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元々、湿っぽい空気が嫌いだ。ぐだぐだとどうにもならないことを悔やんでジメジメとキノコを生やしている暇があれば、とっとと仕事でも任務でもこなせと思っている。感傷的な人間は特殊部隊には向かない。
なので「夫を亡くして傷心の妻およびお父さんを亡くして傷心の子供達の家を訪問」という今の状況も嫌だし、最終的に下された任務も不服でいっぱいだった。否、不服というよりはふざけんじゃねーぞコンチクショーという感じである。むしろアホかてめえぶっ殺すぞ!である。
感想通り一応上官であるスカルを正味3分程睨み付けたが、何の趣味なのか常にヘルメットを被っている上官殿はまるで意に介さず、無情にも任務を言い渡した。正直思った。今までくらった中では間違いなく最低最悪の任務だ。

ザンザスはあからさまに不機嫌な面もちで玄関のチャイムを押した。今見ただけでも植え込みがボーボー過ぎて視界を遮っているし、放置してある子供用自転車がトラップかと思うほど道路のど真ん中に置いてある。家の配置、窓の向きは悪くない(どころかほぼ満点!)が、飾られたピンクのフリフリカーテンは正気の沙汰とは思えない。
「どちらさま?」
玄関のドアが開いた。中から顔を見せているのが「夫を亡くして傷心の妻」。今回のターゲットではないが、腕に抱いている赤ん坊は残念ながら管轄内だった。
「ツナです。軍の人?ああ、良かった。待ってたんです」
大抵の人間はザンザスを一目見るなり半歩は下がるものだが、この人物はそれどころでないようだった。赤ん坊がきゃっきゃと笑って手を叩き、奥では子供の声がしている。玄関マットが二つ折りになっているのは儀式ではなく悪戯の結果だろう。
母親というのは些末に構っていられるほど暇ではない。

台所に案内されたザンザスは少々戸惑いながらやっと、お悔やみの言葉を口にした。誰あろう彼がこの家の主人を看取った―――張本人だったのだ。
「何かまだ実感が湧かなくて」
やつれているのは子育てのせいばかりではない未亡人は、赤ん坊を椅子に下ろしてコーヒーを手渡してくれた。とっとと任務を終わらせたかったが、実地調査でその任務の成功か否かが決まると言っても過言ではない。今は黙って話を聞くことにする。
「あの人が死んだ、なんて」
部下の訃報を家族に知らせに行く時もそうだが、大抵の者は思い出にしがみつき現状を理解しようとしない。
どんなに願っても祈っても、帰ってこない者は来ないのだ。
「オレが見た時、旦那はもう船上には居なかった。下は鮫がウヨウヨいた」
「はあ」
「脱出は不可能だった」
「そうなんですけどねえ」
未亡人は悲しんで居るとも違う、なんとも微妙な顔をした。
「日常がM:iみたいな人だったもので」
ザンザスの頭の中であの「デッデッ、デッデ デッデッ、デッデ チャリラー…」と特徴のあるテーマソングが鳴り響いたが、此処の旦那は確か学者だった筈である。
特殊機関のエージェントだった、などとは聞いていない。
珍妙な顔をしているザンザスに、未亡人は弱々しく笑いかけ、窓辺を指さした。
「その金具、掃除の時邪魔なんだけどって言ったら、家族を守るためだって」
狙撃ライフルを扱う際に必要な台のスナイパーズカスタムだって………と追憶の笑顔を浮かべられ、ザンザスは返答に窮した。
どんな旦那だったのか見当も付かない。
「とにかく」
ので、感傷をぶった切り、先へ進むことを心がけた。
「オレの任務はクソガ―――お子さんを守る事だ。任務は完璧にこなす」
「よろしくお願いします」

子供達の母親は、今は亡き旦那の所有する仕事上の機密を回収に、スイスへ出かけていくこととなる。
付き添いは上官のスカルだった。
こっちの方が楽な任務なのは一目瞭然だ。例え一万の兵に囲まれても、ガキに囲まれるよりはマシ。
不満は数あれど、出発の時間が来てはどうしようもない。大急ぎで紹介された子供達とザンザスはまだ互いを観察、牽制しあっていたが、母親を送り出す時だけは子供達も大人しく、愁傷だ。

「早く帰ってきてくださいね」
長女がさかしげに微笑んでいる。

「グズグズしてたら承知しないよ」
長男がぶっすりと言い放つ。

「寂しいよ、ママ………」
次女が目をウルウルさせて見上げる。

「ウェ〜ン!」
もう既に泣いている頭の爆発した次男。つられて赤ん坊も泣くかと思いきや………ケロリとしている。一番物わかりが良さそうな顔をしているが、何故か耳がないのが気になる。

「それじゃ言ってくるから、留守番頼んだよ。子供達の事よろしくハル、ザンザスさん」
「任せてください!」
ベビーシッターの女性がザンザスが頷くより早く近所中に響き渡る大声で返事をし、軍人顔負けの敬礼をした。