カルボナーラとオレンジムース

 



「大変不本意ながら、これだけはハッキリ言わせて下さい」
「………お、おう」
ある天気の良い土曜日の午後。
一は某一等地にある高級マンションの一室でお茶を飲んでいた。
勿論、一がこんな所に住んでいる訳ではなく………
此処に住んでいる知り合いが少々強引な手で彼を御招待したからだった。




その日、いつものように朝から授業を寝倒した一は、幼馴染の美雪にどつかれながらもフラフラ(断じてラブラブではない)下校していた。
「一ちゃんたら、ホントーに不真面目なんだからっ」
「あはは、だってつまんないんだもん」
確かに日本の教育体制には多々問題があるとしても、一のように授業時間はスリーピングタイム、テストは万年赤点、加えて数々の悪行を考えると美雪には同調出来ないらしい。当然だろう。
「あ〜〜〜今日は何してあそぼっかな♪」
能天気にそんなことを言う一に溜め息をつきつつ、美雪は目線を正面に戻す。
「………あ!」
その時彼女の視界に入ったのは、高級車の代名詞メルセデス・ベンツ。
学校脇に開いたスペースに停められているそのドアに、一人の長身の男が寄りかかっている。
「明智さんっvvv」
思わずハートマークが3つ程ついた美雪の視線を辿り、一が仰々しい悲鳴を吐いた。
「げげっ!イヤミけーしじゃんか…」
「明智さ〜〜〜ん♪」
手を振ってアピールする幼馴染に「バカッ余計な事すんな!」と噛み付く少年。
その光景に気付いて明智が軽く頷く。
「きゃあv」
美雪だけでなく下校中の他の女生徒までもが黄色い歓声。そう、イヤミでエリート意識のカタマリで性悪な警視殿は見目が大変に麗しいのである。
180の身長に日本人にしては色素の薄い髪と目の色。端正で整いまくった顔立ち。
ブランドスーツに身を包み、この世からありとあらゆる恩恵を受け取ったであろう才能を目の当たりにしたら………女という女(そして一部の男性)にとって、猫にマタタビ、またはカツオブシ。
ひそひそひそ。
好奇の視線。
慣れているのか、そんな中平然と立っている明智を見て一は頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「何もそんな堂々と目立たなくとも………これだから天然キラキラ男は」
「こんにちは七瀬君。―――それから、聞こえてますよ金田一君。」
地獄耳の明智にとって、一の少々大きすぎる呟きを聞き取るのは造作も無い事だ。
「今日はどうなさったんですか?」
小首を傾げながら訪ねる美雪に対し、涼やかな笑みを浮かべつつ明智は応えた。
「ええ、金田一君に用がありまして」
まあ。
美雪の瞳が好奇心で輝く。
「事件ですか?」
今までの事件で結構危ない目に会っているにも関わらずメゲずに一に付き添い、好奇心旺盛な彼女に明智は苦笑した。
「いいえ。私個人の用件ですよ」
「ええっ?!」
明智は頭の良い人間だが、今の言葉は思慮に欠けていた。
警視庁きってのエリート警視が、一ちゃんに個人的用件〜〜〜〜???
