温泉休暇

 

「アイスはなしか…」
 至れり尽くせりのこのホテル、お願いすれば持ってきてもらえるのかもしれないが、中途半端に遅い時間。
 更に眠気が猛烈な勢いで襲ってきて、ものを食べるテンションでもないのだ。
 にも関わらず、綱吉がわざわざ声に出してまで不満を訴えたのは、背中から腰にかけてどっかりと居座った重さに対しての抗議である。



 やらない、と言ったのに。
 風呂に浸かって幾らもしないうちにするすると手が伸びてきて、案外ごつい手指が腰を掴んでいた。
 綱吉はそれでもやんわりと、「ん、んん!」くらいの咳払いと共に、そっとその手を掴んで外していたのだが、攻防三回目にしていきなり手首を捕らえてきた。こらえ性のない奴である。
「つ、かれてるん、だってば」
 せっかく温泉に入りに来て、癒し中心の時間を過ごそうと思っていたのに、このままだと無為な運動に身を費やしてしまう羽目になる。
 しつこく抵抗していると、細かなやりとりが面倒になったのか(こういう所は大雑把な男なのだ)いきなり背中と膝裏に腕を差し入れてきて、お湯ごとざばんと床に持ち上げられた。
 魚の水揚げじゃないんだからと未だ減らず口を叩く綱吉を、無言のまま見下ろして、隙を見てさっと身を屈める。
 ムード作りだの、雰囲気だの、以心伝心(これは違うか?)なアレコレを大切になさっている割には随分切羽詰まっていた。
 直接触れてこようとするので、身を捩って避ける。
「疲れる事はやらない!」
「往生際が悪いですね。まあ、これはこれでやり易いんですが」
「触んなバカ!」
「君ねえ」
 バカっていうことはないでしょう、暴言ですよ、等々。
 説教じみた事をいいながら尻を掴んで揉んでくる暴挙に苛ついて、肘を入れる。
 避けられた。
 疲れるから動かないと宣言した割にキレのいい動きでもって攻撃してくる綱吉を、いつもの余裕面とはまったく違う、歪んだ顔でもって止めて。
 不意にがくんと落ちた頭が背中にあたり、変な声を出してしまった。
「ぐひゃあ」
「どうしても、嫌ですか」
「疲れるんだもん……」
「別に、君は何もしなくて結構ですよ。こちらで勝手にやりますから」
「そういう…問題じゃない…」
「分かった分かりました、いれなきゃいいんでしょう」
「舐めるのも嫌だぞ顎疲れるから」
「知っています」
 とにかく一切の労働(?)をしないと誓った身だ。
 それで良いなら好きにすればと、放り投げるように抵抗を止める。
「壁に手をついて」
「もうめんどくさい…」
「足閉じて」
 あーもう。
 何をさせるつもりなのか、やるつもりなのか分かってしまう自分が嫌だ。
 自分がしてもらう、する側なら(そして相手は女性であって欲しい)、視覚的行為的に楽しいものかもしれないが。何が悲しくてたいして柔らかくもない男の足でこんなこと。
「そうですか? 結構柔らかいですよ」
「揉むな、撫でるな、くすぐったい」
「ほら動かないで。じっとして。すぐ済みますから」

 嘘だ。
 ぴたりと背中に触れた体温が熱い。密かな興奮を湛えて上擦る声と、多分、振り返ればあの目に浮かぶ欲望の色。
 歪んだ笑み、一見嘲笑のようにも見える冷酷な表情。別に君を笑っているわけじゃないんですがとのお言葉を頂いた。傷ついてささくれ立った感情を宥める為の優しいキス。
 長い付き合いの果てに、笑うのはどうやら癖なのだと気付いた。真剣な顔をしている時もあるがまあ大体は笑っている。肉体的快楽に逆らえぬ己がうんぬんかんぬん、と小難しい事を言い始めたので途中から聞き流した。やってる時にそんなこと考えるなんて余裕だなと思った。あんな忙しい作業中に。暇なんだろうか。
 腿の間から出入りを繰り返しているものを見れば成る程、身のない愚かしい行為にも思えるが、それでもつられるようにじわじわと上がる体温や、興奮して荒くなってくる息、歪む視界で自分が揺さぶられるのを感じる時、考えているのは幸福だった。自分は単純に出来ている。気持ちいいから幸せなんだと。





――結局やってんじゃねえか。
 敗北感を噛みしめる。いや…なんか後ろで盛り上がってるし、とりあえず日本人ならここはのっとかないと、と思ったりしてですね。……言い訳である。
 割と長い期間一緒に盛り上がり続けている相手は、背後にびったりとくっついて半ば身を乗せかけ、既に眠りに片足を突っ込んでいる。すごく重い。仕方ない。
 あまり眠っていなかったようだし、食事も足りているとは言い難い顔つきだった。きっと起きた直後は腹の虫が大合唱だろう。朝食を共にするにやぶさかではない。
「……アイス食いたかったなー」


2012.8.20 up


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