そして、彼女の考えによるとたった今可憐な悲鳴を上げた天然系の(どうやら名前は銀次君らしい)店員さんを手当するのはマスターの役割である。


<以下女子高生の妄想>


「銀次クン、大丈夫ですか?」
「すみませんマスター、汚れちゃ……あわわっ。ごめんなさいっ」
慌てて走り出そうとした手を掴み、マスターは上品に微笑した。
「それは構いませんから。さ、手当しましょう」
エスコートするように丁寧な仕草で扱われ、微かに銀次は頬を染める。
2人は奥のドアに消えていった。


「ちょっとしみますからね」
「あう………」
目をぎゅ、と瞑って我慢する姿は子供のように幼い。
「はい終わりましたよ」
くるりと巻かれた絆創膏を見つめ、涙の滲んだ目をウルウルさせていた銀次は無意識に其処を噛む。
「銀次クン」
「う………」
なんとなく、気になるのだ。仕方がない。
「仕方のない子ですね」
柔らかく笑んだマスターは、そっと銀次を引き寄せて抱きしめた。
「早く治るよう、おまじないしましょうか」
「マスター………」
寄り添う2人。最早、周囲の空気はバラ色。
見つめ合うその距離が少しずつ縮まり、やがて無くなった。
「は………んっ、し…ごと………」
「まだ駄目ですよ。途中ですからね」
そっと触れ合った唇が頬に移り、額に移る。
「もう痛くないもん」
「おやそうですか?」
「俺知ってるよ。それ、せくはらって言うんだもん」
「………何処でそういう言葉を覚えてくるんです」
「お、大人の男のひととするのはおかしいって………」
「でも銀次クンはこうされるのが好きなんですよね」
「うーっ…」
「クスクス………」




「ぶごふっ!」
「げほがっ!」
店の端と端で同時に吹き出し、噎せまくった客2人。
レディコミもかくやという定番の台詞オンパレードの思考と砂丘が出現するほど砂の吐ける激甘い思考は場所と状況を選ばない。
妄想は暴走するものであり、乙女は幾つであってもホモが好きだ。鉄則である。


しかし現実はそんなドリーミン♪な展開ではない。
血を見た途端やおら興奮してきたドクター・ジャッカルは『手当なら私が』と言うなり手からメス鉗子針ピンセットノコギリありとあらゆる手術器具を即座に出し、欲望にギラついた目で銀次に迫った。
「ギャー!」
銀次は銀次で隣にいる最も信頼の置ける相棒にすがりつき、助けて蛮ちゃーん!とやらかす。
「コラやめろ赤屍!危ねェ!銀次、落ち着け」
狭いカウンター内で刃物を振り回す赤屍を抑え、まとわりつく銀次を宥め、蛮は大変苦労していた。
「ふっふっふ」
「いやですー!手術いやー!」
「なんで指の傷で切開の準備万端なんだよジャッカル!!銀次も黙れ!」
夏実はいつもの光景なので慣れているが、お客様はそうではない。
彼女達は一気に『ああ………そういう人達なんだ。そっか』というような失望と諦めと興味を持ってその光景を見守ったのである。




波児が数日の入院を終え、店に帰ってきたとき。
夏実が一人皿を拭いていた光景に、彼はほっとした。
良かった。何も異常な事は無い………
「夏実ちゃん、御苦労様」
「あっマスター!」
振り向いた夏実はぶわ、と涙を溢れさせると波児に駆け寄る。
「大丈夫ですかマスター?!っていうか、大変なんですー!!」


ガタン、と音がして自分の服を着た銀次が奥から飛び出し、波児はサングラスの下の目を見開いた。
「助けてー!」
「銀次!」
続いて出てきたのは蛮だ。此方も波児の服を着て髪も降ろしている。
珍しいな………ってか何事?と見ていると、極めつけ。
「待ってください銀次クンvvv」
赤屍が店のエプロンを着用して出てきたので波児はその場にヘナヘナと座り込んだ。
「どうなってるんだ………」
呆然と見ている前を、3人はドタバタと駆けていき外に出た。
残るは夏実と波児。暫くポカンと扉を見つめ、深いため息を吐いてヨロヨロと立ち上がる。
「蛮と銀次はともかく………なんで赤屍が此処にいるの」
「店のお手伝いを頼んだんですけど………」
「?!」
絶句した波児に、夏実は説明を続ける。自分なりの。
「色々あって、大成功して、でも大失敗だったんです。はあ」
「???」
首を傾げた波児はとりあえず、とっちらかった店の掃除に取りかかった。




(やっぱ、此処が一番落ち着くな………)
病院では眠りも浅く、店が心配でゆっくり休めもしなかった。
モップを使いながらしみじみと小さな幸せを噛み締めていた波児は、翌日の騒動を予想だにしなかったに違いない。


店に来る女性客皆が皆、
「あらマスターはいらっしゃいませんの?」
などとのたまい、挙げ句ひっきりなしに
「あれ?あの三角関係のホモは?」
と遠慮も無しストレートに聞かれる事になる………などと。