禍ツ神

 

あの日、姿の見えない綱吉を捜しまわる間中、千種はずっと一つの可能性に振り回されていたのだった。喜ばしいこと。人間的嫉妬。歓喜するこころと醜い嫉妬がジクジクと疼く。
幼い頃から彼は柿本家の当主として数々の神事を教え込まれてきた。時に直に会い、その御意志を賜る事に喜びすら感じていた。
あの方は人ではない。機嫌を損ねてはならない。
言われなくとも。
「骸様」の存在は知能の高い少年として生まれついた千種にとって、程良い抑制となった。
人の身では限界があることを知れば、思い上がりという愚かな罠にも落ちることはない。彼は常に自分の限界を見つめ、他人の限界を見つめ、その上で上位の存在である骸を崇め続けたからだ。同時に安心も得ていた。
ともすれば息苦しくなりがちな外の社会の生活に耐えられたのもそれ故だ―――

骸は人ではない。かといって、完全な神性を取り戻してしまえば地につなぎ止めることは出来ない。うつろい、変化するが神の本質である。時の概念は無く、村は忘れられてしまうだろう。
もっと悪ければ、その心の気紛れ一つで禍ツ神となるだろう。
災いと共に再来し、村を飲み込んでしまうだろう。


* * *


昨日と同じ様子で彼は其処に居た。半身を起こし、布団に入ったまま静かに此方を見ている。
犬に抱えられたまま奥の間に入った綱吉は、はち切れそうな己を戒められたまま股間を突き出し、息を荒くしていた。一体何がどういう事情でこんな恥ずかしい姿を他人に晒さなければならないのか―――
悔しくて涙がにじんだところで、少年が動いた。
「むくろさま、久しぶりー」
「そうですね。幼子の頃は良く遊びに来ていたでしょう………」
「親父もお袋もイイカオしねーんだよ。あいつら、外から来た奴らだからさ。所詮他人だろ?」
「あふっ」
世間話をしながら、寄せられた少年の唇が自分のそれを含む。
かるくジュッと吸われただけで堪えきれず、達してしまった。どくどくと溢れる精を喉奥に飲み込み、少年は嬉しそうに微笑んだ。
「思った通り、とてもいい。千種には褒美を与えなければなりませんね」
「ち………くさ…ぁ、」
「帰ってくるでしょ夕方までにさ。そんなにアイツばっかいいのかなー」
「違いますよ」
口の中のものを飲み干し、朱唇が股間を這い回る。飛び散った精をひとしずくごと丁寧に舐め取り、戯れに愛撫を与えて排出を促す。
綱吉は常に感じていた。少年に貪られる度体からなにか漏れだしていく。あるということすら知らなかった何かが。
「千種とこの子は夫婦なんです」
「???」
「犬に外の世界は分かりませんか………」
行き来する指が後ろへ這った。千種とはまた違う、そろりとした手つきに全身総毛立つ。
他人だ、違うものだという意識が捨てられず嫌がる綱吉を犬が抑え、囁いた。
「なんで?アイツ、俺と同じだもの。どっちもむくろさまのだもん」
少年は禍々しく笑った。


* * *


脳裏に二人の面差しの違う女性が浮かんだ。千種はまだ生まれもしていないというのにその情景を覚えていた。
二人とも腹が随分大きく、臨月近い状態だった。「骸様」に呼ばれた彼女たちは薬物による軽いトランス状態で、あの奥の間で契約を結んだ。

長く神に見合うだけの娘が現れなかった弊害によりしろの容姿は子供のものに戻りつつあった。若さは未熟さとあふれ出る力の象徴である。いつ禍ツ神に変貌してもおかしくない危険なバランスを、神自ら封じる為に生まれたのが千種と犬、二人の子供だった。

神子は神の力と隷属の印を受けて生まれる子供だ。彼等は神に愛され、彼等も神を愛する。深く結びつけられた魂は奥底で常に通じており、村では彼等も崇拝の対象だった。

千種は契約より十日で生まれたが、犬は十月十日を過ぎてなお生まれず、母親は過度の衰弱で瀕死の状態だった。町から移ってきたばかりの医者夫婦が立ち会い、やっと生まれたが母親は夜明けに死んだ。
幼少期、成長の遅かった犬は3年を過ぎてもまだ一歳児の姿のままで過ごし、彼を引き取った医者夫婦を怯えさせた。天真爛漫な性格が幸いし、可愛がられているがあのままではわからなかったと思う。

所詮付け焼き刃に過ぎない。
千種に骸は告げた。「私の力を循環させるだけの器を持った巫女を―――」しかし、生まれなかった。村で生まれたどの娘も素質を持っていなかったのだ。


* * *


勢いの良い、大きな男性器が身の内と外を行き来する。
刺激にしつこく勃起する先端から、その度に雫を丁寧に舐め取っていく白い貌が赤みを帯びた。
その昔、人の身に降りた神は気紛れに人と融合し、貧しい村に実りをもたらしたという。
夫婦の儀式に巧みに混じった神事では、真似事に過ぎなかった事実が本物であることを既に綱吉は思い知っていた。嫁は婿の床へ上がる前に神へ捧げられた。神気を帯びた妻を抱いて男もまた常以上の力を得、村はますます栄えたというのだ。
ただの伝説だと思っていたのに。

「疲れちった」
揺さぶっていた体を気紛れに放り出して押しのける、犬の手元に明かりが差した。
既に夕刻を回る。部屋は暗い。
夜目の効く二人を除き綱吉は盲目のままだった。這い蹲って指一本動かせない、その背に大きな影が覆い被さる。





陽が落ち、闇に沈んだ部屋の中で妻が貪り食われる光景を想像した。
時に血に狂う神の性に、犠牲は付き物だった。増して、百余年の空きの後だ。
千種は明かりを持って部屋の扉を開けた。壁に寄りかかり、くつくつと笑う犬。布団の上で縺れ、転がる二つの体。

「骸様………?」
「そうだよん」

今や青年の姿になった神がその溢れる力を文字通り注ぎ込んでいる。小さなからだが細かく痙攣し、頬が白く光った。涙。哀れだ、かわいそうに―――すまない。
求めたものを得た満足と哀れみが入り交じる。視線が上がる。はっとする。

どうして。
どうして。

ひたすらの悲しみをのせて二つの目が瞬いた。舌を絡め取られ、呻く。眉根を寄せ、汗の雫を垂らした顔が悩ましい。
外の世界で唯一愛した存在。
欲望を刺激され、腰がずくりと疼く。
すまない。



「いらっしゃい、千種」
唇を噛みしめた彼を、白い手がゆっくりと招いた。


2006.4.12 up


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