妄想が生み出した幻影かと思った。
 焦がれるあまりの幻なら、それは随分リアルで会話までしてくれる、大変便利な代物という事になるが。
 そんなことあるわけないと口の中で呟くと、幻は読んでいた本をパタリと閉じて意味ありげに此方を一瞥し、階段を上がっていった。
 その軽やかな足取りにはっとする。
 遠く過去の記憶に、確かにそれはあったからだ。学校の階段を駆け上がっていく後ろ姿を、あの頃の自分が見ている。
 今もまったく同じ。
 獄寺は勢いをつけて一気に飛び越えたい衝動を抑え、努めてなんでもない風を装ってゆっくりと足を運んだ。胸元を探り、癖で一本くわえたが入り口正面にNO SMOKINGの文字。
――うんざりだ。

 空調の利いた図書館の空気は少しばかり埃くさい。
 新設で近代的デザイン、建物はまだ1年と経っていないらしいが、本は旧館のをそのまま移行する形となった………筈。
 さりげなく視線を巡らすと、見覚えのある頭が戸棚の合間に入っていく。その迷いのない歩みは間違いなく主のもので、体が反射的に追いかける。勿論、尾行や見張りが無いかどうか気配を探る事も忘れない。
 常に神経を張り巡らせ、身を守ることは体に染みついてしまっていた。

 棚を曲がった途端、潜んでいた体を半ば抱きすくめる形になってしまい獄寺は慌てて下がろうとした。
 しかし当人が腕を引いたので、黙ってついていく。
 誰の興味も引かないような専門書だらけの本棚を抜け、保存文書のガラスケースも抜け、机と椅子だけ置かれている薄暗い隅でようやく足は止まった。
 喉が渇いて、掠れて、上手く言葉にならない。
「十代目、何故、ここに」
 ようやく絞り出したそれはストレートにも程があった。
 ツナはゆっくりと振り返り、口元だけで微笑む。
「陣中見舞い、かな」

 ツナは学生のような格好をして本を手にもてあそんでいる。
 獄寺は煙草に手をのばしかけ、止め、それでもどうしても落ち着かなくて火の点いていないそれをくわえ軽く噛んだ。
 気詰まりな沈黙が二人の間に流れる。
「……それでね」
「……あのう」
 同時に言い出してしまう。詰まる。お互い伺うように見合い、周囲を見回してため息をつく。
「どうぞ」
「あー…えっと」
 こうなれば先に離すのはツナと決まっているようなものだから、獄寺が黙って膝を揃えて聞く体勢を作ったのは自然な行為だった。ツナもうなずき、思案するように首を傾げてから口を開く。
「こっそり、リボーンのあとつけたんだ。でも多分あいつ気付いてると思うんだよなァ…」
「何も言っておられませんでしたが」
「そらそーだろーねぇ……あのね、獄寺くん」
 実に三ヶ月ぶりの主の姿に、声に、獄寺は夢を見ているのじゃないかと思って頬を抓る。
 痛いのかどうかも実はよくわからず、ふわふわと浮ついた気分で居るとその手をツナが掴んで膝の上に戻した。
「オイオイしっかりしろー……って続きだけど。俺、君の居場所知らされてなかったの。 みんな教えてくれないんだもん、会いたくても会いに来れなかったんで別に」
「十代目…!」
 会いたくても、の辺りで既に獄寺の幸せメーターは目盛りをぶっちぎっていた。
 人気のないとはいえ、何時誰がくるか分からない図書館の隅で熱烈なハグをしでかそうとし、ストップ!をかけられていた。犬のように。
「君を疑ってる訳じゃない。俺は君を信じてる」

 その一言で獄寺の頭に天使のラッパが鳴り響いた。
 彼はこの奈落に落ちるような最悪の三ヶ月を経て、今ようやく上昇しかけていた。