肉屋



 ガタガタと大きな物音がして、二人は振り返った。
「ヒッ」
 少年は短く息を飲み、心底恐怖の表情でそれを見た。
「あんた、何をしてるんだ!」
 最初に応対した店の主人が、先程までの愛想をかなぐり捨ててコロネロにくってかかる。
「さっさと始末しろ! 縄など解いて油断させたら味が悪くなるだろうが!」
 この男は何を言っているのだろう。
 まだ考えている一方で、本能的に体が動いた。台へ置いた包丁を握り、いつでも踏み出せるよう構える。
「あんたこそ何を言ってる」
「馬鹿な……お客さん、あんた、注文したでしょう。指定通りだよ。冷凍じゃない、大きな肉だ。正真正銘塊の! 脂は少なめの若いオス」
 そこまで言った所で、主人の顔が歪んだ。
「まさか、あんた」
 後ろにぬぼうと立つ大きな男へ、しきりに視線をやる。
「此処を知らないで来たのか…?」
「意味が分からねえな。オレはマトモな肉を買いに来ただけだぜ」
「う、うう」
 台の上の少年は、少しずつ手足を動かせるようになっていた。
 タイミングを見計らって襟首を掴み、床にずり落とすと、ウオオオと吠えるような声と共に大男が突進してきた。
 手には解体用の大きな包丁を持っている。
「てめえら、何の商売してやがる!」
 コロネロは男よりも先に、躊躇いなく握った刃を振るった。
 男は大きく力がある――あったのだろうが、動きは鈍い。刃は易々とその体を掠め、大量の血が噴き出した。





(とんでもねえ休暇になっちまった)
 コロネロは憮然とした表情で警察署の椅子に座っていた。
 今頃は快適な別荘で、自身の料理に舌鼓を打っていた筈の予定が全部これで駄目である。
 全部あの肉屋のせいだ。とんでもない。
「寒くねえか」
「…うう」
 肉屋に売られ、自分に解体されそうになったあの少年は、恐怖に目を見開いたまま固まってしまい、ううとかああしか言わない。頑なにコロネロの側を離れようとせず、病院のスタッフにまで疑惑の目を向けていた。余程酷い目にあったに違いない。
(気色悪い奴らだ)
 まったく、どこで『仕入れて』きたのか。
 彼等は家族ぐるみであの犯罪をやっていた。
 最も呆れたのは、彼等の仕事に需要があるということだった。
『肉』を目当ての客達は、あの場所へ直接足を運び、跡が残らぬよう現金で支払い、『冷凍じゃなく』『大きな肉』で、『塊』の、性別や人種まで指定して購入するのだという。
 まさか何も知らない人間が全ての条件を満たしてやってくる筈もなく――
 更にそいつが大男の体格にも肉包丁にもびびらず反撃してくるとは思いも寄らなかったらしいが。
 コロネロに斬りつけられた男も、その父親である店の主人も、奥で作業していた他の家族も皆、今は拘束されている。
 彼等はほんの少し身内の血を見ただけで降参してしまい、泣きながら助けを求めた。
 どういうつもりであんな仕事をやっていたのか、知らない。知りたくもない。
 ただ今は全ての面倒を片付け、自分の時間に戻りたいだけだった。



 署を出たのは夜もいい加減更けてからである。
 返り血にまみれた服も着替えねばならない。ぐったりと疲れたコロネロが首を捻ったり腕を振り回したりして体を解しているのを、少年はじっと見つめていた。
「お前帰らなくていいのか?」
 何度尋ねても答えは無い。彼はひたすら目を見て、何かを訴えているのだ。
 根負けしたコロネロは少年の為に助手席を開け、中に押し込んで出発した。
(まあいい。なんとかなる)
 この奇妙で哀れな被害者は、肉無しの夕食でも我慢してくれるだろうか。
 そんな事を考えていた時だった。
「このまままっすぐ行って」
 しばらくの沈黙の後、少年はぽつりと呟いたのだ。
 驚いてその顔を見ると、陽が沈み辺りが暗いだけではなく――彼の顔色はどんどん悪くなっていく。
「山道を突っ切る形で。町はもう封鎖されてるかもしれない」
「どうして」
「あんたはこの町の警察に連絡した……それは…つまり…」

 前方に赤色灯が見えた。
 車が停められている。警官が大きく腕を振って止まれの合図をしていた。
 ライトに照らされた顔は笑顔で、愛想が良い。にこにこと……既視感がある。
 昼間のあの男、店の主人とよく似ているような気がした。
「止まるな! 駄目だ!」
 少年が恐怖にかられて叫ぶ。
 それはとても嘘をついているようではない。
 僅かな逡巡の後、コロネロはブレーキからアクセルに踏み換えた。


2010.3.26 up


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