@ザンツナ
ボンゴレで働く使用人の多くは、専門の教育を受けている。
安い給金でも人は雇えるが、その質と、主に対する忠誠までは至らない。
様々な歴史としがらみのあるボンゴレの場合、特にその二つが要求される。
彼等、彼女等はまず、良い使用人とは、家具のようである事だと叩き込まれる。主人にその存在を意識させることなく、空気のような在り方で仕え、どんな事態にも取り乱さず、秘密にしておくべき事は黙し……否、そもそも見ていないかのように振る舞うべきだ。
ボンゴレは先代から当代への継承で、ちょっと――いやかなり、ゴタついた。
最大の原因は当主の座に着いた人物の成り立ちである。
彼は先代の息子でなく、またイタリア人でさえなかった。
遙か遠い海の向こう、小さな島国の一般家庭で育ち、骨の髄まで庶民感覚の染み渡った男――ボンゴレの長い歴史の中で今の主人よりやり難い方はいないと使用人に嘆かせる程甲斐性のない人物である。
とにかく、遠慮する。
すぐ謝る。すみませんと言う。鷹揚に構えておればよいものを、茶ひとつひっくりかえしただけで青くなる。
威厳など欠片もなく、使用人と口を利くのにも一々緊張している。
まるで用事を言い付けるのが罪であるかのようだ。
それでは困るのだった。
彼等そして彼女等の仕事は、存在意義は、その字の通り主人に仕える事なのである。
皆いつもどこかで思っている。
今のご主人様は無茶を言わない。
我が侭でもないし、私達に対する扱いは過ぎる程に丁寧だ。
お優しい。それは、嬉しい。
でももっと、頼りにして頂きたいのだと。
汚れ物を申し訳なさそうに手渡される瞬間。
お茶をお持ちすれば自分ですべてご用意されている時。
気分が悪いのにもかかわらず、大丈夫と断って自室にヨロヨロとした足取りで戻られる背を見送る。それはもう真っ青な顔色であるのに。
そういうものを見るのは本当に辛いのだと、訴えられたらどんなに良い事か。
しかし使用人たるもの主人に意見するなど決してあってはならない。
だからこそ彼等彼女等は辛抱強く待っていた。
自分たちの主人がいつか、躊躇う事無く命じて下さる瞬間を。
無論謝りながらではなく。
その時が来たら自分たちはどんなに困難な事であろうとも、全力を尽くしてその意に沿おうとするだろう――
扉に手をかけようとした瞬間、聞こえてきた悲鳴。
それは我らが主のものであり、ただごとならぬものだった。
即座に身体が反応し、思考が研ぎ澄まされ、必要事項が脳内に整然と並ぶ。
いかなる場合も例外はない。如何致しましたかと断って、重厚な扉をノックする。
じりじりとした思いで耳をそばだてれば、「助けて!」とのお言葉が即座に返ってきた。
救助要請である。
扉を開け、素早く中の様子を確認しつつ礼をする――失礼しま……す。
途中で言葉が途切れたのは不敬に目覚めたのではない。
光景の異常さに、流石の心構えも咄嗟に対応不可能だったのだ。
「助けてえええ!」
主の姿は部屋の中にあった。
その身が傷付いているのでも、命の危険に晒されているのでもない。まあある意味危険なのかもしれないが、見ている限りではそう危なそうな気配はない。
「うるせぇ、わめくな。耳に響く」
「アウ」
アシカのように喘いだ主が、涙をためた目で此方を向く。
たじろぐ姿を見られる訳にはいかず、表面上は平静を装って何か御用でしょうかと尋ねる。
細かな震えを抑える為にぐ、と奥歯に力を入れて。
「見たらわかるだろおおお! はや、はやく、俺を」
珍しく厳しい語調だった。
というか、切羽詰まっていた。無理もない。
我らが主は先代の息子の膝に抱えられて藻掻いていた。
「助けて!」
どうしたら良いのだろうか?
