10.14

 

「今日、誕生日なのね」
 振り向きざまに言われて一瞬答えに詰まる。横でフッと陰った後輩の機嫌とか。
「はあ、まあ。覚えててくれたんですね」
 いつでも笑顔を絶やさず、堅実な仕事ぶりで所長の信頼も厚い女性を相手に、余計なこといいやがってと返すわけにもいかない。そもそも彼女は好意で言ってくれたのだろうし。
「おめでたい日に仕事なんて可哀想だわ。午後からでもお休み取れるかどうか、署長にお願いしてみる?」
「いえ……別に予定もないですし」
「あら寂しいわねえ」
 向かいのビルの窓に陽光が反射して眩しい。
 ショートヘアは見事なシルバーグレイに染まっている。
 光に照らされた彼女の姿は、五十代後半という実年齢を見事に裏切っている。毎日十キロのランニングを欠かさないとか、食事はオーガニックフードにこだわっているとか…
 これが他の人間ならそういう人種かと皮肉な気分になったりもするが、これだけの人物だと納得してしまうから不思議だ。しかも、どんな末端の署員にも気遣いを欠かさないスーパーレディときた。非の打ち所がない。
「お気遣いに感謝します」
「また事件?」
 誕生日だろうが身内の葬式だろうが事件は起きる。特に綱吉は初動捜査にこだわるタイプなので、出来るだけ現場に駆けつけるようにしている。鑑識とも通じているし、内緒話をする事も多い。
「働き過ぎだわ。たまには休養も必要よ」
 日本人は全員ワーカホリックだと思っているフシがある。適当に切り上げますと言って、這々の体で逃げ出した。いい人なのだが……どうも苦手だ。
 その上車に乗り込むと無言の重圧が圧してくる。タイミング悪い。
「…別に祝われる歳でもないのにな」
 ギアをトップに入れ替え、とりわけ明るく言ってみる。
 運転を取り上げられただけで微妙に怒っているのに。更に機嫌を取る? 駄目だ。こういうタイプは会話でどうこう出来るモンじゃない。
「……」
 無言で車を出す。沈黙がいたたまれないが慣れない程ではない。
 程なく綱吉の意識は運転に集中し、早くもなく遅くもなく無事通りの車の流れに乗った。事件現場は郊外近い住宅地の、ゴミ捨て場だった。
 清掃車がゴミを回収時、袋の底から染み出している赤いどろりとした液体に気付いて通報。あとはお定まりの騒ぎ。
 通報後、彼らが電話したのは警察だけではなかった。
 新聞社、テレビ、雑誌記者まで呼んで大騒ぎになっているらしい。とりあえず一帯を封鎖し、清掃員を事情聴取の名目で抑える所までは指示した。
 既に鑑識にも連絡が行っている、綱吉も急行するつもりだったのだが、緊張感はさきほどのやりとりで中途半端に途切れてしまった。
「手足だけ出てくるってパターンかな。頭部があったとは聞いてないが」
「……」
「入れ墨とか傷とか特徴があれば身元の判明も早いんだけど。犯罪記録があれば指紋で引っかかってくれるか。場所がなぁ…」
 どちらかというと裕福な住民が多い、高級住宅地だ。
 その分ゴミ捨てのルールは最低で、清掃員は出来るだけ遅い時間に回るようにしている。でなければ時間をずらして放置されたゴミが異臭を放ち、通報やクレームが清掃局に届き、二度手間になるからだ。
 発見が朝よりやや遅い時刻なのはそういう事情があるわけだ。
 そしてマスコミの集まり具合も早かった。
「面倒にならなきゃいいが」

 終始無言でむっつりしている後輩に、白々しいほど脳天気に話しかける。
 綱吉は誕生日一つでそんなに機嫌を悪くする気持ちが全然分からなかった。
(お前も似たようなもんじゃないか)
 幼い頃ならともかく、今は誕生日など気にしたこともない。
 相手がいれば、普段より少しだけいいものを食うとか。そんなくらいのもので。

 現場が見渡せる通りに来ると、既に規制が始まっていた。
 まだ若い、制服姿の警官に止められる。知った顔だ。
 身分証を見せるとすぐにロープが外され、中へ入れられた。
 軽く手を振って車を入れると、背後でざわつきが大きくなる。粘り強く交渉している連中には悪いが、現場は見せ物じゃない。
「やたら多いな…」
「すぐにもっとこの倍は来ますよ。この所目立つ事件が無かったでしょう」
 勿論、この都市にも殺人や犯罪があふれている。
 もう、視聴者はケチな強盗や行きずりの犯罪では満足できないのかもしれない。もっとドラマチックで、想像力を掻き立てられるような、思いっきり不謹慎な話題を切望しているのだと。
「…ふん」
 綱吉にしては皮肉っぽい笑い方に、相手は怯んだようだった。
 普段温厚で通ってるだけあって、そのギャップに驚かされる者は少なくない。綱吉の中身はどちらかというと皮肉屋で、世をすねている。
(…っと)
 すぐにそれを消して笑みを浮かべる。
 あからさまにホッとした表情に内心ため息を吐きながら、後はヨロシクと言って奥へ向かう。警官がぞろぞろと、前を横切った。
 入り込もうとする不届きな部外者を摘み出す為だ。



