カタストロフ
熱は一向に引かなかった。身体全体がざわついて、苦しい。
戦場でどんなに酷く負傷しても、動けないという事はなかった。それが今は横になっている事しかできない。
水を飲むと少しマシだった。
だが困ったことに、真水のストックはかなり少なくなっている。
この不調は異常だが、前に経験した事があるような気がした。
軍は兵士に様々な人体改造を施す。過酷な環境に身体が慣れる為に様々なワクチンや抵抗力を高めるパッチを当て、経過を見ながら追加していく。
これには合う合わないがあり、どんなに優秀な人間でも合わなければ活躍出来る現場は限定される。
コロネロの丈夫で柔軟な身体は大部分の変化を飲み込んで、それ故に極地に放り込まれ、戦闘を重ねて暮らしてきた。
その暮らしぶりに後悔はない。
熱い体を抱えて横になっていると、思い出すのは激しい戦闘の場面ばかりだった。懐かしさと愛着すら沸いて、苦しいのに笑ってしまう。死と隣り合わせの戦闘。痛み。不謹慎でくだらない遊び。
三日目に、なんとか起き上がる事が出来た。
相変わらず体温は高いが、フラつきながらもなんとか足を動かせる程度にはなっている。
取り置いた食料を口に運び、回復に努める。しかし缶詰は味気なく、以前の記憶とは比べものにならない程不味かった。
なんとか吐き出さずに胃に収め、三日ぶりに外へ出る。
陽の光が眩しい。陽光がジリジリと肌を焼く。
心地よく感じていた筈の風は、乾きすぎて不快だった。
町は前よりずっと人が少なくなっていた。
ようやく顔見知りを見つけて話しかけると、相手は奇妙な目つきで此方を見る。
「あんた、まさか熱病にかかってるんじゃないだろうね?」
「…なんだ、それ」
わんわんと頭の中で響く声に、コロネロは怖れを感じ取っていた。
相手は嫌悪の表情を露わにしつつ、通りの向こうを指差す。
「少し前から流行り始めたのさ。熱が出て、動けなくなる。モノも食べられなくなって水しか飲まない」
心当たりはある。しかしわざわざ言うヘマはしない。
目線で続きを促すと、ぼろぼろと良く喋った。
「薬をやってる連中に多いがな、土地の者も何人かかかっているよ」
「死んだ奴は居るのか?」
「まだだ。時間の問題だろう、皆一週間も経てば虫の息だからな……中には元気になった奴もいるらしい。けど、姿を見ないから同じことさ…」
音が邪魔だった。不快だった。
腕を振って別れを告げ、近くの建物に駆け込んだ。
(水が欲しい)
息が出来ない錯覚に陥り、蛇口や甕を求めて部屋を彷徨う。
途中住人らしき女とぶつかったが、謝る間も無く逃げられた。
病気か、オレは。
(…違う)
熱にうかされた思考の片隅で、未だ冷静な自分が言う。
(よく思い出せ。覚えのある感覚だ…)
新しいパッチを当てて、それが身体を造りかえていく時の拒絶反応。
高い熱と機能不全に悩まされ、脱落していく仲間の兵士。水をくれ、舌が、喉が痛む。悲痛な訴え。
奥の部屋は鍵がかかっていた。
力任せに蹴飛ばすと、蝶番が外れ錆びたねじ釘が飛んだ。
無理矢理こじ開けた先に、汚れたシーツでくるまれた人影。幾人も重なって眠る光景。
口元に浮かぶ微笑みは、苦しんでいるものとは思えない程穏やかで、優しい。
浮かんだ答えが、たった一つのものに思えた。
コロネロは黙って元来た道を戻った。
真水を手に入れる事は出来なかったが、もうすぐ必要なくなる。多分そんなに重要なものではないのだ。
コテージに戻ると、馴染んだ寝台の上ではなく床に横たわる。
半身を水に着け、深く息を吸う。楽だ。ずっと楽になった。
もっと深く入っていこうとした時、地面の揺れが身体を外に押し出した。
音が遠い。
水に沈む身体の上で、建物がバラバラに崩れていく。激しく波立つ水面が不思議な模様を作り出す。赤い光が、ひときわ強い。
「はっ…」
水面に顔を出し、大きく息を吸った。
辺りは視線を定められないほど大きく揺れていて、逃れる為にまた水に潜る。
しばらくそうしていると、今度は徐々に水が引いていった。
信じられないほど深い場所まで砂が晒され、残された魚たちがパクパクと口を開けている。取り残されたのだ――そう、自分と同じように。
『此処にいたら危ないよ』
振り向くと、あの男が立っていた。
かろうじて身体を覆っているシャツが、酷く見窄らしく見える。
『貴方は適応したようで、良かった。一番最後になってしまったから』
「――津波が、来る」
『そう。島のものは全部流される。此処も例外じゃない…身を隠すところをみつけよう』
ぴたぴたと濡れた砂の上を、小走りに駆けていく。
町で見た時より、砂浜に居たあの夜より、自分を強い力で抑え付けていた時よりも、活発に、生き生きとして見える。
『あの洞がいい。掴まっていれば直ぐ水が満ちる』
「オレは…」
『大丈夫、だと思うよ』
笑った顔は存外幼く、落ち着かない気持ちになった。
手を引かれるままに、暗い洞の中へ身を潜める。潮の満ち引きで現れたり沈んだりする観光名所だったが、今は人影がない。
『さあ此処が良い』
男は進んでウロに座り、腕を伸ばしてコロネロを抱え込んだ。
小柄な体躯を巧みに使い、しっかりと捕まえてしまうと、目を閉じてじっと音を探る。
水の音。
他の音は一切排除した圧倒的な水が、強大な質量を伴って戻ってくる。
瞬く間に狭い入り口から海水が飛び込んできて、広いと思っていた空間を埋めてしまう。
水が来る。
『息、して』
「無理だ。オレには出来ない」
口に塩辛い水が満ちてくる。鼻からも耳からも全部埋まる。
苦しさに胸元掻き毟った手を、男の小さな手が止めた。
『口開けて』
唇が触れ、ボコボコと沸く泡が口の中に入ってくる。
夢中で吸うと、一気に呼吸が楽になった。
泡が尽きてもそれは同じだった。海水の冷たさだけが気になるが、直違和感も失せるだろう。
島から流れ出した物の残骸が、波間に漂っていた。
板きれで遊ぶもの、興奮気味に泳ぎ回るもの、話し声――辺りは騒がしかった。見知った顔も見える。刺青の男が、此方に気付いて笑顔で手を振った。
不安がコロネロの心をチクリと刺す。此処に居る者は、そして自分は、新しい世界に相応しい住人なのだろうか。
(身体は馴染んでも、オレ達は決して善良な連中じゃない)
腕に抱えていた身体が身じろぎ、するりと抜け出した。
淡いブルーの鱗が腹で光る。無様な自分の泳ぎと比べ、なんと巧みなことか。
男は微笑んで言った。
『心配要らない。海はとても広い』
2009.8.1 up
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