こういう場合の対応はマニュアルに載ってない。戸惑う使用人の前で主人は半分泣き出していた。
「目が覚めたらこ、こいつが」
「あぁ?」
「おれ、だっておれ、さっきまではディーノさんと一緒にッ」
先程まで主人は親交の深いファミリーのボスと、親しげに茶を飲んでいた。
同盟間ではボンゴレに次ぐ発言力を持つ、キャバローネの当代当主。
彼はこの年若い主人を非常に可愛がっていて、その様子はまるで猫可愛がりである。
挨拶は熱烈な抱擁と複数のキスから始まり、二人きりでいると腰に手をまわす、膝に抱く、頬を寄せて何やら囁く。
時にそれは過剰であり、いっそ愛し合う男女の様相を呈してくるので、視線のやり場に困るくらいだ。
無論、ボンゴレの使用人である以上はそんな場面を前にしても彫像の如き無表情かつ直立不動でその場に立つ。
しかし、今主人を抱いているのは正反対の人物であった。
いわば当代がボンゴレの当主となる障害、一番初めにその座を争った男だ。
決着が付いてなおその溝は埋められず、半ば独立の形で彼は自分の組織を動かしている。
……とばかり思っていたが、違うのかもしれない。
「そもそもなんで此処にいるんだよ!」
「……」
ふと気付く。
確かに、この部屋は先代の息子である彼が使用していた部屋の一つだ。豪華な調度品がしつらえてあるが、その耐久性という意味において他の部屋と違う。
此処にあるのは丈夫なものばかり。部屋の主の苛烈な気性により、破壊されることのないよう気を遣った物ばかりがそのまま残されている。
だからその険しい表情の意味は、『それはオレの台詞だ』的なものなのだろうが。
それを口に出さず、視線に込めて見ている。でも、多分。
主人に伝わる事はない。彼は優しいが、そういう細かな事に気付くような繊細さはないのだ。
この部屋の特徴はもう一つある。
天井が高くとられた空間を十分にあたためるため、此処には大きな暖炉が取り付けられている。
冬はかかさず火をいれるようにしているので、あたたかさに誘われた主人が特にこの部屋を気に入り、親しい来客は此処へ通すようにと言われている。
季節が変わりこうして暖かな日が続いても、同じ用途で使われているのだ。
そのような事をずらずらと思いついたとして、説明する口は持っていない。
ひたすら無言で主人の命令と、元主人の一人である男の機嫌を天秤にかけるしかない。
その判断はすぐに下せるものではなかった。
「てめえが」
やっと口を開いたか。
どこもかしこも苦々しく歪められ、そんな嫌そうな顔をするぐらいなら下ろせばいいのにと見ている方は思うのだが、なぜかそんな気配すらない。
「勝手にひっついてきたんだろうが」
「え」
ああ。やはり。
先の話題にあったキャバローネのボスは、よくこの主人を膝に抱き、子供をあやすように愛しむ事があった。
本人は多忙故に既に屋敷から去っていたが、別れる時もきっとそのままだったのだろう。眠っていて、起こすのは忍びない。なら――そのまま寝かせておこうと。
主人はここの所ファミリー間の抗争、補佐役のしごき、部下の暴走等々、トラブル続きで疲れている。
入れ違いに入ってきた人間に縋ったとして、誰がそれを責められようか。
まあこの場合は相手が悪かった訳で。
「起こせよ!」
「はァ?」
「なんでこんな時だけ気ィ使って、なんかいたたまれないよそういうの!」
「誰が」
恐怖より恥ずかしさで叫ぶ主人と、放っておけば良かったのにそのまま居続けてしまった元、主人はそのまま子供っぽい喧嘩に突入してしまった。
その激しさに、しかし些かも動揺する事無く礼、の後場を辞す。
あれは単なるじゃれ合いだ。
そのうちとっくみあいの喧嘩に至ったとして、この部屋は丈夫に出来ている。耐えるだろう。
「お前ならドツいて起こすだろ! 男の膝で目を覚ますよかそっちのがマシだー!」
「…今からやってやろうか」
2011.7.26 up
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