04.

 

 高校生活三年間のトラウマの集大成が目の前でたばこをぷかぷかと吹かしている。
 未だに信じがたい思いで一条は店員にとりあえずビール、と言っていた。本当は酒などまったく飲みたくないが、万が一警戒されたら困る。逃げられたら元も子もないではないか。
「お前は何にするんだ」
「俺もビールでいい」
「……」
 ピクリと一条の眉が動く。『でいい』って何だ。何。何お前。
 さっきから壁のポスター見てニヤニヤしてもう完全にビールが飲みたいんだろうが? それをもったいつけた言い方で『でいい』って。オレがとりあえず頼んだのにわざわざ合わせてやったぜ的な事なのかもしかして? ええなにそれ凄く気分悪いんだけどー。
(このやろぉぉぉぉ)
「やっぱりやめた。ビールじゃなくコークハイにする」
「は?」
「なんだ文句あるのか」
 いや別に文句はねぇけど……とぶつぶつ口の中で呟く伊藤開司を見ていると、なんだか腹の底からむかむかと熱い怒りが込み上げてくる。
「オレは今猛烈にコークハイが飲みたい気分なんだ。ビールなんて、フン、あんなもの。クソみたいに暑い時か揚げたてのからあげを食べる時にしか美味くないじゃないか!」
「あ、それとこの『カラッと揚げたてからあげ』一つ」
「ぐっ…!」
 空気読めよお前!!!!!!!
(フツー最初の飲み物と同時に頼むか? まずは一杯飲んで口を湿らせてから先付けなんかをつついて、穏やかかつ大人なカンジで近況などを報告し合う時間だろ?! なんだ『カラッと揚げたてからあげ』って腹減ってんのかお前は!)
 しかしカイジはそれ以上頼む事はなく、パタムとメニューを閉じおしぼりで手を拭き始めた。
 その表情は弛緩し、警戒心の欠片もなく、視線は上滑りし自分に留まる事はない。
 完全にもうすぐ来るであろうビールの事しか考えていない顔である。
(ぐぬぬぬ)
 警戒されても面倒だが、無視されるのも気に食わない。
 一条の手の中で安物のおしぼりはギュウギュウに絞られ、捻られ、ぶちぶちと繊維が千切れていく。
 しかしそんな事など一向に知らぬカイジは、店員がビールのジョッキとコークハイのグラスを持って現れた瞬間、
「おおー」
 案の定。
 控えめながらも歓声をあげる歓迎っぷり。嬉しそうである。
 酒好きかお前。ビール好きなのか。
(…よし)
 一条は心のメモ帳に『伊藤開司:酒好き ビール?』と記しておいた。
 人の好物や弱点は、覚えて置いて損はない。
(まあ別にこいつの機嫌なんかまったく窺う必要は無いわけだがフフン。一応だ一応)
 例えば将来カラッカラの砂漠に行き倒れてる目の前でよ〜く冷えた生ビールを一気飲みしてやる時のためにな…!
 クククと喉奥で笑いながらグラスを掲げる。
 しかし相手はジョッキに口を付け、既にいい飲みっぷりを披露しているではないか。
「早ぇーよ!」
「だってお前、一人で何か笑ってるし。楽しそうだったし。邪魔しちゃ悪いかと思って…喉も渇いてたし」
「ちょっとも待てないのかお前はッ!」
「……なんか、お前、相変わらず」
 しみじみと、カイジは言った。
「うるせぇなぁ…」
(誰のせいだと思ってるんだァァァ!)
 オレとて静かに大人な話し合いをしたいわ! それをお前がイチイチ気に障るような言動するからいかんのだろうがアホが! 大体それを言うならそっちこそ空気読まねえわぼんやりしてるわ何考えてるか全然わからんアホ面しやがってェェ!
「すまん、つい興奮してしまって……いやなに、懐かしい顔に会えて嬉しくてね、カイジくん」
 一条は内心の叫びを押し込めて、笑顔を浮かべる事に成功した。
(こちとら上司へのごますりで鍛えた分厚い面の皮があるんだよ。ケッ)
 心にもない事を言ってみる。
(まずはこっちが引いて見せるからな……出世を目指してすりにすりまくったかいあって、今ではこんなに立派に大人なオレだよ!)
 見せつけてやるぜとばかりニコニコと笑ってみせると、カイジは若干たじろいだ様子だった。
 オレの余りの大人さ加減に感動したかと得意になってみる。
「お前、雰囲気違わねえ? ちょっと変わった?」
「そうか? ハハハ」
「それはそうと」
「あっさり流してんじゃねえー! 次はお前の番だろ?!」
「???」
「大人の流儀だろうが! プロフェッショナル! なんか褒めろなんか! なんかないかあるだろぉぉ?!!」
「な……ない」
「ねえのかよ!」
 ガタンと強く叩き付けたグラスから、中身が零れまくる。
(ダメだこいつと居ると頭痛くなってくる…)
 頭を抱えてテーブルに伏すと、やっと相手はあぁ…と反応があった。
「そうそう、そんな感じだわ。やっぱ変わってねーなー」
 そうかよ。
(確かに…)
 昔も反応のないこいつに、怒鳴って喚いて小突いて……よくこんなになってたような気がした。
 懐かしいというより苛立たしい思いである。
「それで?」
 まあ、まあいい。
 別にこいつの対人スキルが以前に比べてもまったく進歩の無い件とかは、この際どうでもいい。
 一条は油断なく気配を探り、元クラスメイトのからあげをモグモグしている口をじっと見据えながら尋ねた。
「昼間からオレの店に来てくれて、ガンガン台回してくれてたみたいだけど。今は……何してるって?」
「別に。何も」
 ひくり、と口元が引き攣る。
「何も?」
「どうでもいいだろ、んな事…」



 ゆっくり話をしてみたかった。
 何をしているのか興味があった。
 店で会った時、とりあえず店長落ち着いてくださいと部下に言われ憤りつつ落ち着いた後、誘ったのは一条の方だった。
 何時が都合が良いかと尋ねた時、カイジはいつでも良いと答え笑った。少し歪んだ、嘲るような笑みだ。
 てっきり――自分をわらっているものだと思いこんでいたのだが。
 居心地悪そうに視線を逸らす、その顔を見てピンと来た。
(こいつ…!)
 このオレを。
 自分を追い詰め、打ちのめし、敗北感でいっぱいにしておいて。
(そんな事が許されると思っているのか……?)



「てめえコラカイジィィィ!」
「うわっ」
 沸いた感情は、第一が怒りであった。
 立ち上がって襟元を掴み、ぐらぐらと揺さ振ってやると、カイジは目を白黒させて唸る。
 ついでに店内の他の客も通りすがりの店員さえもキョトンとしていたが、いきり立つ一条が場の雰囲気を察するには多少の時間を要した。

 

 

 

 

2010.5.24