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通路に横たわっている彼を見た時、ツナは一瞬迷った。
ガラゴロと滑車のついた台に寝そべり、足を使って器用に船のメンテナンスをしている男は、ツナギを埃だらけにして出てくると、ツナを見て片手を挙げる。
「……」
ツナはのそりと立ち上がった彼の側まで行くと、いきなりその手を掴んで手の甲を抓った。
「何してるんだ?」
「ううん」
ツナの見た所によると、こいつは二号だ。
一号は中に地球外生命体を保管というか捕獲しているので、腹がぽっこり膨らんでいる。
その姿は妊婦の如くであるが、時折ソイツが顔を出してギャアギャア喚くので、カンガルーにも見える。ただし相当スプラッタな眺めだ。
そして残るは二号と三号。
三号は生身、つまり本物なので、痛みを感じる筈。
ノーリアクションなこいつは二号になる。
「今から食事に行くんだよ」
「そうか」
相手はあっさり頷いて作業に戻る。やはり、思った通り。
二号は食事をしない。三号も食に対する興味は甚だ薄いが、最近では一応お義理というか付き合いというか――ツナが食堂に向かう時は着いてきて合成食なり、飲み物なりを補給する事が多いし、そうでない場合も「一人で行けるか?」などと聞いてくる。
どうも子供扱いされているようだ。
仕方ない。ツナは小柄で年齢の分かり難い日系で、しかも気が弱い。
失礼なと抗議する気力もない。なんでもいいやもう、という気持ちである。
「おはよう」
食堂に入ると、先にメガネが定位置に着いていた。
このメガネは船長の権限を持つエリートで、様々な宇宙航行技術を持ち、おまけに胃痛まで持っている。
苦労性なのだ。
なんとも、お気の毒である。
メガネはツナをチラリと見ておはようと言ったが、その顔はどこまでも無表情に近かった。
また計算が合わないとか近くの星から特殊な信号が出たのだろうか、もしくは…
「……」
ツナは調理器へ行くふりをしてメガネの横からさっと手をのばし、その手を抓ってみた。
「痛っ! いきなり何をする!?」
「ううん」
メガネは散々悪態を吐いていたが、ツナが取った行動の意味も正しく受け取っていた。
やれやれという仕草で首を振り、額に手を当てて唸る。
「僕に分身はいないよ」
「ふうん…」
「信じてないな」
先程通路で会った機関士(あれは二号だけど)は、生身の自分の他に代わりを二体まで保持していた。
この大きな船の世話をする上で、アンドロイドの分身はすごく便利なのだそうだ。
使ってみるかと言われたが、見た目も声も仕草も本人と殆ど変わらない相手に、偉そうにああしろこうしろとは言い難くツナは断った。そもそも仕事が無い。
メガネは彼等の見分けが一目でつくらしく、最初の頃態度が冷たく見えたのも、シンプルな指示を与えた方がアンドロイドは混乱しないという、効率を考えた行動だった。
知ればこれほど簡単なことは無いわけで、初めこそ無愛想で得体の知れない意地悪な乗組員と思っていたが、馴染んでみればそれなりに良い奴と言えなくもない。
それなりに。
「何か面白いことないかと思って」
「ない」
即答されてツナの眉が八の字になる。これだもんな。
メガネはまったく面白味に欠ける性格で、なんとツナほどのユーモアもない。
非常にクールな男である。まだアンドロイドの方が相手をしてくれる。
ツナはスゴスゴと引き下がるしかなく、みるからにションボリと調理器の前まで行き、ノロノロとボタンを押した。
まず先に容器がカコンと落ちてきて、上にどさりと合成食が振ってくる。
なんというか、情緒のかけらもない眺めなので、出来るだけ見ないようにして完成を待つ。味は中の下ぐらい。
「……」
むっつりと押し黙ったままさじを口に運び始めたツナを、メガネはちらちらと伺っていた。
あんな態度のクセに、気になるようだ。ツナは更にガッカリした風情ではああ、とやってやった。
「…だから、最初に言ったろう。する事が無いんだから起きてても退屈なだけだって」
「俺そんなに邪魔?」
「…」
メガネはちょっと考えているようだったが、否定はしなかった。
「どうせ…俺なんて……畜生いいよ! 寝りゃいいんだろ?!」
「寝るのか」
「……」
喜ぶかと思いきや、此方の態度も微妙だったのでツナは混乱した。
一体こいつは何がしたいのだろう。
二人は無言で睨み合ったが、その内メガネはぶつぶつと口の中で呟き、それをツナが聞き返す間もなく自分の領域に引っ込んでしまった。
「なんだよ…」
一人になった食堂で、ツナはもうひとさじ口に運ぶ。
不味い。イラッとした。
五時間後。
寝ぼけまなこのメガネが夜食を求めて食堂に降りてきたところ、ツナはまだその場に居て、何かごそごそやっていた。
「なんだ…」
てっきり臍を曲げて長期睡眠に入ったとばかり思っていたので、姿を見て驚いたのだが。
それにしても、こんな所で一体何を。
「これで、うん。今度はどうだ」
「何をしているんだ?」
「わーっ!」
気付いていなかったらしく、ツナは調理器の前を掴んで飛び上がった。
その拍子にボタンが押され、カップが降りてくると、其処になみなみとスープらしき濁った物体が注がれる。
「君も夜食か……ん?」
ふわりと鼻先に香った、独特のその匂い。
メガネはカップを手に取り、ふうふう冷ましてからおそるおそる口を付けた。
「…味噌汁だ」
「へへん」
ツナは得意気にふんぞり返り、威張っていたが、そのうちメガネのカップをひったくるようにして掴み口に運んだ。
「間違いない、味噌汁だぞ。成功成功」
「これ」
「成分指定して何十回も試して、ようやくこの味になったんだ」
成る程、床を埋め尽くす程のカップの正体はこれか。
メガネは納得し、次いで改めて男の功績の偉大さに関心した。
食料合成は、理論こそほぼ完璧にまで近付いているが、味の点では非常にさじ加減が難しい。
元の味に近づけるのは指南の技、大抵は濃い味付けやシンプルな料理が一番食えるという事になる。だから日本食なんていう薄味の微妙な調整を必要とする類の味の際限は、まず不可能とされてきた。
それこそ何十回、もしくは何百回もの挑戦で、ようやく発見される絶妙な配分――
それをこのぼんやりしたチビがやり遂げるだけの根気と舌を持っていたとは。
「すごいな。味噌汁だ」
「味噌汁だろ?」
二人は先程の諍いも忘れ、夢中で味噌汁を啜った。
2008.6.13 up
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