酷い腕の痛みが覚醒の切っ掛けだった。
 散乱したガラスの破片。窓の割れたドアが5メートルも向こうへ吹っ飛び、そこらじゅうから煙が出ている。
 席から上半身だけ突き出した体勢で、運転手は死んでいた。
 がくりと肩が落ちる。無理に頭を起こしているから体が痛い。懐の銃がごりっとした感触で胸を押している。武器はある。運転手なし。車ぶっこわれました。部下はそもそも連れてきてません。
 ツナははっとした。
「そうだ、ヒバリさん……」
「何?」
 ぐるんと振り返ると、鼻先が触れた。
 ヒバリは咄嗟にツナを抱えて車から飛び出したのだろう。おかげで車の重量に潰されずに済み、命も助かった。
 あの崖を落下して助かるなんて。ヒバリさんスゴイ、よかった、俺元気だしなんか腕痛いけど、痛い、いた……

 それどころじゃない!!!!!

「うわああああああ」
 真っ青な顔で叫び声をあげ、ツナはブルブルと手を震わせた。
「ひっ、ひっ、ひばりさん、かっ、かおっ……!!」
「顔?」
「傷がついてますっっ!傷、傷がーッ…」
「ぁあ、これ」
 落ちた時のものだ。頬に走る傷、確かにヒリヒリするし血の感触もする。
 しかし騒ぎ立てる程のものではない。命に別状もない。それより。
「君の腕ありえない方向に曲がってるんだけど」
「俺の腕はいいです!ヒバリさんの顔に傷なんて………はうっ」
 フラリ。
 貧血少女よろしく倒れたツナは、蒼白な顔で地面にノビた。
 かと思えば、ぶつぶつと口の中で呟いている。許せない、許さない、ぜってーあいつらしんだほーがましだってめにあわせてやる。等々。
 急激に上がり下がりするテンションについていけず、雲雀はため息をついてツナの側に立った。引いて立たせてやり、埃と土だらけの顔を拭ってやり、腕の具合を確かめる。
「いってえー!」
「やっぱり折れてる」
 多分、相当痛む筈だ。
 今はまだ月明かりに青白い肌を晒しているが、その内酷く腫れてくるだろう。適切な処置をするのが望ましい。
「痛い、痛い、です、けど! それよりヒバリさんのかお」
「僕の顔はどうでもいい」
「よくないです!」
 ツナは泣きそうだった。というか、泣いていた。
 ダアダアと涙を流して鼻水も流してコキタナイことこの上ない。情緒不安定にもほどがある。
「ヒバリさんの顔! 皮膚が、玉のお肌が! 綺麗なのに! すっごい綺麗なんですから! こここんな傷なんか……チクショウ、チクショウ」
「落ち着きなよ」
「ウワーン!」
 子供のように泣き出してしまった。
 雲雀は呆然としたが、まだ周囲には敵がいるかもしれないし、そうでないにしてもこんな夜の森で大声を出すのは得策ではない。
 仕方ない。
 雲雀はハンカチを広げ、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているツナの顔を押さえ込んでぐしぐしと拭いた。嫌がって首を振っていたツナも、次第に大人しくなってされるがままになる。
 しまいにちーんと鼻をかんで、すん、と啜り上げた。上目遣いに様子を伺っている。
「すみません取り乱してしまって……ウウッ」
 そしてまた、ヒバリの顔を見ては目を潤ますのだ。
 もうこれは無視することに決めて、腕を掴んで元の位置に引き戻す。ぐきりと嫌な音がして、ツナはうっと小さく鳴いた。

 人の顔の傷であれだけ喚いて、骨折した腕を戻す激痛には小さく呻くだけ。
 意味が分からない。

「このまま居るのは危険だ。離れるよ」
「はい…」
「いつまでしょんぼりしてるの。さっさと足動かして、さあ来るんだ」
「はい」
 月明かりだけの暗い森を、ツナとヒバリは連れだって歩き始めた。