こんな重いモノを、俺はかつて背負ったことがない。文字通り重く、別の意味でも重たかった。恐らくこの国一番に。
「王子、目、冷めてるんでしょ?自分で歩いてくださいよ………」
馬は途中潰された。フードを被っていても、それが貴色の紫だったりするともう駄目だ。青紫の上等なマントは引き裂かれ、ぼろぼろにされうち捨てられた。馬の足に棒が振り下ろされ、この国一早い足は砕かれた。遠い国から来た悍馬は千金を積んで買われたのに、農民の一撃で永遠にその価値を失ったのだ―――
「………なぁ」
「王子?やっと起きた?」
「のど、かわいた…」
「……このクソ王子」
少し前までは考えられない悪態を吐きながら、ツナは背中の荷を降ろした。大きな木の根本にどさりと投げおとされたベルは土埃で汚れた頬を撫で、ひび割れた唇に触れている。
「いたい」
「ほら水です」
革袋に少しだけ残った水を口に入れてやると、喉を鳴らして飲む。不意に持った袋ごと腕を掴まれ、その場に倒されて唇が重なった。
生ぬるい、唾液の味のする水が喉奥に流れ込む。
ツナは渋々ながらそれを飲み下す。ごくりと喉が鳴るとベルは満足したように口を離し、ケラケラと笑った。まるで緊迫感の無い顔で。
「そんだけ元気なら自分で歩けよ」
「やだ」
唇を拭って立ち上がり、辺りを見回す。夜は深く、月は無かった。追っ手がかかってもわからないし、向こうも此方が分からない。
膠着状態だ。
(でも………)
ベルを見る。王子がいるかぎり、国民の誰もが残酷な追っ手となるだろう。国が根本からひっくり返った今、この狂った王子と一緒に居る事がどれだけ危険か。
「出発しましょう」
「…面白いね」
「何がですか」
「敬語とタメ口、ごっちゃになってるよ。無礼だなあ。王子だぜ、オレ」
歌うように言うそれに悲壮感はない。ただ、皮肉っぽくつまらなかった。
ツナは無視して歩を進めかけた。
「マジで逃げ切れると思ってんの?」



振り向くと王子は長い前髪の合間から、恐ろしいほど冷静な瞳でツナを見据えていた。
「万が一無事に森を抜けたとして、川を渡るには手形が必要だろ?渡し守に顔を見られるぜ。この真冬、泳ぐわけにもいかねーし。っつかあんな泥川で泳がないけどね、オレ王子だし」
「………違う」
むやみやたらに悔しさが込み上げてくる。
「あんたはもう、王子じゃない。ただの人殺しだ」
「ひっでえなぁ」
王子は笑う。ツナは必死で言葉を紡ぐ。死ぬ気で逃げなきゃ本当に殺されるんだ、皆あんたを狩るんだよ。今までの悪行のツケがさ………貯まりすぎて重たいんだよ。
「だから、いいじゃんそれで」
「はあ?」
「悪い王様とお后と王子様が正義の名の下に成敗されてさ、めでたしめでたしじゃん」
「何をバカな」
「お前も行ってバンザイしてろよ。王子でも無いオレに付き合う義理はないぜ」
「拗ねんなよッ!」
頬のふくれた子供っぽい顔を睨み付け、ツナは怒鳴った。
なんでいきなり正気かえってんだ、何普通の人みたいな事言ってんだ。
今までの悪行を、狂気を、横暴を、傲慢を。懐かしむ訳じゃないけど、それじゃ他の人みたいだろ………
「知るかそんなもん。ほら行くぞ!歩け!」
「やだ」
「歩け!」
「やだね」
「歩けよぉっ…!」



革命軍が雪崩れ込んできた時、やっとこれで終わるのだと思った。
毎日着たくもない絹を着て上等のサンダルを履き、ひたすら王子様のペット、玩具として弄ばれるのも、蔑まれるのも、なぜあいつだけがと嫉まれるのも全部終わる。今まで通り、故郷で暮らせる。
そう思ったのに。

違っていた。革命は新しくはあったが、正しいものであるかどうかは未だに分からない。
城に入ってきて軍が始めにしたのは殺戮と略奪だった。侍女や立てこもっていた兵の妻が引きずり出され、宝石を毟られ広場の中央で辱められた。
(なんで)
女達は被害者の筈だった。同じ側だ、仲間だろう?常に一緒に王と王子の脅威に怯え、何時倒れてくれるかと囁き合う哀れな同士だった筈だ。それが、もう、

滅茶苦茶だった。

愛用のナイフを磨いて第一陣を待つ上機嫌な王子を、ツナは止めずひっそり後で見守った。自分も剣を握ったが、考え直して荷物を取ってきた。国へ帰るための準備が、何故か二人分の水と食料を詰めていた。



