見た目が豪華な刑務所と近所に称される学校に通っていると、まず校門以外から外に出ようと言う気がしない。
………というのはツナだけらしい。
遊びたい盛りの生徒達は苦心暗澹して脱出経路を探し求め、教師や管理人にばれないよう秘密にする。
千種はその立場上、幾つかのルートに心当たりがあるらしい。中でも一番安全と思える場所を教えて貰った。
それから、携帯を持たされた。
「何かあったら………叫べ」
「ええっ」
それじゃ従兄弟さん警察のご厄介になっちまうよ!と焦るツナに、千種はけろりと言った。
「あの人、普通と違うから。多分人来る前に逃げる」
「た、多分?」
「………大丈夫」
でなければやってきた警察を始末する、とは言えなかったらしい。
手の中の携帯が身震いする。はっと視線を上げると、一部だけ低くなっている(それでもツナの身長よりはずっと高い)塀の上に、生首が乗っていた。
「こんばんは」
早くも叫びそうになる口を押さえて頷く。千種の従兄弟は、その塀に腕と顔を上げてにこにこと手を振っている。携帯を振ってみせるから、この合図は彼が出したのだろう。
「こ、こんばんは」
ツナは塀の近くにたっている木の陰から出て来れないでいた。
こわいのだ。
見ていると、男は音も立てずなんなく塀の上に立ち、ストッと地面に下りてきた。敏捷な、猫のような仕草で。
そのままゆっくり近づいてくるのをツナは慌てて止めた。
「待って!近づかないで!」
「近づかないと物が渡せないんですが」
「いいからそのままー!」
よいしょ。
ツナは特製の、棒の先にカゴをつけた道具をそろそろと引き出し、男に向けた。
「これに入れてください………」
「これはまた、徹底してますね」
ごくり、と喉を鳴らすツナに笑いかけ、男は注射器とアンプルを取り出した。
けれどもそれはカゴに入れられることなく、手の中で弄ばれる。
「ちょっと!」
「一度の量と、使用法。知らなくて良いんですか?」
「ぐ………」
仕方なくツナは棒を地面に置き、ソロリソロリとした足取りで男に近づいていった。
しかしそれも限界がある。途中で足を止め、実に嫌そうな顔で「早く言ってくださいよ」と言うツナに、千種の従兄弟は苦笑して見せる。
「本当に苦手なんですね…」
「すみません。でもこればっかりは、勘弁してください」
ツナだって失礼だという自覚はある。けれども、どうしても耐えられないのだ。
「君の名前は?」
男はまだ教える気はないのか、面白がっているような視線を向けてそんなことを言い出した。千種の、「油断するな」が頭の中をエンドレスで回る。
「沢田ですけど…」
「沢田?」
「ツナです」
「可愛い名前ですね」
にっこり。
男はまたえんらい笑顔になったが、ツナは顔を引きつらせたままだった。
「あれ?」
「はっ、はやくして下さい!」
「おかしいな」
訝しげな様子でずんずん近づいてくる男にパニック寸前だ。おろおろうろうろしている間に距離は狭まり、ついに手をむんずと掴まれる。
「ひ―――ッ!」
「おやおや………」
ガタガタ震えだして蒼白の顔色になったツナは、やだ!いやだ!しか言わなくなる。
「君、落ち着いて…」
その小さな口が、大きく息を吸い込んだ。
「やだ!きしょくわるい!きも、きもちわるい!こっち寄らないでー!!」
きしょくわるい+きも+きもちわるい………
がーんがーんがーん。どんな男でもこのトリプル言葉の暴力に膝を着く。六道もまた例外なく、ショックを受けた顔つきで固まっている。
「しょーがないなーむくろさんはーっ」
ザッと木の葉が揺れる音がして、ツナの背後にもう一人の気配が立った。どうやら木の上にいたらしい。
「沢田つな、つな、ツナちゃん?」
「うわあああ」
「俺犬。城島犬ってーの。犬ちゃんでも犬様でも城島クンでもなんでもいーの」
「う、うん」
「柿ピーにこれわたしといて。ごめんねー?なー?」
こわくないこわくない、と頭を撫でられてツナはやっと肩の力が抜けた。
城島犬さんは千種の従兄弟よりずっとこわくない。千種とはまたタイプが違うが、安心できるような気配がする。
素早くそっちへ寄って、注射器とアンプルを受け取る。手をぎゅっとされてもこわくないし気持ち悪くもない。
「ツナ、いーこいーこ」
「………」
後ろでは恨めしげな目をして六道が犬とツナを睨んでいた。
「どうして犬には懐いて僕は嫌うんですか?」
すねているのだ。
なんだか湿っぽくおどろどろしい空気に耐えきれず、ツナはその場を取り繕うつもりで急いで答えた。
「すみません、あなたがどんな人かなんて知らないけど、なんか………生理的に駄目なんです!」
六道は再度沈んだ。
「生理的に………駄目………」
「あっ、いや、ええと」
「もーいーからツナっち。言わないであげて」
犬が可哀想なものを見る目で見ている。ツナは若干罪悪感を感じたが、のろんと顔を上げた六道にまた一歩下がった。
「柿ピーどーしたの?」
辺りの静寂をぶち破ったのは、犬だった。
「急に戻るなんて、あるんすかむくろさん」
「そうですね…」
やっと衝撃から立ち直ったのか、まだなのか。青い顔色のまま六道がフラフラと立ち上がる。
