◇
シャツの隙間からのぞく肌は、体温があるのだろうかと思うほど白かった。
暗闇でもくっきりと浮き出るその色に、視線が釘付けになる。
固そうだな。
全然、楽しくはない。
さっきまで、ぐらぐらと沸騰しそうな程沸いていた熱は速やかに去ってしまった。自分は負け、残るは支払いのみで、この時間はいつも嫌なものだった。
今日のはとりわけ気分が悪い。
せめて目を瞑っても、相手の体にはいがらっぽい煙草の匂いが染みついている。
馬鹿な真似だと笑い飛ばしてしまえばいいのだろうが、それ程の慣れもなかった。
「な」
ぺしぺしと頬を叩かれ、嫌々視線を向ける。
「どうすればいい?」
其処には自分以上に微妙な顔をした男が居て、そんなに嫌ならやめりゃあ良いのにと思う。が、口に出して言うのはプライドが許さなかった。
「どうもこうもあるかよ。つーか俺に聞くな…」
「希望、聞くだろ? 一応」
「さっさと済ませてくれりゃあ一番いい」
なげやりな返事をしながらカイジは内心首を傾げた。普通聞くもんだろうか。
生憎自分は誰かと付き合ったことも、女とそういう関係になった事も無い。
(こいつは慣れてんのか?)
生意気だなぁと思いつつも、それにしては手際が悪い。
大体自分が出来るか出来ないかぐらい、さっさと判断して――出来るなら見切りを付けて欲しいものである。
目の前で神妙な顔をしているこの男は、こうして見ると随分と若そうだ。
最初に男が部屋に入ってきた時、もっと年がいっているように思えた。上かどうかはともかく、気配が尋常じゃなかったのだ。
それまでカイジが相手にしていた男達はあからさまに顔色を変えたし、それまで盛り上がっていた勝負も白けてしまう程だった。
すごい奴らしいというのは、不敵な面構えとヒソヒソ話で見当はついたものの。
何の準備もせずに唐突に始めてしまったのは、今思えば完全な失敗だった。
男は尋常じゃなく強く、半日かけて積んだ金はみるみるうちに消えてしまった。
よむ、よまない、そんな話ではないのだ。
間違いなくそれで食っている人間の筈なのに、男の振り方はまるで執着がなかった。絶対に捨てきれない筈のものをぽんぽんと切っていく。
(別のもん見てるみたいだった)
終わってみれば、負けていた。
否、足りなかった。
しかし賭けは――カイジが賭けていたものは、金だけではなかったのだ。
「金は持ってっていい。けど、こいつは……俺のじゃねえんだ」
「ふうん」
卓の上に置かれた金と一緒に、絹の袋に包まれた短刀があった。
金を用意した人物が、取り返して欲しいとカイジに頼んだ物である。懐剣というのだろうか――良くは知らないが、武家であった先祖伝来の品だという。
先代の博打好きが祟って流出した刀を、最初は買い戻そうとしたらしい。
しかし相手は金では首を縦に振らなかった。
刀の価値は人により違う。
博打で失った物は博打でという誘い文句に、真面目な依頼人は大いに戸惑い、困惑したのだろう。
そして判断を誤った。
自分のような半端者を使う程度には。
(面倒な事になった)
負けたのがさっきまでの相手なら、積んだ金をなくすだけで済んだ筈だ。
「じゃ、足りない分はあんたが払う?」
突然場に現れ、全てを浚っていった男。
そいつは、勝手に袋から中身を取りだし、無造作に引き抜いた。
抜き身の刃物を持ち、口の端をほんの少し歪めるだけの笑みを浮かべ、彼は自分の答えを待っていた。
冗談を言う類の相手ではない。
カイジはその意味する所を察し反射的に顔を顰めたが、ややあって腕をぐいと突き出す。
男は青ざめた自分の顔をしげしげと覗き込み、次いで指の傷に気付き、ふわりと笑った。
この払い方は、まったく頭にない。
腕を取られなかったのは、果たして幸運だったのか。この男なら顔色一つ変えずにぶった切りそうだと見て、反射的に頷いてしまったのだ。
(意味が分からねえ)
その無表情な面を見ていると、何故自分が半裸で男に組み敷かれているのかという疑問は、ますます強くなってくる。
相手は多分、そんなつもりはなかったのだ。
女に不自由するような奴には見えない。男に欲情する類のでもない。
(もっと単純に、興味…とか)
多分こうして人は道を踏み外して行くのだろうなと――カイジは他人事のような感想を抱いた。
「おい」
ベルトを引き抜き、シャツのボタンを外して。
それで完全に動きの止まってしまった男に、呼びかける。
「無理することねぇぞ、ホントに。俺がしてやろうか?」
「は」
畳敷きの部屋に押し倒されたまま、カイジは腕を伸ばした。
妙に開き直った気分であり、少しばかり愉快にもなってくる。
其処で男は初めて戸惑ったようにゆっくり、ぱち、ぱちと瞬きをした。
「なんだ、あんた」
「じっとしてろ。動くなよ」
片手で肩を押さえ、下腹に手を這わす。
相手は最初こそびくりと反応したが、指先を先端から根本に滑らせると、そのまま力を抜いてきた。
重い。
痩せて見えるがやはり男だ。体は骨張っていて、見た目通り固かった。
指先に感覚を集中させ、間近に相手の息を感じながら手を動かすと、妙な気持ちになってくる。
喉奥からくつくつと沸いてくる笑いを、横を向いてそっと逃がす。
せめて真面目な顔をしていなければ。
そう、思うのだが堪えきれない。なんだろう、これ。
くだらない。
片腕で、まるで縋るようにしがみついて、自分はこの取り澄ました顔を崩す事に躍起になっている。馬鹿馬鹿しい。
(でもまあ、そんなもんか)
そういう遊びなんだと思えば、多分。
自分の頬に額を押しつけ、唸るような声を漏らした男の顔を、カイジは身を起こして覗き込んだ。
□ >
2010.5.25 |