美雪の2つの目はますます輝いている。
「なんだなんだ、また推理合戦でもする気かァ?」
いかにもやる気なさげな一の言葉に、明智の眉がピクリと動く。
「―――それはまた別の機会に。さ、どうぞ」
「は?」
「乗ってください金田一君」
明智が指し示したのはベンツの助手席である。
疑問に思いつつ一が席に納まると、次に後部座席のドアを開け、促す。
「七瀬さんもどうぞ。途中までお送りしましょう」
「ありがとうございますv」
語尾にきっちりハートマークがついている。一は盛大な溜め息をついた。
「ったく、何でこうなる………」



そんなこんなで美雪を家の前で下ろした後、当然のように車は一の家とは違う方向に走り出した。
「あれ?俺ン家じゃないの」
「それは追々」
意味不明の返答に首を捻りつつ、一は窓の外を眺めた。どうやら明智のマンションに向かっているようである。
以前行った事がある其処は某有名高級住宅地の中でも一等地で、一部屋億の値がつくのではと思う程豪華な建造物だった。しかも、眺めバッチリ最上階。
エントランスは広々としていて。住居の方は部屋が沢山あって。リビング広くて風呂は大理石…と、笑っちゃうほど高級マンション。
見覚えのある景色に、見覚えのある建物。どうやら到着したようだ。
(あ〜、腹減った………)
地下にある駐車場に車を停めると、明智は車から降りた。
続いて一がドアに手をかける。が、先にドアの前に来た明智が開ける。
「どーも…」
「いいえ」
丁寧なエスコート。常に無い態度に一の頭は「?」でいっぱいであった。オカシイ。何かが違う。
エレベーターに乗る時も同様、実に手馴れたスマートな仕草で一をリードする。ちらりと見た明智の表情は限りなく無に近く、感情を読み取る事は難しい。
(なんなんだよぉ…)
考えてみればこうしてサシというのは滅多に無い。いつも誰か―――剣持警部か美雪など―――が居合わせているため、こうして2人の空間というのは思いの他不慣れだ。
ピー、という電子音でドアのロックが解除される。
開けられたドアの向こうに、広い玄関。
(相変わらず持ち主と同じでイヤミな部屋だぜ)
考えてみればむちゃくちゃな事を言っているのだが。一はそのままドタバタと上がる。
「お邪魔しま〜ッス」
「………」
傍らでそれを見守る明智の表情が、ほんの僅か歪んだ。
だが一がそれに気付く事は無く、その顔もすぐに元の無表情に戻る。
「リビングでくつろいで居て下さい。昼食の支度をしますから」
「はあ………」
昼飯?しかもどうやら手作り。わざわざ俺を招待して???
一は益々首を傾げる。いつもならすぐに用件を切り出す明智が一体何の用件なのか、手ずからランチをご馳走してくれるらしい。用件はその後、という事だ。
だだっぴろいリビング。大きなソファーに身を横たえた一はいい匂いが漂ってきた台所にフラフラと引き寄せられた。
「うわうまそ〜〜〜っ」
「当然です」
自信満々な態度はいつもの事。だが、頷いてしまうほど見事な手際だった。
包丁はリズミカルに材料を刻み、ズラリと並んだ本格調味料が味を期待させる。
献立はどうやらスパゲティー・カルボナーラのようだ。
「どうやら君が余り我慢できそうにないのでね。これならすぐに出来る」
パスタ用の深鍋で丁度良く茹であがったスパゲティーを手馴れた手つきですくい上げ、フライパンのソースの中に落とす。質の良い生クリームと新鮮な卵を使ったたまらなく美味しそうな一品。
「アンタ本当に何でも出来るんだな………」
感心しきって素直な言葉を漏らした一に気取った一礼をして、料理を皿に盛り付ける。
「さ、席に着いて」
「は―――い」
にこにこにこ、とご機嫌で一はフォークを取ると、
「いっただっきま―――ッス!!」
部屋に響き渡るような大声。そして、一口。
「んま〜〜〜いっ♪」
「………」
明智は幸せイッパイの表情の一をじいぃぃっと見詰める。しかも、無表情のまま。
「な、何?」
それに気付いた一が聞き返しても、
「おかまいなく」
の一言でかわす。だが、怖い。
(食べてる最中にそんな見られると、困るなあ)
「食べないの?」
「………」
沈黙は変わらない。
(なんなんだ???)
