壺中ジン

 

 階下の騒がしさに目を細め、手すりに凭れる細長い人影。
 外見はハタチそこそこ。細身の縞シャツの腕を組み、青年は熱心に下を見ている。
 その後ろからフードを目深に被った男が来て、ひょいと覗き込んだ。
「まだ?」
「ノロマなんだよ。オレが見た内で三本の指に入るぜ」
 うんざりしたような口調だが棘はない。気安くさえある。
 フードの男は成る程と頷いた。確かにそんな気がした、初対面の自分にあんなに簡単に押されるなんて…
「おっと」
 それは既に"取り消された"ことだった。
 現実に沿わない思考は時間から足を踏み外す第一歩でもある。フードの男は用心深く通りを見やり、コホンと小さな咳払いをした。
「思ったより長くかかったじゃないか」
「お前がめんどくさいやりかたするからだろー。あんなもんすぐに」
「出てやる、って?」
 初めてその言葉を聞いてからどれくらい経ったろう?
 力が強すぎる上に気まぐれで残虐な性。最初は封じ込める事で均衡を保ち、いつしかその目的も由来も失せて。
 ただ人の欲望に振り回される事にうんざりしていた彼を拾い上げてから――
「待ち人来たり、だ」
 彼は雑貨屋の賑わいをもの珍しそうに見回している。
 向かい来る人を不器用に除けながら、階段を上がってくる。そのツンツン跳ねた頭を、青年はにやにや見下ろしていた。
「じゃあ僕は消えるよ。後はキミが」
 二階空き店舗の奥、暗い場所でフードの男は気配を潜めた。
「…繋いで」
「わかってるって」



 ジンを解放する条件は二つある。
 一つ目、これは簡単。ツボを物理的に破壊する事だ。
 とは言え何でも願いが叶う道具を欲深い人間が手放すのは難しい。大抵は大事に扱い、仕舞っておくだろう。
 二つ目はツボの持ち主が自分の願いを否定する――願えば叶う状況に心の底からうんざりすること。
 こっちは更に難しい。ジンの力の元になっているのは、願う人間の欲望だ。
 それが不安定だったり、ぼやけたビジョンだととんでもない事態を引き起こす事もあるが…
 欲望は強いほど大きな影響が出る。明確な欲を幾つも持っている危険な人物の手に渡れば、国や世界にその余波が及ぶこともあった。
 そんな輩に飽き飽きしていたジンを拾って、男はたくさんの人間にツボを渡してきた。
 そう――できるだけおっちょこちょいで優柔不断そうなやつに。



 その最たる人物は、空き店舗の前で束の間呆とした視線を彷徨わせたが、声を掛けられて振り向いた。

「遅い」
「えっ……あ、どうも…ええ? 予約二時じゃなかったかなあ」
「オレが遅いっつったら遅いの」
「はあ。その、わざわざすみません」
「別にお前迎えに来たワケじゃねーし。外の空気吸ってただけー」

 存在も時間のブレもない。上手くいっているようだ。
 ジンは驚くほどすんなり人間というものに溶け込んでいる。
 この場所と状況にも。

「下凄いですね」
「朝からうるせーうるせー」
「あのー…二階って、何か入ってませんでしたっけ?」
「は? ココ? ぜんぜん」
「気のせいかなあ…」

 少しヒヤリとする。けど多分大丈夫。
 けろりと言ってのける、その不貞不貞しい顔を見る限りは。
 これは既に決まっていたこと――なのかもしれない。

 元は特異な存在であった青年は、両手をハサミの形にしてチョキチョキと動かした。
「さっさと上がって来いよ。お前の爆発アタマどーにかできんの、オレだけなんだからな」


2009.3.1 up


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