Duca
ぐら、ぐらと体が揺れている。
(ア……タマ、痛え…)
一定のリズムで揺れるごとに、痛みが増していくような気がした。
目を開けたのに何も見えない。
辺りが暗闇に沈んでいるせいだ。外だった。風と匂いで分かる、冬の森の匂い。
ぎゅっぎゅと落ち葉を踏みつける足音――これは。
(俺、の、じゃ、ない)
意識した瞬間はっきりと、その色が目に入った。
深みのある金。
雲の隙間から僅かに零れる月光を反射する。
普段こんな華美な色を目にする機会は少ない。
あの絵と同じだ。
咄嗟に逃げようとして、バランスを崩した。
「う…ぁっ…!」
「んー?」
のんびりした声が聞こえる。
綱吉は件の人物に背負われて、丁度城から続く坂を下りきる所だった。
「え…?」
「起きたのか」
声の調子が想像より若い。
振り向いて笑う、表情の屈託の無さ。
今は夜で、それも人気のない山で得体の知れない男と二人。
恐怖を感じてしかるべき状況なのに、綱吉は反射的に笑顔を返していた。
口が勝手に言葉を紡ぐ。どうも。あ、すみません。
「俺…降ります」
「いいって別に」
絵の中に居る筈の人物。
澄ましたあの表情よりもずっと印象は若く、快活な態度。生身?
(そりゃ、生きて動いてるんだから決まって……あ)
「ああっ!」
そもそもの目的を忘れてきてしまった。
焦る綱吉に、男は手元の物をぶらぶらと揺らして見せた。
目当ての絵は無造作にぶら下がっている。
「あ、あの、この絵…」
「ああ。こいつに用があったんだろう?」
「ええ…まあ…」
「ほい」
唐突に綱吉は地面に下ろされた。
気付けばあの険しい、岩だらけの坂道を過ぎて車の場所まで戻っている。
冷たい車体に寄りかかりながら、綱吉は寄越されたものを受け取った。
絵は初めて見た時よりも、その魅力を減じているような気がする。
ちらりと顔を上げると、ニコニコと邪気のない笑顔を浮かべて青年は立っていた。間違いなく。
見比べてみる。
(本人…なワケないよな)
そっくりな孫とかとにかくそんな年代だ。二十代より上はいってない。
「…あなたは」
「この車、お前の?」
彼は綱吉の疑問をいとも簡単にぶった切る。
その髪と同じ金色の瞳に見つめられるだけで、すべてぶちまけていいような気さえする。
(…いいや。いや)
何故この青年はあんな場所にいたのか。
真っ白な顔色。出来過ぎのシチュエーション。かといって悪ふざけのようにも思えず、黙ってこくりと頷いた綱吉に青年は感心したように頷いて見せた。
「しばらく見ないうちに随分形が変わったもんだ」
「カタチ…」
「運転してみたいけど、そこまでは許してくれないよな?」
小首を傾げて、甘え強請るような子供っぽい表情。
鮮やかな変化に目を奪われてしまう。綱吉はかろうじてぎゃあと叫びだしたい衝動を抑える。
小さく頷くだけにして、後部座席に絵を収めるとドアを開けた。
「乗って良いのか」
「…うん」
青年は喜々として助手席に乗り込む。
どうしたらいいのか。
痛む頭のせいで考えが呆けてしまってまとまらない。
誰かも分からない人間を車に入れてしまって。
(でも…こんな場所に放っておくわけには…)
「シートベルト、締めて下さい」
「ン?」
妙な顔つきをしていたが飲み込みは早く、彼は綱吉がして見せたのと同じようにベルトを引っ張ってカチリと嵌めた。
「それじゃ…」
エンジンをかける。ブレーキを落とす。
ギアをトップに入れ、ハンドルを握って異常に気付く。先程あの部屋で傷付いた筈の指先に、痛みがない。
鼻先まで持ってきたその指はつるりとしていて、傷など何処にも見あたらなかった。
まじまじと自分の指を見続ける綱吉に、助手席の青年は笑って言った。
「悪い。何しろ腹が減ってたもんで、さ」
口の端を舐める赤い舌。
叫び出す代わりに、綱吉はゆっくりアクセルを踏んだ。
ハイビームにしたライトが山道を照らし、車は静かに進み出した。
「あ、お帰りなさい」
何故か後ろめたさを感じつつ、足音を忍ばせて事務所に戻ると、居たのはオレガノ一人だった。
(そうだよな…もう遅い時間なんだ)
朝の内に此処を出てからたった一日の事なのに、なんだかすごく前の事に思える。
(依頼人の家を出たのが昼過ぎ…そこから車で二時間半。宝探しして気絶して同じだけ運転して帰ってきて)
綱吉はすっかり疲れていた。
