つなよしと小さな店子
ごろりと横になると、顔に冷たい風が吹き付けてきた。
(ここは建物の中の筈じゃなかったかな)
隙間風というやつである。開けてもいない玄関口から、立て付けの悪い窓からぴゅうぴゅうと冬の風が吹き込んで来る。
ズビーッと鼻をすすり上げる。これは大事な商売道具なので、無駄にかんだりしたくない。勿体ない。必要な時に限ってお鼻が快調だったりするとあまりの勿体なさ加減に悶絶したくなる。だからこれは大事に保管しておかねば……鼻に。
肩まですっぽり布団に入って(暖房は勿体ないから付けない)天井を眺める。
天井の端に小さな「カミダナ」がある。ここの管理人は神道なのだろうか。先日、クリスマスに特大のケーキを買ってきたと誘いに来た間抜け面を思い出す。そんでもって正月は初詣に行こうかとか、鏡餅を食べるからおいでとか、どうなんだそれって。
神道とは日本固有の宗教であるが教典があるわけでもなく民俗信仰を元にしているため、他の神様まで片っ端からお仲間にしてしまう異常に懐の深い宗教で、これは日本人の曖昧かつナアナア主義の本質に実にうまく沿っている。あの管理人も別に深く考えている訳ではないのだろう。ただ楽しいこと、周りがやっている事を習っているだけなのだ。
そこまで考えた所で、急に埃を被った「カミダナ」が気になってきた。
こういうものを置いていていいのだろうか。自分はそれについて殆ど何も知らないに等しく、勿論崇めてもいないのだ。それは不敬なのかもしれない。
「……」
もそり、と起き出す。
朝起きてからずっと眠っていたから頭が若干ボーッとしている、部屋は火の気が無く、家具が無いサッパリした景色とも相まって実に寒々しい。心なしかおなかが空いてきたような気がする。
大人の蹴り一発で崩壊しそうなぺらぺらのドアの鍵をきっちり閉錠し、泥棒よけの幻影トラップまで設置してから距離にして5メートルを歩く。
管理人の建物はこのボロアパートと隣接しているがくっついているわけではなく、一応一軒家の形を保っている。最もボロボロ加減は良い勝負で、ヨレた洗濯物が物干し竿にかかっていた。
玄関のチャイムは鳴らない事が分かっているので、引き戸を勝手に開ける。
案の定鍵は開けたまま、家の中からテレビの音が聞こえていた。居ることは、居るらしい。靴がきちんと横に揃えられた玄関を見る。来客もなさそうだ。
管理人はあんなにぼーっとしたナリなのに、知り合いが異様に多い。だから来客は意外に多いのだ。
当人はその場に顔を出しても怒るでもなく良く来たねえと歓迎してくれるのんき者だが、客によってはいたいけな自分にまでじろりと剣呑な視線を投げてくる不届き者も居て、その度にボクは関係ないんだけど。と思う。そもそもそんな牽制をしてる暇があったらさっさと行動にうつせばいいのに、そこは極めつけのチキンで手を出してはひっこめ、ひっこめては彷徨わせ、の優柔不断ばかり揃っている。
冷たい床を、勝手にスリッパを借りて引き摺って歩いていくと、そのパタンパタンという足音に、家主がこたつから抜けて立ち上がった気配がした。ガラガラ、と中の引き戸が開いてそこからひょっこり顔を覗かせる、茶色の爆発頭が。
「いらっしゃい」
「やあ」
普通なら何か用があるかとか勝手に入ったことを怒ってもいいぐらいだが、この男はまったくそういう事を気にしない。にこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべて扉を開け、スリッパの後ろ部分が入ったことをよく確かめてから戸を閉めて、暖かい部屋の一番暖かい位置に案内する。
「今お茶入れてくるよ。みかん食べててそこにあるから」
「ん」
「大福貰ったんだけど、食べる?」
「食べてもいいよ」
「うん、ありがとう」
変な会話だけど、これが普通。
2
もそもそと大福を口に運んでいる様子を見守る綱吉の目は半分になっていて、焦点も合っていない。ぼんやり、ぼーっ、な感じだった。
理由は明白、目の前でちっちゃなお子様椅子に座って(キャラクターがついている綱吉が昔使用した年代物だ)モチをモッチャモッチャやっているこの小さいの、である。
彼がこのアパートに来た日のことを、綱吉は昨日のことのように良く覚えている。アパートは全部で10室、それも一室使えない物置と化した部屋があるから実質入れるのは9室。で、今は5人としか契約していない。その内の一人が彼だ。
夕方、朝夕いつもの掃き掃除をしていた綱吉の前に、彼は現れた。チョコチョコと。
いや、颯爽とか言ってあげたいのは山々なのだが、どう表現してもテクテクとかチョコチョコとかそういう…表現しか出来ない。
何しろ彼は小さい。1~2歳の身長しかなく、そんなのが大きい頭を揺らして歩いてくるんだからしょうがない。
綱吉の家には知り合いの子供が何人も遊びに来る、というは半ば居住していたので、子供には耐性が出来ていた筈だった。けど、なんか。カワイイな~とか思って……
「こんにちは」
はっ、いきなり挨拶されちゃったよ。しかもめっちゃ礼儀正しい! カシコイ!