だが、日常はあまり物事を深く考えない性質なので気にせず、一は食事を再開する。
明智は一が皿を半分程食い終わったところでやっと
「いただきます」
とフォークを持った。
「…?」
当然ながら一が先に食い終わり、フライパンに残っていた分までおかわりをして食事が終わった。
「ご馳走様でした」
両手を合わせ、丁寧に御礼を述べる。どんな嫌な奴でも美味しい物を食べさせてくれる以上、礼儀をつくす一であった。
「お茶を持っていきますから」
皿を片付け終わった明智がやかんを火にかける。満腹になって満足した一は早々にリビングに退散し、ぼんやりしていた。
(用って………なんだろう。メシじゃないよな。美味かったけど)
まさか料理対決もすまい。
全然見当のつかない「用件」。もうすぐ明智がきりだすだろうとは思っても、気になる。
(ん〜〜〜?これ以上事件に関わるな、とか?でも、そんなの言うためにこんな手間かけないだろうし。それとも………)
其処に、香りの良い紅茶とデザートのオレンジムースの乗ったトレイを持った明智が登場した。
「お待たせしました」
「待ちました〜っあ!!」
食べ物に目が無い一は目敏くムースを捉え、離さない。
両手を頬の横で握り合わせ、喜色満面で迎える一の隣に明智が座る。
「ほれへ?よーへんってはひ?」
「食べながら話すものではありません、行儀の悪い」
「んが」
忠告を聞き入れ、3秒ほどで全てを口に収めた一がもう一度問う。
「それで?よーけんってなに?」
紅茶を一口飲み、一は明智の言葉を待った。
「………」
またまた沈黙。
「なんだか知らねーけど、ちゃっちゃと言っちゃったほうが良くない?あ、お説教は勘弁ね」
「………………」
いつまで経っても口を開かない明智を目の前にして、一は掌をひらひら翳す。
「ホレ、ホレ」
「金田一君」
やっと、喋った。
幾分か緊張しながら、一は次の言葉を待つ。



「大変不本意ながら、これだけはハッキリ言わせて下さい」
「………お、おう」
かなり真剣な様子の明智に、さっきまでちゃかしていた雰囲気も引っ込んでしまう。
緊張隠しに一は、頷きつつ紅茶のカップを口に当て一口飲む。
「好きです」
ぶ――――――――――――。
薫り高いアールグレイが一の口から放物線を描いて吹き飛んだ。
「ゲホゴホゲフゴフン!!」
盛大に咳き込む一。
幸いその殆どが前に置かれたテーブルの上に落ちた為、拭けば済む被害である。
爆弾発言の当人である明智は軽く眉を顰め、一言。
「………汚い」
「誰のせいだと思ってんだああああああ!!!」
思わず立ち上がって絶叫した一の肩に手を置き、ほぼ力ずくで座らせた明智は顔をぐいと接近させる。
「私だって困っているのです、本来なら在り得ない事なのですから!」
強い調子で続けられ、しかも目と鼻の先にある表情が余りにも迫力に満ちていたために素直にカクカクと頷いてしまう。
「私が!この、私がですよ!?ちょっとぐらい事件を解いたからって調子に乗っているたかが高校生なんかに!!推理力意外は全て並以下精神年齢は3才児にも劣る君に!!!この限りない間抜け面、人に対する礼儀も知らず生意気の代名詞みたいな人類史上最悪最低の存在」
「………まてい」
そこまで言うか、普通。
あんまりな言われようにジト目で睨む一。
「フッ、我ながら的確な表現だ」
「なんだと――――!」
「おや違うんですか」
憤慨しながらも、一は思考がぐるぐると回っていた。
(好きですって…この場合は熱い男同士の友情の確認………じゃない事は確かだ。ひょっとするとひょっとして、それって)
「な、なあ明智さん」
「はい」
「………何で?」
「分かりません」
………………………。
「俺、帰るわ………はは、面白い冗談だったな―――。メシも美味かったし、ご馳走さんありがとうございましたさようなら」
「待ちなさい」
立ち上がろうとした一を再度押さえつけ、遂には額を突き合わせて明智は続ける。
「話はまだ終わっていません」
「いや、終わらせとこうぜ」
冷や汗をダラダラ流しながら、一は後ずさった。
「これは冗談でも伊達でも酔狂でも無いのです。真に残念ながら」
沈痛な面持ち。
痛々しい表情に、一は少し同情を誘われる。
理由は何であれこんなに悩んでいる人間を放っておくわけにもいくまい。メシも美味かったし。