「頼むから……歩いて…ください」
どうしてなんだろうかと、ツナは何度も思った。
城から逃げ出した後、返り血まみれの王子を、ベルを引きずって馬に跨り、走り続ける間も………追っ手に矢をいかけられた時も………売れば財産になる馬を犠牲にして逃げながら、考え続けた。
「俺……死にたくない…」
正直な気持ちは其処なのだ。ツナは、死にたくなかった。
ついでにこの人殺しが、息絶える瞬間を、出来るならば見たくなかったのだ。
堪え切れぬままぼろぼろ涙を零し、鼻を啜り上げる。ツナがズズーっと盛大な音を立てて鼻をかむ間も、ベルは黙ってそれを見ていた。
「………剣寄越しな」
「は?」
「死にたくないんだろ」
言われるまま剣を差し出す。すると、待っていたように四方から人がわき出てきた。
追っ手だ。
皆暗闇に目を凝らしている。確かめようとしている。あっと思いツナは剣を取り返そうとしたが、遅かった。既にベルは王家の紋章の刻まれた剣を抜きはなっていた。
―――バカ王子!
案の定、一斉にうちかかってくる。3人切り伏せた所で劣勢になった。ベルは人殺しだけあって腕はいいが、今は疲れ、ろくに休んでも居ない。そして敵の数は多すぎた。


* * * * *


腕に焼け付くような痛みが走った。
覚えのある感触に全身の血が逆流し、次に冷えた。吹き出した血が地面に撒き散らされる………もうこの場は長くもたないだろう。
前は直ぐに清潔で乾いた布があてられ、止血された。手当は医師が。怯えながら侍女が傷を、治るで看てくれたのだが、深さは大したことがないようだった。
今は多分違うのだろう。血の勢いは強く、急激に体温が下がる。傷口を押さえて蹲ると頭上でガァンと音がした。
くそったれ。触んな。ベルの、およそ王族らしからぬ悪態は下町育ちのツナと良い勝負だ。
高貴なお育ちはどこへいった―――笑いが込み上げてくる。
「コイツはオレが、好きなときに殺るんだよ。お前等が手ェ出してイイ獲物じゃないぜ」
矢を弾く。剣を弾く。攻手一辺倒だった剣先が慎重な動きを見せ始めると、場は僅かに緊張を含んだ。なんてこった、自分のけらいじゃあないのか………聞こえてくる呟きにツナは苦笑する。
この人にそんなもの、あるわけないだろう。
餌か、そうでないかの違いしかないのに。
周りの視線が幾分同情を含んだところで、ツナの意識は急激に薄れていった。恐らく失血による症状で。

だから、後の事は霞がかったような視界でおぼろげにしか覚えていない。

暗闇の中無数の足音が向かって来て、四方から黒い影が飛び出した。中央で高々と剣を掲げる王子を避けて交差したそれが後に残したのは今まで二人を取り囲んでいた者達の死体で、しかも、奇妙だった。精気を失い、ひからびていたのだ。
ざわざわとうろつく影が中央で立つ王子の前で一つにまとまり、やがて人の形を取った。
(死神―――)
「酷いなりをしているな」
「まァね」
ニイと笑う王子の口は三日月の形になっている。
禍々しい笑い方に負けないくらい、その人物は怪しかった。
しかしその落ち着き払った態度、通じているような雰囲気―――王子はこの人を知っているのか。待っていたのだろうか?わざわざ剣を振りかざして王子と知らせたのは、あれは合図だったのかもしれない。
「そんな状態で払えるの?僕は高いよ、知ってるだろう」
「帰ったら宝物庫ごと払ってやるよ」
「足りるかなぁ」
「支払う宝物庫は二つある。足りるね、完全に。っつか足りろよ」
「そこの死にかけはどうするんだい?」





王都入りした王子の行動は早かった。
何しろ革命は既に大半が沈静化していたのだ―――隣国の干渉により。彼の叔母に当たる人物が嫁ぎ、皇后として権勢を振るっていた。その支配が及びかけたぎりぎり合間を縫って速やかに帰還した彼は王子から王へ、ほぼ独断で即位した。
僅かな兵力で(噂では一人の幻影師の手による、傀儡の軍団だった)城を奪還すると、王と兵の血で汚れた王座に座り、揚々と現れた叔母へ、図々しくも再建資金の援助を命じたという。逆らえば、国ごと滅ぼすと脅しをかけて。
あんたが何をしたか、オレは知ってるんだぜ―――青ざめた女の顔にそう言葉を叩き付けると、王はまるで何事も無かったかのように王として振る舞った。徐々に城に人が戻り、兵が揃えられた。以前のように、以前よりも勢い良く、国は国としての形を取り戻していった………

この戦いで一つ、真に新しいことと言えば。

城の北側に高い物見の塔が建てられた事だろう。敵国も―――勿論自国の反乱軍も、即座に対応出来る軍事強化の一端とされているその塔のてっぺんには小部屋があった。王の自室近く、通る者の限られた通路から繋がったその塔では、時折人の姿が見られたが、やがて"いつも其処にあるもの"として、当たり前に国の風景に馴染んでいた。その証拠に、たまに塔外側の階段を見回る兵や大工は言う。
あそこには物見係が―――恐らく戦で腕を負傷した兵が一人役目についているだけで、特に珍しい眺めは無いと。

 


2006.12.3 up


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