の、その後



 弾の飛び交う戦場で、一瞬の油断は命取りになる。
 分かっていた筈なのに視線が向いた。
 場違いな白が蒼天を遮り、枝を揺らす。鷺だ。こんな騒がしい場所に。
 怒号と銃声にまみれた生臭い場所で、敏感な動物の姿を見る事は少ない。それもあんなに目立って白い――
 それが最後の光景となった。
 目に焼き付いた白鷺の姿は、瞼を閉じても消える事は無かった。頭を灼熱の塊が貫通し、意識がブラックアウトする瞬間でさえ、なぜあんなものがここにいるのだろうと不思議に思い続けた。そして沈んだ。





 閉じていた目を開くと、視界はわさわさしたもので塞がれていた。
 天井から下がる薄布である。此処の寝台には天蓋というものがあるのだった。
 正直、鬱陶しい。
 一々舌打ちこそしなくなったが、やはりこれは邪魔だし面倒なものだと思う。この辺りの認識や印象は神になっても変わらないらしく、できれば止めて欲しいのだが、仕えてくれる女官や使いに妙な顔をされるのがオチなので黙っておく。どうせ借り物の地位なのだ。
 神と言っても、自分は代理の存在である。
 その昔は本当に居たらしい神さま達は、この世界に飽いて勝手に何処かへ出かけてしまった。
 興味が無いなら放っておけば良いものを、ご丁寧にも下にうじゃうじゃ居る人間から肉体、欲、意識的限界その他諸々の制約を外して、自分たちの代わりにこの地位へ据えたのだ。
 だからこの人を基とした『神』達は、完全無欠の存在ではない。
 人間よりは大分落ち着いているものの、基本的な考え方や人格にそう変わりはないのだ。体がものすごく丈夫になって、しかし物質的な制約からは解放されており、寿命もなく、できない事はないけれど、動かなければ意味がない。
 知識を取り込む幅は無限でも、やる気が無ければどうしようもないのだ。無意味である。


 ……というような事を最近考えるようになったのは、新入りのせいだった。
 それまでは割と真面目に職務を果たしていたし、やりがいも感じていた。それなりに。だが。
 ちらりと視線をやると、天界の端――遙か彼方の雲の上に、ボロっちい小屋が見える。
 ついでにガタガタの縁側に座り、ズズズと茶を啜っている貧乏神の姿も見えるのだった。
「…チッ」
 戦いの神は今度こそ本当に舌打ちをした。
 最近めでたく(?)神さまの仲間入りを果たしたにも関わらず、まったく職務を果たしていない不心得者――その姿に、著しい不快感を示したのだ。
 そもそもこの貧乏神のポストは、長年空席であった。
 正にこいつがうってつけというような人材に恵まれなかった、希有な地位である。
 そのうってつけがやってきたと思ったら、これがまるでやる気がない。

 別に関係ないと言ってしまえばそれまでだ。
 現に他の神は彼の存在にまったく普通に接しており、苛ついているのは自分だけのようだった。
 愛の神は大人しい彼を相手に大神への想いを延々と語り聞かせているし、美の神もしょっちゅうあのあばら屋に出入りして、優雅な昼寝を決め込んでいるらしい。
 大神でさえ、自分の神殿で幾らでも薫り高い茶を楽しむ事が出来るのに、わざわざあのショボくれた出がらしを飲みに行くのだ。
 馴染んでいる。
 違和感があるのは自分だけなのだろうか。


 まったく気が進まないながら、戦いの神は彼の小屋を訪ねる事にした。
 その気になれば一瞬で移動できるが、ここは礼儀としてわざわざ庭先から、ゆっくりとした足取りで歩いていく。
 呆けた顔つきで薄い茶を啜っていた貧乏神は、ハッとした表情で居住まいを正し、コホンコホンと咳をした。
 わざとらしい。
「よう」
「ど、どうも」
「どうだ、景気は」
 神さま業務に景気もへったくれもないのだが、この辺は人間の習慣が抜けない。
「ええ、まあ。ボチボチと」
 全てに曖昧な言葉を使って、答えが返ってくる。
 イラッとする。
「ボチボチ?」
「それなりに…うん…」
「やってんのかやってねえのかハッキリしやがれ!」
 貧乏神の小さな肩が、勢い良くビクッと跳ねた。
 最初こそ知の神に教えを請いながら、貧乏神とはと熱心に勉強していた彼だったが、近頃はとんと動きがない。
 最初に案内したよしみで何度か付き合った。
 そのせいで戦いの神は今やちょっとした貧乏神通である。


 貧乏神はただ人を貧乏にして苦しめるだけではない。
 心根の正しいもの、優しいものに福をもたらす一面もある。
 その辺のさじ加減は微妙で、この辺が神としての腕の見せ所だったりする。
 またそのみすぼらしい格好に反し力はなかなかに強大であるが、これは"運"が強く左右するからであろう。本人…否、貧乏神自体も振り回されているきらいがある。