感動しながら「はいこんにちは」と返してにこにこしていたら、
「あの看板見て来たんだけど。今部屋あいてる?」
「……」
看板というのはもう30年も前に爺さんが出した錆だらけのあれ一つっきゃない。
アパートも同じくらい古い、汚い、狭い…けど、べらぼうに安いのが唯一の利点。
「あいてるけど。えーと、借りたいの?」
「うん」
そう言って赤ん坊は顔を上げたが綱吉からその顔は見えなかった。
下半分、そのぷくぷくした口とかほっぺとかは見えるのだがかわいい、目がフードで隠れているのでどんな表情をしているのか今一掴み難い。
お父さん、お母さんは、と思わなかった訳ではない。
けど、それよりもう綱吉はこの小さな赤ん坊に興味というか、かわいいというか、そういうものが沸いてしまって水を差すような言葉を言いたくなかったのだ。
「あのねえ、一度見た方が良い。酷いボロ屋だから自分で言うのもなんだけど」
「値段見たら分かるよ」
「うん、でも、ほんとにボロなんだぞ」
「いいってば」
こうまで断言されて、綱吉は彼を案内しない訳にはいかなかった。アパートの前に連れて行き、こんなですけど…と語尾を濁した綱吉に、彼は1階を所望した。
「2階は逃げ場が無いからね」
「…火事の心配?」
妙な成り行きだったが綱吉はこの赤ん坊に部屋を貸す事にした。
不思議な事に必要な書類は全て揃っていたし、保証人も居たので(外国の名前に印鑑が押してあった)契約は実にすんなりだった。後々、どうしてボクみたいのを入れたんだいと尋ねられたが良く分からない綱吉は曖昧に笑って誤魔化した。
なんとなく、そういう気持ちになったのだ。
「部屋寒くない?」
「寒いよ」
「冬の間だけでもこっちに泊まったら? 風邪引くとおもうんだけどな…」
「他の住人に示しが付かないでしょ、オーナー」
「うぅん…」
オーナーと言われるたび綱吉は笑い出したくなる。彼の言い回しは実に勿体ぶっていて、独特のユーモアセンスに満ちあふれている。
喋ることだけ聞けば大人なのだ。だから多分天才児とか宇宙人とかそういう類だと、綱吉は思っていた。聞けば働いていると言うし。
「仕事忙しい?」
「そうでもないね。世の中平和だと、ボクの家業は儲からないんだ」
「そ、そうなんだ…お茶のおかわりは」
「いいよ」
ありがとう、と言って立ち上がる。口元に粉がついているのを拭ってあげたいが、子供扱いを嫌う彼はきっと嫌がる。
3
「付き合い悪ィぜ、マーモン」
「無駄な出費はしたくないし、夕食は約束があるのさ」
マーモン、悪魔の名前。これを、なんでか「まもるくん」と聞き違えた奴がいたっけ…
(バカなんだよね、あのオーナー)
まもるじゃないマーモンだと教えたのに、今度はマモくんになってしまった。もう面倒なので放置している。
「約束ってなに?」
「君は呼ばれてない」
それこそ、あのマモくん呼ばわりをするバカオーナーのお誘いである。
夕食に鱈ちりをするから君もおいでよと、今朝方部屋を出るときに声をかけてきた。しょうがないから一緒に食べてやる事にしたのだ。
オーナー…管理人、家主、は寂しい一人暮らしで、しょっちゅうこんな誘いをしてくる。
「つまんねぇ、なんだよそれ!」
憤慨しているのはベル、マーモンの同僚である。
二人は少々物騒な仕事をしている。マーモンは、自分は常識を備えた紳士であると思っているがベルはお世辞にもマトモとは言えない。頭の回路がどうにかなっちゃってる殺人鬼なので、あのバカオーナーには会わせられない。
「つーかなんでわざわざホテル出んの? 意味わかんねー」
「ボクの分の宿泊費が浮くだろ。勿体ないよ。一日に幾らかかると思うんだい? たかがホテル代に馬鹿馬鹿しいそれぐらいなら自分で部屋借りてその分給料に足して貰うんだ」
「相変わらずがめついなお前…」
「それよりベル、ホテルの石鹸貯めてくれてる? 持って帰るから寄越して」
「……」
アメニティは勿論トイレットペーパーも一日に一巻きずつ持って帰っている。備品のタオルに手を出さないのはせめてもの良心だ。
黙って石鹸を差し出す同僚に、せめて袋に入れるとかしなよ気が利かないな君は、と暴言を吐いてマーモンは受け取った。ブランドのロゴが入っている。物はいい。(高い)
「歯ブラシは」
「使ってんの!」
「それに付いてる歯磨き粉はそんなに使わないだろ。出して」
「いい加減にしろー!」
「煎茶と紅茶とコーヒーのパック。君、お茶もコーヒーも飲まないよね」
「うああああ面倒くせえ!」
缶ごと持ってけぇぇぇと怒鳴られて、マーモンは一瞬ぴたりと動きを止めた。
「ティーパックじゃないんだ」
「なんだよそれ?」
「…さすがボス、いい部屋取るね。袋あるからこれに全部、ドサッと」
「もう好きにしろよ…!」
「わ~なんか大荷物だねえ…! いらっしゃいマモくん」
「うん、来たよ。はい」
「え? あ、なにこれ石鹸? この袋に入ってるのは」
「お茶」
「うわあ、助かるなあ。ありがとうね」
2008.2.14 up
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