* * *

 

パスワードが無ければ開かないと言われてツナは俯いた。
酷い。
結局最後まで嫌がらせかよと泣きたくなってしまう。家ではあの子供達が縦横無尽に暴れ回り、あの大尉さんの手を煩わせているだろう。ベビーシッターのハルは親切な良い友人だが、時々行きすぎるのが困りもので、何より、
「なんだってこんなややっこしい………!」
隣でぷりぷり怒っている軍の偉い人が気になるっていうか、いたたまれない。

思いつく限りを言ってみた。
しかし徐々に言葉がプライベートな―――極々プライベートな範囲しか思い浮かばなくなってくるとこれは、どうしても口に出すのは憚られる。

そもそもあいつは昔からこういう奴だった、人が困る顔を見て喜ぶようなサド野郎チクショーと内心罵倒し放題のツナの心はやさぐれ始めていた。
「………こうしていても埒があかない。一度ホテルに帰って休みましょう」
口調だけは丁寧だが、何か含むところたっぷりな(嫌味が透けて見える)ヘルメットにツナは力無く頷いた。





「まあ、先輩らしいと言えばらしいんですけど」
不機嫌そうに言い放つヘルメットに、ツナはコーヒーのカップを持ったままきょとんとした。
「主人のお知り合いで?」
「ええ、まあ。同じ大学の先輩と後輩でしたから」
「はあ………」
じゃあ頭いいんだ、そりゃそうか軍の偉い人だもんな。
ツナはふんふんと頷いて、視線をテーブルの下に落とす。

大学………
散々な思い出ばかりの学生生活でも、とりわけ酷いのが大学だ。
あの恐ろしいパーティーの夜を、ツナは一生忘れないだろう。あそこで人生を踏み外したのだから。
(や、でも踏み外したとは違う?当初の予定通りではあるけどもこう、何か違うっていうか)
当時、ツナは手違いで入ってしまった大学で特別に着けられた教師にいびられていた。割と新しくに作られた学校だったので、名物に有名所を入れたらしいのだが、有名かつ優秀すぎて周りの教授陣から嫌な嫉妬心を持たれややこしい雑用まで請け負う羽目になった、
らしいのだが。
「こんな問題も分からないとは。お前の脳みそは微生物クラスか?」
「うう………」
半泣きになりながら毎日ビシバシスパルタで扱かれていた、あの地獄の日々。

校内は今年卒業の生徒が主催するパーティーの話題で大盛り上がりだった。と言っても、ツナは興味はない………というか避けて通りたい類の話だったし、人気のある教授から特別授業を受けているせいで距離を置かれている。
ところがその日、最後の問題をようよう解き終わったツナが顔を上げると、容姿とセンスには定評のある若教授がじいっと顔を見ていたので嫌な予感に襲われた。
「な、なんですか!おおおおわりましたもう!帰ります!!」
「そう怯えるな」
じりじりと近づいてくるのでじりじりと下がったツナは、「ありがとうございましたっ」と挨拶をして教室を早足で飛び出した。
「待て」
「すみませんっすみませんっ」
バタバタと他の生徒を避けて小走りのツナと、大股で歩くだけでそれに追いついてしまう教授との追いかけっこは結局校内を出、庭に差し掛かってようやく止まった。
「待てと言ってるだろうが」
「フゲッ」
首根っこを掴まれて藻掻くツナをひょいと噴水のふちに放り出し、座らせてから教授はおもむろにきりだした。
「明日の夜だが」
「ヒッ」
「俺も付き合いで出なきゃならん。お前、着いてこい」
「嫌だ!」

即答だった。

なにィ?と顔つきを改めた教授を見ず、ツナは再び立ち上がった。
「お、お断り、します!」
「あー………俺の、聞き間違いか?今」
「失礼しますー!」
立った後に即、去年のミスカレが座っていたので安心して帰る事が出来る。
先生………面倒くさがらずとも候補者が居るじゃないですか。ちゃんと美人だし!

