* * *

 

失敗した………
滅多にないことだがザンザスは後悔していた。理由は簡単、唯一の頼みの綱であるベビーシッターがいないのである。完全、まったくに。
女というのは偉大な生き物で、赤ん坊にげろを吐きかけられても子供に悪戯されても「あららー」とか「もーっ、だめでしょランボちゃんっ」で済ませられる。非常に我慢強い種族だが、例によって何を考えているのかさっぱりわからない。
最初こそ怖がってワンワン泣いていた次男が時が経つ事に慣れてきて、今ではすっかりザンザスの巨体に大はしゃぎしてよじ登り、人間アスレチックをしているだとか、あの耳のない赤ん坊がたくましいザンザスの二の腕に安らぎを見いだし、抱き上げた途端スヤスヤと眠りこける芸当を覚えてから、ハルの自信は喪失一方だったらしい。
「うう………私このままではツナさんに顔向けできません………」
ちょっくら修行の旅行って来ます!
唖然とするザンザスの前でタクシーに乗り行ってしまった。どうせ修行をするならここでやれ、とか顔向け出来ないのは仕事放棄した方だろ?!とか。
色々思ったザンザスが、状況に気付いたのは赤ん坊のおむつ替えの時間になってからだ。

自分しかいない。
勿論、任務である。やるからには完璧にやる。分かっている。
が、人間向き不向きというものがある。

ザンザスは壮絶にフラストレーションがたまっていった………
おかげで彼は学校に着くなり、呼び出しされ、長男の素行について教師が注意をした途端ぶっち切れて拳を振るってしまった。
一般人は壁を突き破って芝生の上を10メートルも吹っ飛び、ピクピクと断末魔の痙攣を起こした。
赤ん坊を抱きながら子供達の監視をし、昼飯を食い。
まわりから忌諱と恐怖の目で見られながらも任務をこなす。地獄だ。
しかも長男の陰湿な嫌がらせにより(長男はただ気にくわないものを全力で外し、下水に捨てただけなのだが)頭の天辺から爪先まで汚物まみれになってしまったザンザスは、無言の威圧感でクソガキどもを鎮圧した後浴室で3回は全身を洗いまくった。
そうしている間にも赤ん坊が気にかかり、腰にタオルだけ巻いた格好で台所へ出てくれば―――

「随分セクシーな格好してるけど、はっきり言っておっさんの裸なんて目の毒だよ」
次女のフゥ太が友達を大勢引きつれて面妖な格好をしていた。
「なんだお前等は」
「おっさん、忘れたの?今日はガールスカウトの集まりで、クッキーを売るんだ」
小さな女の子たちにじろじろと裸を眺め回されてもザンザスは気にしないが、おっさん呼ばわりは気になった。
「おっさんじゃねえ。オレはまだ割と若いぞ!」
「お兄さーん。グラスが空よーう」
ジュースを飲んでいたらしいグラスを態とらしく振る。
どうせテレビドラマの影響だろうが、ろくな事ではない。ザンザスは激しく恐ろしい顔をしてみせた。
「ふわ〜ぁ………」
しかし次女の反応は極めて薄い。
どうもこのマイペース、人生を舐めきっているように思える。
性根を叩き直してやろうと手を伸ばすと、その手が素早く動いて巻いていたバスタオルを引っ張った。

「「「キャ―――ッッッ!!!」」」

女の子達が甲高い声を上げ、顔を手で覆う。
自分が今如何に情けない格好をしているかに気付いたザンザスは、静かにバスタオルを直し、着替えるために隣室へ向かったのだった。
「あっはっは、あっはっはっはっは………」
まるで悪の帝王のような笑い声をバックに。

「で、クッキーです」
「うるせえええええ!!!!」
ハンドルを握りながらザンザスが吠える。
「どのツラ下げてそれを言えるか!テメエ脳みそわいてんじゃねーか?!!?」
「何が不満なんだろう。立派だって褒めてあげたじゃない」
「いらねえよ!」
脳の血管が切れそうだ。
そろそろ血の臭いを嗅ぎたくなっている。
しかし助手席で次女は妙に余裕な表情でガールスカウトの可愛らしい制服をいじっている。
確かにこの家の子供達は容姿に恵まれ、世間で言う天使の如き美貌を誇っているが、別にロリコンではないザンザスにそれは悪魔のように腐ったやつらに見えた。
「そこのショッピングセンターだよ。ほら、僕たちがボランティアと称して暴利を貪っている間に奴隷はさっさと買い物でも何でもしてきたらいいよ」
「………これは任務だ。任務………」
ブルブルと震えるザンザスを後目に、子供達はきゃいきゃいとクッキーの販売を始めた。
なんかもう………全てに逆らう気も起きず、ザンザスは赤ん坊を抱いたまま素直に買い物する事にし、ああでもないこうでもないっつかめんどくせえー!と次々品物をカゴに放り込み………
出てきたときにはなんだかものすごいことになっていた。

