熱射

 

「お前、ちょっとこっちに来てみろ」
 辿々しい現地語を使い、すり切れたボロ服に身を包んだ男は大人しく座った。
 目線に落ち着きが無く、びくびくしている。かと思えば、一瞬意識を飛ばしたような、呆けた面をして天井を見る。
 かなり重度の薬物中毒だ。
 それも、麻薬のような酩酊感を伴う酔いではなく、意識的に記憶を操作された痕跡がある。
 黙って座らせていてもふらふらと、左右に頭が振れる。
 強い記憶操作をしても、人は生活の端々で少しずつ日常を取り戻していく。
 それを防ぐために、意識を鈍らせる薬物を使用しているのだろう。
「はい」
 呼ばれ、動いて、しばらく経ってから返事をする。
 本人が感じる時間と、実際の時間が合ってないからだ。
 感覚のズレが不自然で、異様さを際だたせる。
 この場所に住む者達が、のんびりした気風で良かった。でなければ虐待の対象にも成り得る。
「旦那」
「オレはリボーンだ。言ってみな」
「リボーン、旦那…」
「違う。旦那と呼ぶな」
 ぼそぼそとした声でそう呼ばれると、自分でも驚くほど不快になった。
「リボーン様ならいいぞ」
「リボーン様」
「冗談だ。様は付けなくていい、もう一度」
「リボーン……だん」
「旦那は止めろ」
 しつこく教えると、ようやく名前を覚えたらしく、今度はぶつぶつ繰り返している。
 その視線がとろんとし、姿勢が前屈みになる。
「どうした?!」
 ぐたり、と力を失った身体は既に眠りに入っていた。
 すうすうと、赤子のように安らかな寝息が聞こえる。
「ふーっ…」
 此処の人間に事情を尋ねる訳にはいくまい。
 下手に騒ぎを大きくして、隔離される事は避けたい。
 多分、後ろ暗い事情がある筈なのだ。
「お前は日本人だ、間違いない」
 眠っている。
 その鼻を摘み、クイと動かすと、むずがって暴れる。
 子供のような仕草が、住人達の同情を誘ったのなら幸いだ。
 自立出来ないほど強い操作をされ薬物を投与されている人間にしては、彼は随分と幸せそうだった。
 自分とて、引っ掛かるものが無ければそのまま触れずに居たかも知れない。
 しかし――
「多分、オレはお前を知ってるぞ」
 昼間の熱をため込んだ身体は、夜の涼しい風に心地よい。
 パタパタと忙しなく家を整え(散らかしもしていたが)、掃除をし、夕食を調達して――疲れたのだろう。
 今、男は腕の中で眠っている。
 小柄で痩せた身体。一見年齢不詳だが、以前見た時彼はスーツ姿に、ネクタイを巻いていた。勿論成人済み。

 ある企業に、技術提携を持ちかけられた時だ。
 場所は日本だった。恐らく男の生まれ故郷であろう。
 世界一人口の多い都市の、高層ビルの最上階。
 契約は秘密裏に行われ、引き渡しは終わり、後はお定まりの接待。
 特に印象に残ってもいない地味な顔ぶれの中で、一人だけ覚えている。とんでもない失敗をやらかしたのだ。
 彼は恐らく、この男と同一人物だ。

「どうしたもんだかなあ」
 故郷に帰してやりたいが、連れて出るには目立ち過ぎる。
 何より、記憶の戻らないまま日本に連れ帰っても、本人を苦しめるだけではないかと思うのだ。
 やはり、思い出させるしかないのだろうか。

 


 休みを終え、研究所に戻ると、また単調な日々が戻ってきた。
 雑事で煩わしいと思うのに、何も無いと退屈とは。
 人間とは我が侭な生き物だ。
(あいつ、ちゃんとやってるのか?)
 思考を占めているのは、例の記憶操作をされた日本人だった。
 目覚めた彼を問い質しても、その記憶は曖昧な部分が多く、ただううんと唸るだけだった。
 多分軍がこれに関係している。
 しかしそれも、軍部自体に責任を問うには些かの疑問が残る。
 何故一介の勤め人である(多分)彼が、そんなややこしい事をされたのか。
 恐らくは、事故のようなものだったろう。
 政権交代後、この国の治安は著しく乱れた。入国していた外国人は片っ端から捕らえられ、金品を奪われ尋問された。
 中には殆ど物取りのような憲兵も居るのだから、決して安全な国ではない。
 もし、十分な知識も無く薬物による尋問を受けたのなら、今の状態になる可能性はある。
 管理せず、放置されている事から窺える。
 彼は重要な参考人ではなかったのだ。
 国から出られれば困るが、厳しく管理する程ではない。
(それに…)
 彼の行動を制約する原因は、手持ちの薬にあった。
 持ち歩いている瓶に半分溶けたカプセルが大量に入っていて、それを薬と固く信じているのである。
 日光で変質しているから身体に悪いし、ますます意識が混濁する。止めろと言い付けたのだが、見ていないところでこっそり飲んでいるようだ。
 取り上げた時にわんわん泣かれ、それでも心を鬼にして全部捨てたのに。
 まだどこかに隠し持っているらしく、症状は一向に好転しない。
 薬が切れれば激しい中毒症状を起こし、意識も散乱するから怯えているのだろう。
 こういう患者には縛り付けて閉じ込めるしか方法が無いのに、自分は仕事が忙しくて実行は不可能だ。
(関わっていることがバレてもいかん)
 自分はともかく、あの男はすぐに消されてしまうだろう。
 自分の名前も思い出せない薬物中毒一人くらい、簡単だ。
「畜生」