「やって…ません!」
「威張る事じゃねぇだろーがコラァ!!!」
 折角の神としての能力も、其処に決断が無ければ実行はされない。
 それまでは考えた事もなかったが、神として力を行使するに一番大事な部分はこの『決断力』なのである。
 戦いの神である自分を例にすると、どちらを勝たせるか決めるのは一瞬。其処に非情を感じるも、どちらか一方にしか勝利というのはもたらされぬもの。
 貧乏神の場合はこいつに取り憑くか、止めようか、また取り憑いた場合、どのくらいのスパンで幸福をもたらすかあるいはまったくもたらさないかと細かな決断が必要である。
 この決断力が、こいつには著しく欠けているのだ。
 つまり神という存在において一番重要とも言える特質を、彼は持っていないのである。
「だって…決められないんだよ〜」
 情けない声を上げる情けない貧乏神を前に、戦いの神は頭を抱えた。
 これでも結構協力してやっているのに。
『格好がそもそも気が向かない』というのであの白いヒラヒラを調達したのに、次に会った時は『似合わないからやめた』とボロ服に戻っている。
『茶碗が割れた、新しいのが欲しい』というから持ってきてやったのに、『こんな綺麗なもの使えないでしょう。だって俺、貧乏神だよ?』とこぼされ。
『下界は年末! という事でこのボロ屋大掃除をしようと思うので手伝いに来て下さい』と皆を巻き込む割には、『程々にしてくれないと、貧乏臭さが出ないんで』と面倒な注文を……
「てめえ…」
 思い出すだけで腹が立ってくる。
 襟ぐりを掴んで振り回すと、ビリビリ破けるボロ服も苛つく。一々面倒臭い。首に縄でもかけておいたらいいのか。
 怒鳴りつけるような説教をかましながらぐらぐらに揺さぶる間。
 貧乏神の、元々死んだような目は更に遠くを見るようなものへとなっていく。
 このまま三百年ぐらい振り回してやろうかと思っていると――
「いや、確かに。確かにね? 俺もこのままだとよくないとは思っているよ?」
 振り回されながらも、貧乏神はのんびりした口調で言う。
 貧乏神元々の性質として、怠け者を好むというのがあるらしい。
 勢い余って本人も怠け者度が増している。以前はもう少しマシだったような気がする。
「でも決められないもんは決められないし。しょーがないじゃん」
「うるせえ。てめえの事情なんか知った事かさっさと仕事しやがれ」
「え〜〜〜」
 面倒臭いとか、大して重要な仕事でもないとか、ブツブツと口の中で文句を呟いている貧乏神を小脇に抱え。
 戦いの神は其処から一気に下界へ下りた。
 この貧乏神、仕事をする時は直接下界へ赴かねばならない。
 実際にその家や人間に取り憑かねば力を発揮出来ないのだった。
「さあ選べ」
「え、選べって言われても」
 降り立った場所が悪かった。
 道路の真ん中。人が沢山行き交う交差点。
 向こうに神さまの姿は見えないが、死んで神になってからそう時間の経っていない貧乏神には刺激が強すぎたらしい。
 大きく目を見開いて、強張った手をバタつかせている。
 ボロ服も相まって威厳の欠片もない姿だ。
「わわっ」
 その気になれば人の形を持つ事も出来る。
 今頃思い出したのか、実体化して重みを持った体が腕からするりと抜け、地面に衝突する寸前で膝を着いた。
 合わせるつもりで。
 続いて実体化したところ、道のド真ん中で強面の大男に土下座する可哀想な小男(学生風味)という図が完成し、道行く人間の視線を奪うはめになった。



 何だか知らないけど大変そうだね、というような視線を頂いて、貧乏神はコソコソとその場を逃げ出した。
 神さまという立場なのに、どうも威厳が無い。戦いの神は憮然とした顔つきでノシノシと人混みを掻き分けて進む。
 流石に服装はその辺の人間に合わせて、無難なものになっている。ともすれば人ごみに隠れてしまいそうな小さな背を、しかし僅かな光りが位置を知らせていた。
 まだこの辺の使い方は慣れていないのだ。
 必死で逃げるその姿を追って、いとも簡単に追いつくと、思考を触れ合わせて伝える。
(この中から適当なの決めて、ついてきゃいいだろう)
(そう簡単に決めちゃダメだろ。可哀想じゃないか貧乏なんて)
(じゃあ元々貧乏なやつに取り憑け)
(ハッ…)
 振り返ったその顔は、珍しく明るい。
(アタマいいな…)
「アタマ悪いなお前」
 其処だけは肉声で言うと、貧乏神はしょっぱい顔つきになった。