「ここは俺達の縄張りだぜ!」
生意気盛りのボーイスカウトが数人、女の子達のクッキーを踏みにじった。
途端リーダー格である我が家の黒きドラ娘、フゥ太が笑顔のままボーイスカウトの頭をその辺でリサイクルカートに入っていたビール瓶で殴りつけた。
「………」
ゴトッと嫌な音を立てて倒れた一人を、その前で笑顔のまま「フフ………さあ次は誰の番だい?」とじりじり迫るフゥ太を、見た残りの子供達はまるで蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「意外とやるな………」
それを見てザンザスは、ああやはりあの長女と兄弟だと実感した。笑い方の黒さがそっくりだ。
倒れていた子供は脳しんとうをおこしているだけで、特に異常もなかったので放置した。





脈絡のない暴力に共通性を見いだした二人は、案外仲良くなってしまった。
「攻撃こそ最大の防御」
「やられる前にやれ」
「発見次第射殺せよ」
等人生の教訓にしている言葉を、相手もまたモットーにしていると知っては、語り合わないわけに行かない。
「ほら、ボクはいたいけなチャイルドだからさ」
ベビーシッターの口癖を得意そうに言う。
「外からの危機に対しては、常に万全の体勢でいたいんだ。攻め手の一歩だよ」
「なかなか良いことを言いやがる」
「これはパパの教えさ………」
「………」
はにかんだ笑みで照れる次女を前に、ザンザスはとうとう堪えきれなかった。
「オメーの親父はどういう奴なのかさっぱりわからねえ」
「写真、見る?」
椅子から降りてタタタッと走っていく。
ザンザスは赤ん坊の様子を見、辺りを手早く片付けてから(また一歩主婦に近づいている)ジュースを用意して待っていた。
「ほら、これがパパ」
「ああ………確かに」
アルバムをごっそり持ってきて、得意そうに言う。
確かにそこに映っている男は命令書に貼り付けられていたものと同じだ。

「大学だね。パパとママが出会ったのも大学時代だって」
「ほー」
ザンザスはあのやつれ、憔悴した"ママ"しか知らなかったが―――
アルバムの中の写真も大体そんな感じだった。
この家の旦那に無理矢理口を笑みのカタチにつねりあげられていたり、羽交い締めされていながらも、弱々しく笑っている。
「パパはねえ、天才なんだよ!こうしてると学生みたいだけど、ママと同い年でもう既に教授だったんだもん」
「ほー」
「パパとママの出会いは耳にタコが出来るほど聞かされてる。大学創立以来、空前絶後のバカが手違いで入学して、入った者は今更追い出すわけにはいかないだろーって事になって、スーパーエリート教授のパパがマンツーマンで個人レッスンをする事になったんだってー」
「ほー…」
「パパはママのあまりの駄目さ加減に逆に燃えた、って言ってたよ。まわりにいないタイプだったって」
「………」
「大学のパーティーで、並み居る才女を押しのけてパパがママに誘いをかけたら、ママは向かいの通りまで全力疾走で逃げたって!」
フゥ太の脳裏には「こいつ照れ屋だからな」と言い放つ雄々しい父親の姿と、台所に立ちながら「マジ全力で逃げたのに逃げ切れなかった………うう」と涙を零す母親の仲睦まじい姿が浮かんでいた。
「しかも何度誘ってもデートしても照れちゃって逃げてしょうがないから、もう押し倒してキセイジジツ作るしかねえーって思ったらしいよ?」
「ぶほっ」
「勿論パパだから、実行したけどね!卒業前に骸姉さんを妊娠したママと、作戦大成功のパパは学生結婚したんだ。執念の勝利だね!パパは大学だろうがママのアパートだろうが果てはデート先のトイレでまで頑張って種付けをしたんだよ!」
純真無垢な外見から次々出てくる過激発言にザンザスは完全に沈黙した。
子供達を見れば分かるが、この家の全てのトンチキの元凶は父親だろう。完全に頭がイカれている。正になんとかとバカは紙一重………
「ママは、卒業してからは完全に専業主婦さ。何しろそこから途切れなくヒバリ兄さん、ボク、ランボ、イーピン………」
「もういいから、黙れ。ガキが言っていい事と違うぞそれは」
「なんで?真実だもの。だってパパが帰ってくると凄いんだよ!毎晩二階が揺れるんだ」
「………」
「ママが息も絶え絶えに『勘弁してくれー!あ、明日は弁当を……』とか『なんでそんな元気なんだいい年だろお前も?!』とか言うのが聞こえてきてねえ。僕らはああこうやってこの世に生を受けたんだなあと感動を」
ある意味究極の性教育かもしれない。
ザンザスはもう静止する気力も沸かず、黙ってひじをついた。
「でもさ、流石のボクもそれなりのお年頃だから。骸姉さんもヒバリ兄さんも」
困るんだよねーっと笑うフゥ太の笑顔は天使のようだ………
「考えてみてよ。ベッドに入ったら、隣室から夜な夜な『あ………ああ、もう勘弁して………』とか『やっ、せめて着けてっ………じゃないとまたデキちゃうっ……』だの『もう寝かせてぇぇっ…』なんて聞こえるんだからもうこれは困った事態になるっつーの!」
「………」
バシバシと腕を叩かれながらザンザスは黙りこくった。

………うっかりあの奥さんの、ちょっとか細い声で想像してしまった。

「だから骸姉さん、変態に育っちゃったんだよねー」
自分を完全に棚に上げ、次女はケラケラ笑いながらクッキーを頬張った。さっきまで自分が売っていたやつよりワンランク上のものだ。