薬の効果や量は千種ならばちゃんと知識を持って、しっかり管理しているだろう。
理由としては病気等で体調が激変するとか、何か強い刺激を受けたときに不安定になるかもしれない。
「昨日の彼の様子を教えてくれますか?」
「あ、はい………千種は、普通でしたけど」
「学校はいつも通り?」
「そうです………あ」
ツナは肝心なことを忘れていた。
「そういえば、千種がおと………男の子に、なっちゃったの、は、お風呂に行った後です」
「「お風呂?!」」
男2人は顔を付き合わせてなにやらぶつぶつ言い出した。
「柿ピーずるいー!ずるっこー!」
「いやでもそれは………彼には………」
ツナは慌てて、フォローのつもりで言った。
「でもそれは!お尻に柿の葉の痣のあるお姉さんを捜すためで」
「は?」
犬がぽかんと口を開ける。
が、六道は事情を千種から知らされていたので頷いた。
「あ、はいそうですね。彼頑張りましたね」
「?」
不思議そうな顔をしたツナに、六道は説明してやった。
「千種は君と同じです。女性恐怖性なんですよ。近づけないとか触れられないなんてそう極端なものではありませんが………」
「あーそーだった」
「彼にとっては相当辛かったと思います」
「そうなの?!」
「千種は頑張りました」
2人はグス、と涙を拭う真似をする。
ノリや演技なのだが、ツナは騙されて目を潤ませた。
「千種………そうなんだ。じゃあ辛さのあまり………」
「いえそれはありません。気分の悪さじゃ薬は切れませんよ多分………」
強烈な性的衝動を感じた為の変体解除、であろう。
「???」
きょとんとした顔をしているツナを見て、六道は密かに溜息を吐いた。
この服の上からでも分かる幼児体型の童顔の、沢田ツナが原因だ。
千種の女性恐怖症はある一定の年齢、体型を境に始まる。それ以前は寧ろ好き、好み、ど真ん中ストレートの超特急ストライクだ。
一緒に風呂なんぞ入ったら、ひとたまりもなかったろう。
「それはともかく―――」
六道は笑顔で話をリセットした。その時、微かに空気の動く気配がした。
感覚の鋭い六道と犬は振り向いた。(ツナはまだぼーっとしている)
「千種」
「柿ピーじゃん」
え。
ツナが振り向く。少々体に合わない作業服を着帽子を目深に被った千種が居た。
「千種!」
驚いたのとほっとしたのでツナは彼に駆け寄り、勢い余ってその腕に飛び込む。が、嫌がることなくどうしたんだだのその格好なにだのちゃんと薬は貰ったよ!と矢継ぎ早に喋る。
「何かされたりしなかった?」
「大丈夫だった」
「その格好」
「学校の用務員室にあった」
その様子を六道は面白く無さそうに眺めていた。
「どうして千種は平気で僕は………」
無理もない。同室の子は酷い男性恐怖症だと聞いていた。それが………千種は今、完全な男になっているのに、ツナは気にしたようでもなく普通に話し、触っている。
「すごいな!それなら見つかっても、用務員さんで通るよ!」
「そうだな」
「千種あったまいー」
「いや…」
何を照れているのか。
顔を赤くして視線を逸らしたり、初々しい空気を出している一角を六道は呆れたように眺めていた。
「おれ、なんとなくわかるかなあ」
「なんですって?」
いつの間にか隣にしゃがんで、一緒に見ている犬がぼそりと言う。
「むくろさん、気配エロいんよ」
「は…エロ?」
「ツナちゃん見て、なんかしてぇーって思ってたっしょ。イケナイ事しようとしてる顔だったもん。あの子そういうの、無意識にビンカンなんだねーおれのことぜえんぜんケーカイしてなかったしぃ」
犬は、コドモにはひとかけらも興味がない。
巨乳のお姉さんが好きだ。優しいのに限る、と思っている。この3人の中では一番健全な嗜好だ。
好みのタイプは?と聞かれて「優しい巨乳」と答えて、アハハ城島君おもしろーと笑いを取っているが、本人は全然大まじめだった。
「柿ピーはあれ、どうこう以前の問題よネー」
オクテにも程がある千種、知識はあるのだろうが其処に踏み出すまでの勇気も人格崩壊も起こしていない常識人だ。
「ツナちゃんをだいじに、だいじにしたいんだ。この後どうかしらないけど、今はさ」
「純愛………?」
プッと吹き出して後ろを向き、肩を震わせている六道は言う必要もないだろう、極悪非道の自己中タラシ無節操男である。気に入った相手は気が向き次第食ってしまう悪癖を持つ、刹那的快楽主義者。こんなのにひっかかったら全て骨の髄まで吸い尽くされ、相手の望む事だけを考え続けてしまうだろう魔性の男。
「むくろさんサイテー」
「おや犬にまで嫌われてしまいましたね」
「うははっ」
うそうそうそ、大好きよーんと六道の足に抱きつく犬と、にこにこと突っ立ったままそれを眺めている六道を見て、千種は眉を顰めた。
またふざけて………教育に悪い………
隣で目を丸くしてその光景を見ているツナは、きっとこういうのに慣れていないに違いない。
気にするなと言いかけた千種を遮り、ツナは深く深く頷いた。
「ああ………なんだ、そうなのか。うん、うん」
何を考え………あ。
まさか誤解して………?