疲労が顔に出ていたのか。女史はわざわざコーヒーなど入れてくれたが、座って話をする時間は無かった。
車の中にはあの青年を待たせている。綱吉は絵を置きに来ただけなのである。
「あの…ご依頼の物は、見つけたんです…けど」
「本当ですか?!」
「はい、これです」
包みも何もない、剥き出しの額縁にオレガノは一瞬クスリと笑ったが、中の絵を見て目の色が変わる。
(あー、やっぱりそうなるよねー)
男の綱吉でさえ、初めて見た時は呆然としたものだ。夢心地だった。
今は遙かにショックの大きい存在が外で待っているのでそれ程でもない。
「あったんですね…話を聞いたときは失礼ですけど、半信半疑だったんです」
「俺もですよ」
「こんなに長い間放置されていたにしては、随分と状態が良いですね」
彼女は綱吉よりも現実に帰るのが早かった。
もう鑑定を始めている。専門外の言葉に曖昧に頷いて、コーヒーを一口飲む。
(あー美味い)
「今日はもう遅いですから明日連絡しましょう。事務所の金庫に入れておきますので」
「……は、はい?」
まるで窺うようなその物言いに、綱吉は目をパチクリさせた。
「依頼人への引き渡し、お願いできますか?」
「えっ…」
まただ。また。
色の淡い、澄んだ目に見つめられて否定の言葉が詰まる。
美術品の価値は分からないのに、こういう弱点はありがたくない。けれど…
(結局俺美人に弱いだけか?!)
「わ、わかりまし、た」
気付くと頷いているのだ。綱吉は悔しさと不甲斐なさ(勿論、自分に対して)に歯噛みしたがもう遅い。返事をしてしまった。
「よかった! 連絡は此方からしておきますので、事務所に――」
「顔出しますので! じゃあ俺はこれでっ」
「お疲れ様でした!」
コーヒーの礼を良い、そそくさと帰っていく綱吉に女史は暖かいねぎらいの言葉をかけてくれた。
一瞬このとんでもない問題の――相談をするべきだったかと悩んだが、既にそんな段階は過ぎていた。
「お待たせしました…」
「んーにゃ」
気の抜けたような返事とは裏腹に、事務所脇に立つ青年の顔は凄みすら備えていた。
外灯がいけない。
近頃はなんでも防犯目的で白色から青色に代わっているそうで、その光がまた不気味さを演出している。
綱吉はぶるりと震えた。
「寒い?」
「…大丈夫です。じゃ、行きましょう…か」
「うん」
素直だ。
車中で少し話したが、いずれの答えも明るい彼の性格を表していた。
話だけ聞いたら間違いない、善人なのだ。
(いい人…なんだけど)
青年は背が高く、目立つ容姿をしていたので、面倒を避ける為に他人の目に触れるのは出来るだけ避けたかった。
顔だけならまだしも、彼の格好はお世辞にも時代にあったものとは言えない。
スーツはスーツなのだが綱吉が見たこともないようなクラシカルな形で、しかもリボンタイ。
徹底している。とても深夜のコンビニに居られる格好ではない。
(はあ…)
途中コンビニへ飲み物と、軽食(それでも一応食べるかもしれないし!)を購入するべく寄ったのだが、ウッカリいつもの癖で店前に停めたのは失敗だった。
煌々と明かりが点いている四角い小さな建物に青年はいたく感激したらしく、あれほど中でじっとしているようにと繰り返したにも関わらず、浮かれた足取りで店内に入ってきたので、驚き見惚れた店員が補充していたおでんのタネを床にぶちまけた。
慌てた綱吉はその浮かれポンチの手を引いて戻り、何も買わずに出てきてしまったので仕方なく――今度はファーストフードのドライブスルーに車を突っ込んだのだが、誰の姿もないのに『こんばんはいらっしゃいませお客様ーただいまキャンペーン中につき蒸し鶏のサラダと特製和風ソースバーガーおすすめしておりますご注文どうぞー!』と声がしたので彼は目をまんまるにして、次の瞬間矢継ぎ早に質問を投げつけてきた。
宥めて、宥めて、ようやく注文を終えて受け取り口に廻れば店員が口を開けて助手席ばかり凝視しているし、それにニッコリ笑って手を振っちゃったりなんかして、調子のいいことこの上ない。
綱吉はいつうら若き女性が彼の毒牙にかかってしまうかと――もちろん、とても好人物であることは分かっているが、それでも本能ってものがある――気が気でならず、ピットで車を停めて遅い夕食を取るまで心配は続いた。
(そうなったら、んなもの起こしちゃった俺のせいってこと?!)