「大体なんだってそんな結論に達しんたんだ?何かの間違いだろ」
「私だってよくよく考えた末の結論だ」
「………明智さんってソッチの人だったの?」
ごん。鈍い音がした。
「殴りますよ金田一君」
「もう殴ってまひゅ………」
じんわりと滲む視界。手加減なしで殴られたらしい。
「私は同性愛者でもなければバイセクシュアルでもありません。彼もしくは彼女等に対し偏見はありませんが、この28年間ずっと異性以外に興味を持った事は無い」
「ほへー」
「ところが君は例外のようだ」
「へ、俺?」
「そう、不本意ながらね!私が他人に対して抱く感情はある程度決まっている。一見複雑そうに見えるが対人関係という物には法則性があり、様々な感情や印象が重なり合って一人の人物に対する評価が決まる。順序良く慎重にそれを見極め、個々に取り分けていけば最後に残る最も強い物が私の………有り体に言えば気持ちだ。その結果」
「それちょっと違わないか?」
「私は君が好きらしい」
「絶対違う」
思いっきり首を横に振り、一は力説する。
「明智さんは考えすぎだよ。俺みたいに純真な子供に戻って、直感で判断してみれば」
「君が純真かどうかはともかく、そんな考えならとうに試しました」
「うんうん」
「同じ結果になります」
「………」
一は脱力し、テーブルに沈んだ。
理詰めでこの明智に勝とうというのがそもそもの間違いかもしれない。が、今の所この状況を回避するためのいい案は浮かんでこない。
「そして最も顕著な例はこれです」
「んあ?」
明智の手が下を向いていた一の顔に添えられ、ぐいっと向き直らせる。
「ふぐ!」
一のまんまるい目が更に見開かれた。
「んん――――――――――――ッ!!」
重ねられた唇。俗に言うキスというやつである。
または口付け、ベーゼ、etc…etc………
「ああ、やはり」
「ぐわ――――――――――――ッ!!!」
冷静な様子の明智と違い、喉を掻き毟って悶絶する一。毒でも喰らったのか。
「今ハッキリ証明されましたね、私は君とこういう事がしたいんです。嫌避や友情ではこんな欲求は存在しませんから」
「し、死ぬううぅぅぅッ」
「失礼な」
あくまでその結論から動こうとしない明智。それどころか更に続ける。
「困った事に以前は心底見苦しいと思っていた君のアホ面も、今の私には可愛らしく見えてしまうのですよ。やれやれ」
「こっちの台詞だあああ!!」
ひしひしと伝わってくる明智の本気。一はパニック寸前だった。
(まさかこの人、警視庁のエリートのくせしてヤクでもやってんじゃねーよな)
不信感いっぱいの一の視線にも、一向に堪えない。睨み返してくる明智。
「ほら、こんな風に君を見詰めても苦痛を感じません。逆に何時間でも過ごせそうだ」
(み、見詰めてたのか………。睨んでたんじゃなかったのな)
そうだったのか。
今日の明智の行動を照らし合わせてみると、頷ける部分が多い。
いつものように一をぞんざいに扱ったりせず、丁寧にエスコートし、食事でもてなす。
(女だったらそれプラス顔と金でアッサリ落ちるってか)
だが生憎、一は男である。
しかも、至ってノーマルな思考。
「悪いけど、俺そんな気無いし………」
愛想笑いをしつつお断りモードに入った一を、明智が遮る。
「許しません」
おいおい。許すとか許さないとかいう問題じゃないだろうが。
呆れた一はぽかんと口をあけ、
「でもさ」
と返したのだが。
「君には私をこんなふうにした責任を取って貰う。いいね」
「うえええええ??!!」
『いいね?』ではない。断定形命令口調の『いいね』である。
しかもあの表情の余り出ない顔で、妙な迫力を纏って言う。怖い。怖いけども…
ふるふると一は静かに首を横に振った。
「………」
明らかに不機嫌になった明智は、強制的に一の首を掴むと思いっきり頷かせる。
「これでよし」
「よくないいいぃぃぃぃ………」
恐れ慄く一の体を引き寄せると、腕の中に抱え込む。欠片も遠慮の無い仕草。
「なあなあ、やっぱもう少し考え直そうよ―――!」
「違うと思うんだよな」
「頼むから離してくれ―――」
明智は散々胸の中で喚く一を満足そうに抱きしめて、微笑む。
何処か薄ら寒いそれを、一が見ることは出来なかった。