思えば無茶をしたものだ。 恐怖という感情とツナは異常に仲良しで、どんなにフタをしても閉じこめても這い出てくる厄介なお友達なのにその時は微塵も感じなかった。 ツナはまず、悠々と食事を要求した。せいぜい子供っぽく、おなかがへったのどがかわいた甘い物が欲しいとねだり、見張りがうんざりした顔で「お前は自分の立場が分かってるのか」「図々しいやつだな!」とぶつぶつ言う間中、日本語で不自由を訴え続けた。 そう幾らも経たないうちに――実際一日もかからなかったろう――再びあの男が現れて、人払いをした。哀れむような視線を向け、静かにするようにと指を口にあてる。 「だって飽きたんだよ。用事は済んでないの? いつ済むの?」 「あと少しかかるな」 宥めるような物言いに、断固とした意志を隠している。 男は自分をかわいそうにと思っているけれど、予定を早めて解放する気はないようだ。 つまり、計画はあまりうまくいっていないのだろう。 無理もない。 あの噂の能なしが、百戦錬磨の獄寺を首尾よく片付けるなんてことが出来る筈がない。 「は――隼人にはいつ会えるのかなぁ」 必要に迫られてとはいえ、名前を呼び捨てにするという大事件にツナは頭と背中とケツをかきむしりたくなった。はずかしさを通り越してもはやかゆい。 中身もがっつり恋人同士になったというのに、なぜだろう。あまりにも獄寺の愛情表現があからさまだからだろうか、どうしても一歩退いてしまう。 自分から濃厚なスキンシップを取り、甘え、膝の上でゴロニャンとしてのけるぐらいならゴムひも一本でバンジージャンプ(…普通か)する方がマシだし、大体そんな所をリボーンに目撃されたら二人まとめてあの世行きだ。 彼は常々みっともない真似はするなと渋い顔をする。 「それはわからん」 男はそっけなく言ってそっぽを向いた。 「助けがくるとは思うな。本当ならお前はとっくに…」 ツナはいよいよ子供っぽくのんきな声を出した。 「助けに来てくれるよ」 「随分自信があるんだな」 「うん」 「何か奴について知ってるというのか?」 「ううん」 「嘘をつくんじゃない」 子供を諭すような口調になっている。 ぺちぺちと固い手で頬を触られたので、そっぽを向いた。 「ここ、さむい」 獄寺の身元はバレていないはずだ。彼は突然町に現れた異分子なのだ。 ボンゴレの中枢部から送られた事実は幹部他、数名しか知らず、彼自身もまた不名誉であるこの移動に苛つき、素性を明かして僅かな自尊心を満足させる小物とはかけ離れている。内面はどうであれ、表向きは粛々とこの罰を受け入れている。 「あいつの事を話してみろ」 男はかなり辛抱強いようだった。 宥めるような口調で静かに話すし、正面に腰を据える。暴力的な手段――いざとなったら? いやいや。 そんな奴はこんなまどろっこしい事はしない。 明かしすぎず遠すぎず。適度な撒き餌を探そうとしてツナは困った。 獄寺がどういう男かという当たり障りのない話題をしようと思ったのに、思い浮かべた言葉が全て嫌になるほど印象強いエピソードばかりだ。 獄寺くん、君は… 存在自体が極端なんだね。いっそ関心するよ。 「や――やさしい、かな?」 「ほお」 「あ、頭、も。いいんだよ。うん! ……うん」 自分を納得させながら、当たり障りのないというと単語しか出てこない。 思い詰めると何をしでかすか分からない自身に導火線がついているような男であるとか、以前よりはましだが超がつくほど短気であるとか、俺以外には目つきが異常に悪くて人付き合いに苦労するよ……とか? 言ってどうするんだ。 思いもかけない難問に頭を悩ませていると、向こうから質問してくれた。 非常にありがたい。 「どこで会った?」 「日本だよ。学校でね」 「しかし彼は」 「転校してきたんだ」 「どこから?」 「外国」 ぴくりと頬が動いた。 もう十分網にかかったろう。ツナは退屈そうに視線を巡らし、最後にもう一度繰り返した。 「ねえ、ここさむいってば」 男が獄寺の正しき身元を調べるのには、一時間もかからなかったようだ。 再びやってきた男にツナは連れ出され、縄も解かれた。