千種は慌ててその誤解を解こうとしたが、「良かった!」(あからさまに自分に関係ないことを喜ぶ思考)と喜んでいるツナ相手に、折角、うれしそうなのに。
本当の事は言えなかった。
女っていいな………
柿本千種はこの所、そんな思考に落ち着く。別に長期の(病んだ)仕事のせいでオカシクなっているのではなく、単純に体の機能の問題だ。
そう、問題は簡単だった。男は自分の状態を隠すことは出来ない。
それに女で居る間はツナが近くにいても、触ってもくっついても反応などせず、ほのぼのしい気持ちでいられる幸せ。
「は…」
マグカップから茶を啜り、手元には本。壁の時計は午後3時を指して夜にはまだ間がある土曜の午後。
明日は日曜。
明後日は休日。すばらしい………
すっかりナゴナゴして本来の目的を忘れかけている千種だったが、その時騒々しい音を立ててルームメイトが飛び込んできた。
「千種荷物きたー!」
「………にもつ?」
平和な時間は終わりを告げた。
伝票がひらひらしている分厚い封筒。
其処にはわざと特徴を出した筆跡で「六道骸」とあり、脇の空欄には犬が書いたらしいイラストがついている。カーボンを通してくっきりと。
何か分からないので近づけてクンと匂いを嗅ぐ。異常なし。
急いでガムテープをひっぺはがして上から中身を指で確認する、刃物無し。全部紙だ。
「なにソレ?なんかの儀式?」
「癖だ」
中から取り出すと、封筒は二重だった。用心の為床に近づけ、逆さに振る。
バラっと出てきた紙は何かのチケットだった。
「あ………これ」
日曜の遊園地、しかもクリスマスシーズンで、イベントが目白押し。
混まないわけがなかったが、思ったより人が少ない。どうやら寒さと風邪の流行のせいらしく、子供の姿はまばらだった。
その代わり手を繋いだカップルがやたら多く、あちこちにピンク色の空気をまき散らしている。
「うわーっ、すごーっ」
キャアアア―――
振り回されて悲鳴を上げる女性客が、ややあってフラフラしながら階段を下りてくる。
絶叫マシンは30時間待ちだ。
「乗りたい?」
「遠慮しとくよ…」
恐がりのツナはこういうときだけ素早くその場所を離れた。
「千種っ、早く、行くぞー!」
「…ああ」
指さす先には園内をぐるりと一蹴するSL(格好と汽笛だけだ)乗り場がある。
「ちょっと待…」
「うひああああ!!」
早速トラブルに巻き込まれてるよ!