 苛々しながらもの凄い勢いで仕事を片付けたリボーンは、家族思いの研究員に混じって地上に上がった。
 今度は一週間の休暇を申請している。理由は神経衰弱にしてみた。
 太陽を見ないと発狂する体質なのだと書き散らし、わざわざ書類にして提出した。
 ちなみにそんな事実はまったく無く、半年地下で缶詰体験もして、周囲が次々精神科のお世話になっていく中一人けろりとしていた男である。

 潜っていた間に季節が変わり、集落は前にも増して閑散としていた。
 カラカラに乾いた風が木々を枯らし、各家の庭木も心なしかぐったりしている。
 そんな中、異様に生命力に溢れた一本があった。
 なんだこりゃと思うと、それは自分の家である。
 葉を茂らせた棗椰子は、乾いた地面に大きな影を作っていた。
 涼しい木陰に近所の住人が休みに来ていて、リボーンを見て手を振って挨拶する。
 中に入ると、住居は前よりもずっとこちゃこちゃとしていた。
 物が貯まっているのだ。
 割れたカメ、壺のかけら、何に使うのか分からないわらの束。
 瓶、へこんだペットボトル。色刷りのチラシ、なめし皮の切れ端。
 訳の分からないガラクタがあちこちに置かれ、その内の一カ所は、下の土が不自然に盛り上がっていた。
「あのバカ」
 リボーンはため息を吐いて屈み込み、手を使って柔らかい土を掘り始めた。まるで犬になった気分である。
 幾らもしないうち、見覚えのある瓶が現れた。
 中身は大分減って――あと十も無いだろう。
 それらを全部手のひらに出すと、ポケットに突っ込む。瓶はテーブルの上に置いた。
 そのままじっと待っていると、パタパタと素足が地面を蹴る足音が聞こえ、男が姿を現した。
「あっ」
「よ。久しぶりだな」
 走って逃げようとするのを、掴まえて押さえ込む。
 ジタバタと藻掻く手足の力は前よりずっと強くなっていた。
「飲んだのか。駄目だって言ったろう」
「飲んでない、知らないッ…」
「嘘つけ、瓶の中身が減ってるじゃねえか。姑息なマネしやがって」
「よ、よる、夜だけ…っ」
 余程怖いのだろう、涙声になっている。
 虫がどうのこうのと喚くのを、捕まえて揺さぶった。
「だから、お前のその頭のぐるぐるは薬のせいだ」
「…っ」
「もう飲むな。分かったか!」
「うぅっ」
 暴れ、唸り、首を振って拒否する。
 男の目が一瞬凶暴性を帯び、があっと唸った。倒れ込む。
「かえせ! くすりっ…か、え……ん、ん」

 熱い。
 陽の当たらない、家の中の床石はひんやりしている。日光に当たり続けている肌は熱く、乾いていた。
 自分の汗も、相手の涙もすぐに乾く。乾燥した風が水分を奪っていく。
 男の腔内は甘く、舌に残った味に薬臭さは無い。
 喉奥まで舐めると、眼が大きく見開かれた。

「…ない。全部、捨てた」
「酷い…リボーン、酷、い」
「夜だけか? 朝は?」
「朝は、起きて動くだけ…だ。眠らない…」
 重いと文句を言う口を塞ぐ。唇は熱を持ち、腫れている。
「あと少ししか、なかったのに」
「ああ」



 とにかく、人数を揃えれば良いと思ったのだろう。
 日本企業にはありがちな、上下関係の露骨な席。
 その一番端で、きょろきょろと落ち着かない様子で視線を巡らしていた。目が合うと硬直し、その後逸らすでもなくぽかんと口を開けて此方を見ていた。
 それが酷い間抜け面で。
 妙に印象に残った。



「酷い」
 責める言葉を聞きながら、薄い首元の皮膚を舐める。
 肌は乾燥し、塩辛い。噛んで引っ張ると、喉越しに唸る音がした。
「そうだな」
 多分、あの時一度会っただけだというのに。


2007.4.30 up


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