俺が自分から連絡を取ることは殆ど無い。多くが向こうからだった。 その事からも俺は"暗黒街のボスのお気に入り"という烙印を押され、同僚には同情され、蔑まれた。これで寝ていると知られたら、もうネクタイで首を吊るぐらいしか対処法が無い。 悪人に気に入られるのは捜査官にとって重要な事で、潜入捜査員(絶対にごめんだ)は特にその素質が必要とされる。こればかりは学ぶのでなく、育った環境や天性のものがある。 どう考えてもかけ離れた俺みたいなタイプを熱心に繋ぎに使いたがる、彼の真意は誰にも分からない。肌を合わせている俺が分からないのだから紙の上の報告書しか読まない上司や同僚はもっと分からないだろう。何を考えているのか………何を欲しているのか。 店は華やかな照明に満ちていた。 合法カジノの経営者にしては些か派手すぎる容姿の男はバーカウンターで女の差し出すグラスに口を付け、首を傾げて微笑んだ。 本当に天は二物も三物も与えるようで―――マフィアのボスという地位、当然金、部下という経済的な物から容貌体型に至るまで―――おおよそ欠点という欠点が見当たらない。唯一趣味が悪いと言えばそうなのだが、黙っていれば分からない。 俺は鋭く視線を飛ばしてきた彼の部下に頷いて一礼し、ヒラヒラと紙を揺らした。近く手入れの入る場所と時間、警察官の数。 市警が聞いたら怒髪天を突く情報が其処に書かれていた。 彼と連邦捜査局は協力関係にある。 「ご苦労だな、アンタも」 「まったくだ」 肩を竦める仕草にも深みがある、男の眼鏡の奥の目に軽蔑は浮かんでいない。単純に同情してくれているらしく、やれやれと頭を振って囁いた。 「ウチのボスはまだ若い。勘弁してやって欲しい」 「俺は年下だ」 「でもアンタの方が落ち着いてるよ」 穏やかな顔をする。彼を息子のように思っているのかも知れない。 おざなりにカクカクと頷き、メモを手渡そうとするが受け取らない。 直接行けってか。 嫌な顔をしていると、そのうち、彼が振り向いた。 「―――よォ!」 俺はため息を吐く。何が楽しいのか、満面の笑みに迎えられてしまう。 押しのけられた女は呆然としている。 「なんだ、来るなら来るって言ってくれよ。迎えをやったのに」 「冗談だろ?」 「そうだな、ぞろぞろ行くと目立つか。じゃあ今度からオレが行こう」 「市警の武器庫には防弾ガラスも打ち抜けるやつがたんまりあるんだが………」 お前のドタマに風穴開けてやろうか、という意味で言ったのに、やつは心配してくれるのかと相好を崩した。処置無し。頭の病は相当進行している。 そして俺や当人が言い出す前に、あっちを指差して言った。 「帰ってくれ」 女の面食らった顔に密かにため息を吐く。 この男はこんなツラをしていやがるくせに、いざとなれば女の扱いが驚くほどお粗末だ。しかし今度の女はめげなかった、すぐに怒りを引っ込めて微笑を浮かべ、「浮気しないでよ」と返す。えらいね、まったく……… 「悪いがこっちが本命でな」 襟ぐりを掴まれて引き寄せられる。頬がびたりと張り付く。 気色の悪さに腕を振ると、笑顔が返ってきた。本当に―――病気じゃあなかろうか――― ゾッとする。 「ったく、ウチのボスは―――」 沸き上がる笑いと暖かな空気。見せかけのそれに女は笑みを取り戻し、ヒールの音を響かせてフロアを退場した。 「頭がおかしいのか?」 「会う度に言うな、それ。何か不満があるなら聞くぜ」 事後独特の怠さに辟易しながらも、水を受け取って煽る。酒は要らない。 彼は昼間からジンをストレートで喉奥に放り込む。 アルコール中毒で早死にしちまえばいいのに………と何度思ったことか。 良くない思考だ。 「今のところウチの上司と、アンタの部下にしか割れてない。けど、もし―――」 「オレは別に構わないね」 「俺が構うんだが」 「………なら隠そう」 女にするような態度を止めろと言った。腕枕も抱擁も減った。減っただけで無くなってはいない、どうやら標準装備のようだ。いっそ感心してしまう。 「やめろ」 頬をこすりつけられて顔を背ける。こんな実りのない行為の後に愛を囁くのは偽善としか言いようが無く、退屈しのぎでも興味本位でも俺の精神に負担だった。 「オレを嫌ってるだろう………?」 「放っといてくれれば嫌わないよ」 男は笑った。 刺青のある腕で金髪を掻き上げた。隆起した上腕筋が、素手でも絶対に敵わない事実を俺に突き付けている。 純粋に、暴力は怖い。 「そうしてお前は興味のない物を自分の世界から切り取っていくんだろう?」 「…何を言ってるんだ?」 「オレはオレに興味のないやつが好きなのさ」 「眩暈がする程贅沢な発言だね。腹が立ってきた」 「うーん………そういう意味じゃない」 指を絡める。 全身に口付ける。 絶え間なく甘い言葉を注ぐ。 答え。正気じゃ出来ない。 「興味のないやつに冷たくされるのが好きなんだ」 「それはまた………えらいマゾヒストだったんだな、あんた」 「はは。お前が優しくしてくれたら、それはそれで嬉しいもんだぜ」 すり寄る体温を避けながら考える。 この男の望みは俺に似ていないだろうか―――決して届かないものを望むことで常に自分を空虚なものと感じ、己の矮小さに僅かな安心を得る。 満ちる事は恐怖。 足りなさが真理。 どうしようもなくマゾヒスティックな願望。手を伸ばして掴み取った瞬間、全てが砕けてしまわないかという恐怖――― 「臆病」 金色の頭を掴み取って口付ける。 舌を突っ込めば辛いジンの味がした。とにかく、これは仕事だった。 2007.2.2 移動 文章top |