千種が靴ひも(慣れないブーツなんぞ履くもんじゃない)を縛り終えた所で聞こえてきた悲鳴。
がばりと顔を上げると、なんというか、予想通りの顔が二つ。
「こんにちは、ツナさん」
「うぎゃああ!うひいぃぃ!」
「うぎゃああ。うひいいい。なんつて」
「こ、こんにちは犬さん………」
ツナは掴まれた腕をがくがく痙攣させながら、右を向いて悲鳴をだし、左を向いて挨拶をした。
あまりにもあからさまな態度に六道は悲しげな顔になったが、手は離そうとしない。
「いーやーだー!」
「あ、そんな。つれないですね」
「ちぐさー!ちぐさたすけてー!!」
もちろん、助けたい。
だが六道は主である。どうしたもんかと悩みながら少しずつ近づいていく。
「あれが良いんですか?一緒に乗りましょう」
「絶対ヤダー!」
六道はわざとツナを苦手な絶叫マシンに引きずっていこうとしていた。犬はそれを「いーなーあれぐるぐるまわるやつだー」と羨ましげに見ており、役に立たない。
「骸様!」
六道がツナをひきずる反対側に立ち、抑えた声でそう耳元で言うと、ぐるんと首が回ってにっこり笑顔がきた。
「………なんですか」
「ふむ。千種にも効きませんか」
「は?」
「僕ちょっと自信を喪失してまして、リハビリに彼女の協力が必要なんです。………邪魔しないで貰えますか」
六道の目が怪しく光る。
それは恫喝の意味であり、千種は黙って身を引いた。
そしてそのまま体をずらし、ツナの近くへ寄った。
「すまない」
「千種…?」
「この人こう見えて可哀想な青春を送っているからちょっとの間かわいい女の子と歩いてみたいそうだ」
千種は無口だが、その気になれば弁論大会に出られるほど達者な口もきける。
ツナの心が苦しまないよう、主の評判を貶めるぐらいはお茶の子さいさいだ。
「それじゃ千種と」
「死んでもお断り」
「………」
繰り返すようだが、ツナと六道の手は繋がっている。
六道の顔がこころもち引きつったが、彼は何も言わなかった。
「護身用のスタンガンは持っているな?」
「うん」
「今日はそれに強力なトウガラシ催涙スプレーもつけておく」
「ありがと」
「…人は誰しも天然の防犯ベルを持っている。自分の声だ」
「何かあったら叫ぶよ………」
うるうる潤み始めた目が全身全霊で「ちくさ、たすけて、このへんたいからすくって!」と叫んでいる。
けれども健気なツナはぐっと唇を噛みしめ、六道に向き直った。
「可哀想可哀想可哀想」
「なんですか僕哀れまれてるんですか?」
「贅沢言わないでください」
むう、とふくれた主の頬を全力で殴りつけたい衝動にかられながらも、千種は2人の後ろきっちり3メートルの位置を確保する。
「そんじゃおれと柿ピーが今日はらぶらぶ?」
「………蹴り倒すぞ」
4人とも中学生だが、全員私服なのでそれなりの年齢に見えた。
正確にはツナ一人年相応な容姿、なのだが、一緒に居る六道がうきうきとその手を引き、惜しみなく笑顔を振りまいているせいで違和感はない。
「寒くありません?」
「だ、だい、だいじょう、ぶ」
「そう緊張しないでくださいよ」
「無理ですー!」
いくら千種や犬には慣れた、と言っても六道は苦手中の苦手だ。ツナの声は涙ぐんでぐしゃぐしゃだったが、生憎六道はSっ気の強い変態だったのでそれでも嬉しそうにしている。
「本当に可愛い人ですね」
「身も心もさむいー!」
怖がっている割に口に容赦の無いのが沢田ツナ。
千種は半分感心しながら、その光景を油断なく見守っている。ついさっき己も主にむかってとんでもない暴言を吐いていた癖に、忘れているようだ。
「つなちゃんかわいそう」
「…犬?」
珍しく心から同情的に犬が呟いたので、千種は眼鏡をあげた。
「おれ目がいいから見えちゃうよ。つな、鳥肌立てて嫌がってんの」
「トリハダ………」
じっと目を懲らすが、よく見えない。犬の動物的視力でしか捉えられないらしい。
「いいのー?」
「………なにが」
「つな。好きなんれしょ」
「…」
「初恋ってやつでしょ」
はつこい。
なんて恥ずかしい字面だ。千種は絶叫マシンに乗ってもいないのに絶叫したくなった、初恋―――?この、自分が?
「骸様は…」
「うん。むっくろさん遊んでるよねー今は」
「何が言いたい…?」
「あの人ホントに欲しがったらつな、壊れるっしょ。めちゃくちゃんなっちゃうし。今までの女全部そうだったじゃねーの」
千種の頭の中にフラッシュバックする幾つかの光景。
今まで気にもとめなかった過去。六道の冷たい笑い、半狂乱になって縋る白い腕。絶望に濡れてマスカラがぐちゃぐちゃになった女の顔。
女ってのは(どんな美人でも)皆同じだなとあの時、悟ったと思ったが。
でもあの子は。
「マスカラのマの字も知らないだろうな………」
それどころか、食べ物だと思ってねだるかもしれない。
ツナの行動パターンを知り尽くしている千種はその想像に少しだけ笑う。
「トリップしてるとこ悪いんだけど」
チョイチョイ、とつつかれて顔を上げた千種は次の瞬間真っ青になった。
キラめく笑顔でアトラクションを指さす六道と、
「絶対入んねー!無理だから!ほんっと無理だから絶対やだあああ!」
死にものぐるいで抵抗するツナ。
行き先はホラーハウスだ。
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