なにしろパーティーなんて冗談じゃない!
ツナのパーティー嫌いには由来がある。ミドルスクールから続く歴史がある。
まだ幼かったツナの近所には同じ年、同じ日系のヤマモトタケシという男の子が住んでいた。彼は野球が得意で、リトルリーグからじゃんじゃんチームを優勝に導いてきた運動センス抜群の男の子だった。
当然、学校でも女の子達に絶大な人気があったが、よりによって初めてのパーティーにタケシは幼馴染みのツナを誘ってしまったのだ。
これが大事件だった。
まだパーティーのなんたるかも知らない、ただ「よくわかんねーけど食い物があるらしい」という端的なタケシの説明に釣られたツナが会場へ着くと、早速女の子達からつるし上げられた。
タケシが助けてくれたが、その後学校で苛められた。
しかも次のパーティーでは違う人を誘ってよ、と言ったのに、タケシはそれぐらいなら行かないとツナと一緒に出席を断るようになった為、二人が付き合っているという噂が流れた。
更に苛められた。

この時点でかなりのトラウマをツナのハートに刻んだ「パーティー」………

続く不幸はハイスクールだ。運動系の学校に州を越えて入学したタケシの脅威は去ったが(彼自身は本当に気持ちのいい奴だったのに!)、ツナがたまたま選んだ技術科のレポート作成で、たまたま一緒になった学校の名物男ゴクデラハヤトに目をつけられてしまった。
学校でも指折りの不良と名高い彼に、ツナは心底怯えるあまり目があっただけで逃げ出す措置を執ったが男というのは逃げられれば逃げられただけ燃える人種であるらしい。
最初は「お、おい………」だったのが、「なんで一々逃げるんだテメーは!」になり、そのうち「よ………良かったら俺と一緒に………」になるまでそう時間はかからなかった。
半ば脅されるカタチで出かけたが、始終ビクビクと震えていたツナはハヤトが先輩の女子に囲まれているその隙を見計らって逃走を図り、バレてキレたハヤトに無理矢理唇を押しつけられたが、ファーストキスは5歳の時ままごとでタケシに渡していたのでツナは全力でハヤトの右頬を殴り飛ばし家までタクシーで帰った。

もう、どこでもいい………!
平穏を求めて遠くの大学へ、奇跡的な入学を果たした。
その果てに、どうしてこんな厄介事が待っているのかと絶望的な気分でとぼとぼ歩いていたツナは、後ろからズゴゴゴゴと迫っていた教授の影に気付かなかった。
「てめ………俺の誘いを断ろうとは良い度胸じゃねーか………」
「ギャ―――!!!」

結局意味の分からない怒りに晒されて意味の分からない場所へ連れ出され、パーティーの最中も連れて行かれる子牛のように切なく哀しくメソメソしていたツナは、その帰り教授の車の中で襲われた。
行為が実行されるにあたって激しく異を唱えたが、聞き入れられなかった。
挙げ句何が不満だなどとと言われたので、呆れて涙も出てこなかった。
「俺はお買い得だ」
「自分で言わないでくださいよ!生々しいなもう!」
「学歴よし地位よしルックスよし高収入だし」
「あーハイハイ………でもね、こちとら理想はフツーの一般家庭ですよ」

小さいながらも一軒家、週末にはキャンプ、一男一女。

「旦那の頭が最近ヤバい話で近所の奥さんと盛り上がるのが最終目標なんです!!」
「お前の頭がおかしいんじゃないのか?」
「あんたに言われたくありません失礼な!さ、どけっ………」
「ふん」
「教授は派手すぎるし目立つから嫌です!大人しく世間の片隅で地味に生きていたいんですー!」
「………」

顎に指をあて、しばらく思案したような顔をして教授は言った。

「一軒家、買おうぜ。キャンプだろーがサバイバルだろーが任せておけ。一男一女は控えめ過ぎだろう、この地上に生きる者の義務として生きている限り産み続けろまずは第一歩」
「ギャ―――!!!!!!!」





「一男一女どころか三男二女だし………」
怒濤のように押し流された人生の旅の果てに、ツナは投げやりに呟いた。
「はい、よろしいですよ!」
パン、と手を叩き満面の笑みで銀行マンが立ち上がった。
「………え?」
「ですから、『三男二女』。正解です。もっとも次のお子さんが産まれたらその分パスを更新すると仰っていましたが」
「まだ産ませる気だったのかよ………!」