結論から言うと、彼はそれを食べた。
あまつさえとても美味しいと、満足の意を表明した。
庶民的な嗜好をしていて下さって助かった、そうほっと胸を撫で下ろした時に。
「ま、腹の足しにはならねーけどな」
「……はい?」
それはハンバーガーの包みを破いて四十秒で全部腹に収めちゃった人の言うことか?
サラダを、ドレッシングかける間もなく、ドリンクみたいに煽って食っちゃった人の?
「つまり…それは…」
恐る恐る顔色を窺った綱吉に、青年はニッコリとは少々違う趣の笑みを向け、何故か顔の角度を斜めにしながらずいと距離を狭めてきた。
「な、な、なん、でしょう、か」
随分とラフな言葉遣いをする。
最初のイメージがどんどん崩れる。
絵の中の気取った顔つきは現実味が薄れてしまい、本当にその人なのだろうかと、違和感を覚えた。
「えー、その」
はっきり言ってしまえばいい。『貴方は誰なのか』と。
躊躇う綱吉の前で、彼は手の平を出して見せた。
つるりとした皮膚にもう一方の手の親指を突き立て、横にひく。
赤い筋が出来て、端からパックリ割れる。スプラッタな眺めに口元を抑え、何のつもりだと眼差しで問えば青年は、おもむろに自分の傷を舐めた。
朱い舌が傷を辿って、僅かに尖った犬歯と共に口の中に引っ込む。
手の平の傷は綺麗に失せ、白い肌が残るだけになっていた。出来過ぎの、でもだからこそ不気味な光景に綱吉がカタカタ歯を鳴らし始めた時、彼は言った。
「じゃーん」
(っていうかなんだこの人俺どういう反応したらいいんですかあああ)
「……うん」
それしか言えなかった。
綱吉がなまあたたかい気持ちになる絶妙なタイミングで、青年はカラリとした笑みを浮かべた。
「オレ、生身の動物の体液以外は栄養として受け付けねーの」
「…はあ」
「大体…そうだな…七、八十年眠ってたせいで、ちょっとボケてるかも」
「そう、なん、だ…」
「悪ィな!」
「いえそんなことは」
反射的に返してしまう。
相手が言ってる事をマトモにとれば、多分…
(普通の人間じゃアリマセンってこと…だよな?)
が、あまりにも彼は人懐っこく、言葉はハキハキしていて分かりやすく、なんというか…
悪びれない。
だからこそさしたる危機感も無く、自分は。
人気のない地下駐車場に車を入れる。
(誰もいなくて良かった)
なんとなく、この人物を人目に晒すのは心臓に悪い。
「あ、そこ危ないですよ」
「うお」
子供のように縁石を渡って歩いている、ぴょんぴょん弾む背に声をかける。
(でかいな…)
一人暮らし用の部屋に、この図体はうまく収まるだろうか。
2009.8. 9up
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