03.
高校時代のクラスメイトを前に、一条の形相はえらいことになっていた。
伊藤開司――大人しいながら協調性の欠片もない問題児。
年がら年中面白くもなさそうな顔で、反応は当たり障り無く。
友人と呼べる特定の人物もいない。クラス行事にもあまり熱心ではない。目立つような動き方はしない。
がしかし、さりげなく問題児なのである。
クラス委員も兼任していた一条は相当手を焼くこととなった。
やる気のない教師には放っておけば良いと言われていたが、出来る性格でないのが自分だった。結局あれやこれやと世話を焼き、孤立していた彼を引っ張ってクラスの輪の中にブチ込もうとしたのだった。
そう――努力はした。
(がしかし……敗北っ…!)
カイジの心の壁は異様に厚く、一条がどんなに愛想良く話しかけても、親切にしてやっても、また逆に怒鳴り散らして殴りかかっても殆ど反応が無いのである。
うるさそうに、少し眉を顰めて「うん」なのか「ううん」なのか分からぬ返事をして、するりと去っていく。なにをやっても打ち返してくるものがない。ロクに口さえきいてくれない有様である。
当然、一条とて「みんなで高校生活楽しくしようぜ!」なんてご立派かつノーテンキな動機でそんな活動をしていた訳ではない。
そう……この辺りは自分の思うとおりに人を動かし、権力を握る快感に目覚め始めた辺りである。
(フッ、懐かしい…)
今は完全に開き直ってしまっているが、当時は結構悩んだ。
何を考えているやらさっぱりなカイジの仏頂面を拝む度、こいつは全部分かっているのではないか、オレの化けの皮を剥がす機会を窺っているのではないか――
そんな事を疑っていたのである。
嫌いだった。
出来れば無視してしまいたかった。
なんの反応も無い相手に無駄玉撃つより重要な事は沢山あった、が。
それが出来るほど当時の自分は腹が据わっていなかったのだろう。
一条は苦痛を感じつつも伊藤開司に関わり続けた。
顔を見れば声をかけ、昼飯に引きずり出し、休んだ日は課題を届け。
我ながら健気である。
(そんなオレにこいつはっ…!)
不本意ながらも"仲良く"していた一条はある日、思わぬ状況でカイジの本音を聞いてしまった。
教室移動時、モノグサ教師に用事を言い付けられ資料を取りに行った時の事である。
サボリ組と見られる数人の姿が見えたので、注意してやるべく追いかけた一条は、珍しくクラスメイトの輪に入っているカイジを見た。
と言っても一緒なのかそうでないのか、かろうじて同じ方向に歩いているというだけかもしれない、微妙な距離を置いての歩み。
ノロノロとやる気のない速度で、逆に声をかけ辛い。
なんとなく場を見守っていると、話題はごくあっさりとクラス委員長、そして卒業を前に先月生徒会長の役を退いたばかりの自分と、カイジの話になった。
未だ甘さが残る学生時代と言いつつも、一条は自分の立ち位置を正確に覚っていた。
自分は性格の良さや人望で票を集めた訳ではない。
多少煙たがられている事も知っていた。今更悪口を言われて――腹は立っても傷付きはしないだろうと。
むしろどうイヤミったらしく登場してやろうかと考え、ニヤニヤしていた所だ。
ところが話の風向きが普段は目立たぬカイジに向いた事で、少々様子が違ってくる。
自分の悪口に顔色を変えるでもなく、淡々と聞いているカイジに、一人が話を振ったのだ。
「お前、今言った事チクんなよ」
「はぁ…?」
其処で初めて口を開いたカイジは、何を言われたのか理解できないという顔で、眉を顰めた。
「なんで」
「だってお前一条と仲良いじゃん。メシも一緒に食ってるだろ」
「別に…」
良いわけではないと暗に示す顰め面。
思わぬ質問とカイジの反応に動揺し、反射的に息を潜める。
「どうでもいい」
何故か分からないが、一条はその場から走って逃げた。
(クソ…)
未だによく分からない。
『こんなにクラスの事を思っている自分』『頼りになる委員長』という立ち位置を、伊藤開司を利用して演じていた筈だった。
それを見透かされているかもしれないという危機感もあった。予想できる反応。
そもそも、奴の事など大嫌いだ。
なのに。
何故かその時自分は精神的に立ち上がれない程のダメージを受けた。
表面上は何もなかったように振る舞いつつも数日体調が優れず、寝付きも悪くなってしまう有様。
一番大事な時期だというのに…
受験に向けての最後のツメで、体勢を立て直すのにどれだけ苦労したことか。
普段通り、それが一番苦痛だった。
『嫌い』なら、まだ。
カイジが自分に示したのは完全な無関心だった。責めようにも腹を立てられない。
他の者のように鬱陶しいとか、威張ってるとか、言い方がキツいとか顔がキツいとか時々エグいとか言う、悪口の方がまだマシ。
あれだけ一緒に居てお前、オレの事はどうでもいいのかよと――
あれほどの敗北感を味わったのは、後にも先にも無い。
歯を食いしばれない。力が入らなかった。
訳の分からぬ悔しさで、一条はその時初めて膝を着いたのだった。
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2010.5.12 |