温かい部屋に通され、椅子に座ってもよいという。 上着も返して貰えた。 「帰ってもいいんですか」 「まだだ」 男は落ち着いている。彼以外、ツナを此処に連れてきた人間はソワソワと落ち着かない。 怯えているのだ。 扱いが丁重になったのもそのせいだろう。 夜になり、そう幾らも経たないうちに激しい口論が始まった。 ツナの存在を要求というカタチで明らかにしなければ、まだ打つ手はあったのだろうが。 早急に片を付けたがったため――もしくは獄寺が心配性でボス狂いのため、バレた。始末も出来なくなった。どんな報復が待っているか、自分でも考えるだにぞっとする。 「トイレに行きたいんだけど」 もそもそ立ち上がった途端、男は振り向きざまに銃を構えていた。 外見は平静でも、気が立っているのだろう。チャンスだ。 厄介な荷物でしかなくなったツナに一味は面倒そうに手を振り、勝手に行け、と吐き捨てる。流石に男は用心深く左右を見渡し、頷いてついてこいと言った。案内するつもりだ。 ツナは黙って男にテクテク着いていく。部屋から十分に離れた時点で口を開いた。 「俺帰れる?」 「…まだ」 「ふうん」 立ち止まる。 男は訝しげに振り向いた。銃身は下げたまま。トイレは目の前だ。 「彼が予想以上に大物で戸惑っているのかな」 「なんだと?」 「俺の事言わなきゃよかったのに。怒り狂った彼のコールが想像できる――殺すなんてありきたりの言葉は使わなかったろ? 終いに母国語が出る。これはどんな人間でも一緒だけど…」 余裕の仕草でトイレを蹴り開ける。鼻が曲がりそうな悪臭とそれに相応しい酷い有様の便器を一瞥し、即ドアを閉めた。ツナはやれやれとため息をつく。 「こんなの使えないよ」 その瞬間首根っこを掴まれて、視界がぐるりとひっくり返った。 半分持ち上げられながらツナは反射的に背中のベレッタを掴んだが、まだ出さないでおいた。やや暴力的にぶつけられた唇の感触にも耐えた。ぬるりと忍び込んだ舌にも。 接近戦では自分に勝てる見込みなど万に一つもない。 がまんがまんとどっかの誰かさんみたいに念じながら、ゆっくりとしたさりげない動作で抗う。銃を持つ右腕にふれるとびくりと反応したが、男は撃たなかった。首を押さえている自分が有利と思っている。 肉弾戦の得意な人間は、しばしばこの錯覚に陥る。 「……なんだよ、もう」 「天下のボンゴレの大幹部が夢中の代物だ。味見をしたくなったのさ」 「それだけで――う、えっ……!」 その時まで平気だと思ってた。 別にこれくらいは、なんてことないだろ俺もそろそろ大人ですからね、なんてのんきに構えていたら、背中を虫がひゃっぴきはいずり回るぐらいの悪寒に襲われツナは吐いてしまった。 おええ、うええ、ぐえー。 対して入っていない胃袋がひっくり返って中身を全部出す。咳き込む。咄嗟に横に顔を向けたので悲惨な事態にはならなかったけど。 男は自分がしでかした事の癖に大丈夫か、などと声をかけ背中をさすっている。やはり面倒見がいいのだろう、そして子供に、子供に見える大人にも弱いと。 まだ続く吐き気を堪えながら、オニ教師の言葉とスパルタを思い出して銃を抜き、身構えた男の額に押しつける。 状況の転換についていけず、一瞬遅れたその右腕を靴で踏んで押さえつける。意味は通じたらしく、やがてそれは音を立てて落ちた。 「まあ過ぎたことはしょうがない……ウエッ。……ここに興味もなかったけどさ、思ったより骨のあるやつがゲホッ、居るじゃ……ないか」 「……大丈夫か?」 「大丈夫じゃないよもう! あっ、あんた、何すんだっ! ったくあ〜〜〜……気持ち悪いおまけにかっこも悪いっ」 「すまん。ついカッとなって」 「ひと選べよなあ! ついでに俺も、選ぶ権利はあるぞ!」 うわあ、男としちゃった… もの言いたげな男を睨み付けて黙らせる。違うんだ。獄寺くんは、なんつーか、違うんだよ! おまえみたいに男男してないし。 いいニオイするし。 泣き虫でかわいいとこあるしな! 「あー……」 なんだかありがたみが確認できた。ありがたいのか? |