死点
自室に招いた雲雀がいつまで経っても口を開かず、立ちつくしたままなので困り果てた。
何か機嫌を損ねるような事をしたかというと、それは全て思い当たる。気分屋の彼は些細なことで臍を曲げ、理不尽な怒りの拳を哀れな者へ打ち下ろすからだ。
たっぷり10分はそのままで、流石に気の長い………最もある者に言わせれば怠け者なだけの自分も、いたたまれずタイを掴み、むしるように外す。ぐしゃぐしゃと髪を掻き回してあくびをし、ちろりと視線を上げれば憮然とした表情が此方を向いていた。
「ねえ」
「は、はい?」
「いつもあんなもん?」
「あんなもん………ですかね。どうだろ」
曖昧に笑うと、雲雀は底冷えのするような視線を向けた。思わず背筋が冷える。
これは怒っている時の彼。
「………どうして」
苛ついたような口調と、振り上げられた手。平手が頬を打ち、翻ってもう片方も打つ。
勿論痛い。
「なんで、君、」
彼の手が頭を掴んでずるずると浴室へ引きずっていく。空のバスタブへ頭から突っ込まれ、打った頬がじわりと痛む。
「汚い」
蛇口から勢い良く水が出てきて足を濡らす。慌てて立ち上がろうとするが、抑えられ出られない。冷たい。水はどんどん増えていく。
シャワーも降り注いで辺り一面水浸し。スーツがシャツが下着までもずぶ濡れのまま途方に暮れて雲雀を見上げれば、血の気の引いた頬が白い。ゆっくりとその顔が近くなる。
「冷たいんですけど………」
唇は見た目に反して熱く、這い回る舌が冷えた肌に心地よい。何が彼のスイッチを入れたのか、分かっていて分かりたくなかった。理解を拒否した。幾ら何でもこれは理不尽過ぎた。
「雲雀さん」
「黙れ」
水の中に叩き付けられて藻掻く。水が気管に流れ込み、暴れる四肢を掴んで引き上げ、雲雀は激しく感情を露わにした口調で言った。
「気安く呼ぶんじゃないよ。君なんか」
「殺してやる」
文字通り殺されるかと身構えた体を水から半分だけ上げて、死にたくないから必死に体を支える手は冷たくて感覚がない。乱暴に貫かれた後ろからはきっと血が流れ出している。
バスタブの淵を掴んだまま耐えるために額を擦りつける。下着をも引きずり下ろされたなまっちろい足が震えて、崩れかけてぴしゃりと叩かれる。腿を伝っていく赤い血液。腹を刺されて血を流すなんて女みたいだ。痛い痛いとみっともなく泣き出している喉も、弱々しい声も。
殺してやる。
再度また。
後ろから耳に舌を這わせ耳朶を噛み、吐息で囁く声がする。
不思議なことに一切の欲を感じさせないその言葉は、まるで宣告のように脳へ染み込んでいく。
まるでサイレン。誘うように闇が迫ってくる。体が熱いようで冷たい。息が出来ない。
目を覚ましたとき、雲雀の姿は無かった。
代わりに心配そうに覗き込んでいる獄寺が、くしゃりと顔を歪め目を覆った。ひとすじ流れる涙が何を表しているのか、束の間迷う。
「ごく、でら、くん…」
「しっ」
何も言わないでと震える声が言う。済まない。申し訳ない気持ちで謝る。
「言わないでください」
「あっ……ウ…」
感覚が戻ってくるにつれ、全身を痛みが襲う。温かさに包まれている感覚は浴槽に、水の代わりに湯を入れてくれた獄寺の機転によるものだった。服は浴室の隅に絞られ、固まっている。型くずれが酷くてきっともう着られない………
雲雀さんはと聞きかけて口を閉じる。代わりに裸の腕をゆっくりさすって、あたたかいとだけ呟いた。
彼はとても綺麗に笑っている。
十分に温まったと判断した獄寺はとても慎重に持ち上げ、タオルに包んで拭いてくれた。
まるで壊れ物を扱うような態度だと考え、そう遠くない今の自分に気付いて嘲笑う。これでは。こんなのは。
「薬です。口を開けて」
微笑んだ彼は半開きの口に冷たい自分のそれを押し当て、喉に水と何か苦いものを流し込んだ。大丈夫、何も心配は要りません。静かにしていれば直ぐに治りますきっと。
額に触れる唇と瞼に触れる唇と唇に。柔らかなキス。優しい彼。抱いてくれる腕が強すぎて窒息寸前。
不自然な程急に訪れる眠気。逆らわず暗闇に沈む。寸前、気付いた。
彼は嬉しい。だから、優しい。
2006.3.21 up
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