山道に差し掛かったところで気付いた。おかしい。行く先に何もない。このままでは国境を越えてしまう――
「ねえ」
 のろいツナでも分かったが、雲雀は既に運転手の頭に狙いを定めていた。

 たまに、極たまにだけ。
 我が儘を許される。久しぶりに二人きりでお話したいですなんていう、乙女チックな願い事でさえもかなえられる。だって明日は誕生日なのだから。
 しかしこんな夜遅く(昼間は仕事が山積みだ)二人っきりで、することなんて一つじゃないのと決めつける雲雀に、それじゃいつもとおんなじじゃないかと。
 ツナは、車という手段をとった。それも運転手付きの。
 当初の目的から逸脱したシチュエーションだが無理矢理納得し、仏頂面の雲雀相手にたわいのないおしゃべりをしていたというのに。
 突然現れた車に防弾ガラスへ2弾3弾と打ち込まれる羽目になり、状況は一変した。楽しい誕生日(前日)どころか死出の旅である。とんでもない。
 雲雀が昏倒させ、ドアから放り出そうとした運転手の体は意外に重く、道は山でぐねぐねとしたカーブばかりが続き。
 ハンドルを掴む間もなく車はガードレールを突っ切り、落ちてしまった――





 はあ、はあ、はあ。
 荒く、肩で息をしている。
 一晩中森を歩き続け、朝日に照らされたその顔色は悪い。
 それでも不満一つ言わず黙ってついてくる。根性あるじゃないと雲雀は感心したが、 事実は何年経っても付き合っても根本的に拭われない雲雀への恐怖にケツを叩かれての進軍だった。
 ツナはといえば、痛みすぎて既に感覚の無い腕をぷらぷらとさせながらずっと先を行く男のの後頭部を見ていた。
 癖のない黒髪がさらさらとうなじを撫でるたび、合間に白い肌が見える。
 きめ細かいその肌は触るとさらりと乾いていて、その白さに似合わず仄かに温かい。扱う武器にもよる。瞬発力に秀でた彼はいつでも即座に攻撃を出せるように体がカッカしてるに違いない。眠っているときは、少し低い。心地良い。

 夏の季節、眠っている間無意識にくっついたら、朝に洗面所でえらく怒られた事をツナは思い出した。暑苦しいとかなんとか酷い言われようだったのが悲しくて、申し訳なくてしゅんとしたら、よけい鬱陶しいと難癖をつけられて結局これがいつものあいさつだと気付いたのだった。
 安心したツナはなげやりに、なら起こせばいいじゃないですかと口答えをしたが、雲雀はその時ばかりは大まじめな顔で
「そんな甲斐性の無い真似はしない」
 とのたまったので――えらく感激した。

 シンプルな言葉ながら胸にズシンときた。
 ツナは無言のまま頬を染め気恥ずかしげに視線をずらしたが、雲雀もまた似たようなものだった。照れ隠しに腕を一閃。洗面台が割れ、蛇口がねじ曲がり、三面鏡は全て粉々に砕け散った。
 工事で数日使えなくなり大層不便だったのだが、あの時のことはツナ心のメモリーにしっかりと刻まれている。なまけものめんどうくさがりの彼にして、俺も精進しよう!と決心させた感動的な日常的な一コマであった。

 それに比べて今の自分はどうだろう。
 我が儘で彼を振り回し、運転手の裏切りにも気付かずのこのこと出かけ、こんな森の中で息を切らしている。
「ヒバリさん…」
「何」
「俺、ほんとダメな奴ですみません……ご苦労をおかけします」
「今に始まった事じゃないだろ」
 クールな態度を崩さない。
 これが彼のスタイル。大抵の人間はこの冷たさに低温火傷を起こすか彼自身が吹き付ける業火にほうほうのていで逃げ出す。
 しかしツナは雲雀に限り『おめでたいにんげん』だったので、
「ヒバリさんって優しいんですね…!」
 どこか勘違いずれまくった場所でたいそう喜んでしまっていた。





「それであの、行きたかったのはですね、本当につまらない場所なんですけど。この間、商談の帰りの夕方に運転手が道を間違えて偶然通りがかったんです。麦だったかな、豆だったかな? 植えてあって、高台で、夕焼けで」
「そう」
 珍しくもない風景なのに、山の上だからか。薄闇に沈み始めた緑と強烈に注ぐ赤がやけに印象に残っていた。
 もうしばらく訪ねていない母国の、どこか田舎の風景に似ていたからかもしれない。
「つまらないことに付き合わせてしまって…」
「そうかな」
 ぐいと手を引かれて顔を上げると、丁度朝日が目に入った。
 眩しくて目を細める、その奥の奥。弧を描く雲にかこまれて、うやうやしく山に押し抱かれた太陽。
「そうでもないよ」
 もう一度、念を押すように雲雀は繰り返した。

 丘の上に何本も突っ立った影をみて、やっとしっくりきた。
 あれはトウモロコシだったんだ。

 あれほど見たがっていた景色なのに、ツナの視線はすぐに脇へそれた。
 朝日を背に受ける形で、雲雀の姿は逆光になって些か見辛い。のに、ひとすじの傷はいやによく見えるのだ。