「こっちだ。貧乏の匂いがするぞ!」
 騒がしい街の喧噪を抜け、人気のない場所へどんどん進んでいく。
 それにしても匂いがするとは知らなかった……鼻をヒクヒクさせて進む姿は正に貧乏の名にふさわしいものだったが、見ていると何故か無いはずの涙腺が…
「ん? 何?」
「…いや」
 鼻がつーんとしたような気さえ。
 人の形を保っているからか、細かな実感まで沸いてきて妙な気分になる。
 感情に引き摺られるなど、久しく無かった。
 戦いの神さまなんぞやっていると、どうも日頃から怒りっぽくなる自覚はあるのだが、情けないとか無性に悲しくなるなんて珍しい。
「……」
 しかしよく考えてみると、見ているだけで切なくなるような、そんなみすぼらしい姿をする方もする方だ。
 もっと堂々と歩くか、いっそ不可視の状態へ戻れば良いのである。とにかく神さまっぽくない。
「ここに違いない」
 貧乏神は唐突に道の途中で止まった。
 其処は荒れ果てた場所で、雑草の生い茂る町の外れであり、どう見ても人が住んでいるようには見えない……のだが、確かに数人の気配が感じられるのだった。
 貧乏の気配を嗅ぎつけると、貧乏神はふわりと宙に浮き上がった。
 ボロ服をなびかせてふよふよと浮いている姿は哀れ極まりないが、本人は至ってのんきそうな顔つきである。
「よし、ここに決めた!」
 珍しくズバンと張り切って指差したかと思ったら。
 荒れ果てたテーマパークの残骸の隙間に、可憐な美少女が体育座りをしているではないか。
「すげえなお前の貧乏嗅覚」
「貧乏神なので」
「にしてもよく見つけたもんだぜ」
「しかも若くて可愛い。あんな子が貧乏な思いをしているなんて……不憫じゃないか!」
 ターゲットを目の前にして、貧乏神は急に自分の役割を自覚したようだ。えらく張り切っている。
「制服を着てるね。学生かな? 側に寝袋があるぞ……まさか此処で寝泊まりを?!」
 ウッ、と口元を抑える貧乏神。
「なんて可哀想な…」
「まあ、なあ」
 じいと見つめていると、周囲の藪からガサゴソと音を立てて、同年代の少年二人が飛び出してきた。
「ふう…」
「メシらメシら!」
 大人しく座っていた少女はその瞬間、パッと顔を輝かせて二人に駆け寄る。
「おかえりなさい…」
「シッシッ! 寄ってくんじゃねーっ」
「…夕飯だ」
 どうやら彼等は此処で共同生活を営んでいるようである。
(妙だな…)
 戦いの神は敏感に異常を察知した。どうも彼等、物騒な気配がするのだ。
 しかし貧乏神は感動しちゃって、まるでお話にならない。
 どんな事情があるかは知らないが、なんと健気な子供達であろうか……と今すぐ大判小判の雨を降らせそうな様子だったので、まあ待てと止めに入る。
「なんだよ、俺は今仕事を始める所なんだから…」



 少女はひょろ長い眼鏡の少年が、コンビニ袋から出したパンを囓っている。
 少年二人もそれぞれ買い込んだジャンクフードを夕食にし、その間は互いに視線を外している。
 深刻な空気。
 沈黙を破ったのは、眼鏡の少年のボソボソとした報告だった。
「今日分の夕飯で、残金が二十円を切っている。早急になんとかしたい」
「うえーっ!」
 鼻の上に一文字のキズがある少年が、情けない悲鳴を上げる。彼は大食らいのタチらしい。
「しゃーねーなーっ。じゃ、またテキトーな奴等から巻き上げっかぁ」
「!!!」
 傍らの貧乏神がびくりと飛び退いた。
 どうやら生前にトラウマがあるようだ。
「…現地調達という事で」
「っ…、ーっ!」
 どうせ言葉にしても下の人間には聞こえないのに、貧乏神はぱくぱくと口の開閉で『わ、わるい…こ…』と言っている。
 更に最後の良心かと思われた少女から、思いも掛けぬ言葉が放たれた。
「私も我慢する……骸様の、世界大戦のためだし…」


 せかいたいせんって。


 その瞬間、貧乏神はぴゅうと逃げ出した。
 追いついてみると顔は引き攣り真っ青、震えながら、必死で下界を逃げ出している。
「に、人間って…」
「落ち着け。そういう事もある」
 というか、しょっちゅうである。人間なので。
 その辺のさじ加減が腕の見せ所なのだが。
「な、なんて恐ろしい存在なんだ!」
「……はあ」
 小心者の貧乏神はすっかり怖じ気づいてしまったようだ。
 その辺りに慣れ、仕事を始めるには――まだ大分かかりそうである。


2010.1.20 up


文章top