 見るものは特になく、あとは鑑識の結果待ちという状況で、二人は車を止めた場所へと戻った。
 あの警官が予告した通り、先程よりマスコミの数が大分増えている。
 面倒な事になる前にと車へ乗り込もうとした矢先、ひときわ目立つ大声で名を呼ばれた。
「沢田ちゃーん! おーいっ」
「…!」
 綱吉を名字で呼ぶ人間は少ない。中でも一番騒がしい部類が、ロープの外からピョンピョン跳ねている。
「沢田ちゃんっ、オレ! オレ!」
「あー…」
 知らぬ顔ではない…立場もある。仕方ない。
 怪訝な顔をする後輩を残し、綱吉は古馴染みに手を振った。
 列が割れ、今この状況ではあまり見たくなかった顔が満面の笑みで表れる。
「どうしてこんな所に?」
「あれ、やだな来たこと無かったっけ。そこせかんどはうす」
 セカンドハウス。
「三も四も五もあるだろう」
「いや〜びっくりだよね。オレん家の近くで大事件が」
「ロンシャン」
 元クラスメイトで、家は桁外れの金持ち。本人は……事業家だ。
 今は確か局を買収して名物社長をやっている。社長自らプロデュースする子供番組が大人気だった。
「ロンシャンTVとしては報道にも力を入れたい所なんだけど」
「入れないし、漏らさないからね」
「沢田ちゃんのケチ〜〜〜…そういえば、さ」
 ちょん、と尖らせた口が学生の頃と変わらない。
 思わず笑いを誘われて、綱吉が顔を綻ばせた時だった。
 周囲を囲む人混みの間からぬっと腕が出てきて、綱吉の襟首をひっ掴んだ。
「…遅ぇ」
「ぐっ…」
「行くぞ」
 ずるずると連れて行かれる。いつもはうるさいぐらい質問やら、マイクやら向けられるのが、まったく誰も手を出してこないのが逆に笑える。
 こういう点では俺よりお前のが向いてんのかな、と思わないでもない。
 引きずられる綱吉に向けて、元クラスメイトが大声を上げて手を振った。
「沢田ちゃん、誕生日おめでとさーんっ! 後でお祝い届けるねえー!」





(なんだこの空気は…)
 行き同様社内に漂う沈黙に、さすがの綱吉もなんともいえない気分になる。
 おまけに相棒がポンコツ車を急発進させた為、辺りの人間を二、三人轢きそうになる始末。
(なんで…)
 ピーンと張り詰めた糸。今にも切れそうな。
 これから署に戻って、まだまだ仕事があるというのに。こんな――…
「メシ時には切り上げろ」
「うぇっ…そんな…訳には」
「……」
「分かったよ…」
 無言でギロリと睨み付けられ、渋々頷く。
 それに――
 たぶん、これは、ものすごく遠回しだが…夕食を誘ってくれているのではあるまいか。
「メシ奢ってくれんの?」
「……」
 だんまりだが、違うとも言われなかったのでそうなのだろう。
 笑い出したい気持ちを抑えてそっと横を向く。
 らしくない、かわいい気遣いもあったもんだと、綱吉は一瞬微笑ましく思ったのだが。



「お届け物ですよ」
 署に戻るなり、机の上に見覚えのある白い箱と何かわっさり赤いものがあった。
 周囲の人間が口々に「お、今日誕生日だったのかおめでとう」「ツナヨシ、いくつになったんだ?」と気軽に声をかけてくれるが、視線は箱に釘付けだ。添えられた花束は真っ赤な薔薇。鼻先に届く強い香り。
(俺の…記憶が正しければこれは…)
 数日前、後輩が受け取ったものと同じ箱だ。
 どうしたらいいか分からず固まっている綱吉の手元から、箱の蓋だけが取り払われた。
 いつの間にかやってきた女性署員が「そうそう、そういえば貴方も誕生日近かったのよねえ」と頷きながら笑顔で言う。あら、差出人の名前が…とも。
「Rって誰?」

 誰って。

 豪華なタルト、上に盛られた新鮮なフルーツ。
 人の好みもばっちり覚えてくださっていたらしい。
 でも、何も、今でなくても。
 ここでなくても。



「誰だそいつ」
「えーと…」
 後ろから矢のように突き刺さる視線を感じつつ、綱吉はどうこの場を収めようかと脳みそをフル回転させる。どうしたら。…どうしろと!


2007.10.14 up


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