バランスビター
開店まであと一時間。
眩しい朝の光を浴びた店内は、ピカピカに輝いていた。
仕事はいつも決まっている。
テーブルの上の椅子を下ろし、前日のゴミや汚れをチェックして、テーブルを丹念に拭く。中身の減った調味料を補充したり、その他目につく異常が無いか確かめる。
店は見た目は良いが飲み物とデザートぐらいしか乗らない小さな丸テーブルや、照明や細かな家具に至るまで、可愛らしいパステルカラーで統一されていた。
最大六人が座れる大テーブルは木製のシンプルな造りだが、上にはギンガムチェックのテーブルクロスがかかってえらく…そう、少女趣味な眺めだ。
それは家具だけではなかった。
デザートのスプーンにはリボンが結ばれている。水のグラスでさえ、縁に飾りの付いた特注品。食器も激安大量生産品などではなく、そこそこ値段のする輸入モノなのだ。
なにしろ此処は『こだわりの店』なのだから。
とは言っても、単なる雇われ店長の綱吉が決められる事などたかが知れている――罪は全て経営者にある。あのいけすかない…
スタッフルームの扉が開いて、早番の子達がフロアに入ってきた。
彼女達は楽しそうに笑いながら、話しながら、椅子の脚を掴んで半ば呆然としている綱吉を目に留め挨拶する。
「おはようございます!」
「……おはよう」
この光景。
やはり何度見ても慣れない。
引き攣った笑顔しか出てこない。上擦って震える声。みっともないと思うのに、衝撃が上回る。
叫び出さないよう拳をぐっと握った綱吉の前で、メイド服に身を包んだ女の子がわらわらと散り、各自の仕事を始めた。
(っていうか俺がヘンタイみたいじゃないかー!)
おかしい。何度考えても違う。
綱吉が就職したのは極々普通のレストランの筈だった。客が余りに来ないので、経営が心配になるほどの。
いや、実際大丈夫じゃなかった。
綱吉が勤め始めて一月もしないうちに店は潰れた。正確には、経営者が変わった。店舗ごと譲渡されたのだ。
改装工事が入る期間行われた面接で、綱吉は新しい雇い主と会った。
それまでの中年夫婦と違い、若い外国人の男だった。仕立ての良いスーツを身につけ、帽子を目深に被った(またそれが似合っていた)一見飲食業界には縁遠い容貌。
紹介と共にされた握手は重く、また食い入るように正面から見られるのも、全てが不慣れで戸惑う綱吉に男はいきなり爆弾発言をかましてくれた。
「店長やる気はないか?」
条件は破格であった。単なるヒラ店員が、一気に店長に。給料も上がると。
しかしその分責任も重くなるし、自分は管理職には向いていないように思えて――恐る恐るその旨伝えてみると、相手はけろりととんでもない事を言い出した。
「いやなに、現場はチーフマネージャーが仕切るだろう。お前はただどんと構えて……ン、出勤さえしてくれりゃあいい」
『どんと』の所で再び頭のてっぺんから爪先まで凝視される。
「正直この店に店長以外男の出番は無いんだよ」
「と言いますと…?」
「簡単な事。此処は改装が終わり次第かわいいメイドさんで埋め尽くされるのだ」
「は?」
なんだろうか、このイタリア人。
(メイド? え、何この人もしかして変…)
引き攣った表情の綱吉に、男は大仰に肩を竦め、指を揺らして見せる。一々動作が大袈裟というか。
「いいか。この不景気な世の中、人々の財布のヒモは固い。従来のやり方で店を経営していく事は難しい」
「はあ。そう…ですね」
「反面質の良いもの、他にはない個性的なもの、またはこの辛い現実を忘れさせてくれるようなクオリティの高い非現実なサービスは大盛況だ」
「そうなんですか?」
「其処でオレプロデュースの衣装を着た――」
「メイドさん?」
「外面だけじゃない。言葉遣い、仕草、態度全ての教育も徹底する。メイドとして」
「…すごい」
何がすごいって、「衣装」「メイド」という言葉にかける男の情熱である。
(あれやっぱりただのマニア?)
「しかしあくまでもレストランだ。しかも、ファミリー向けを目指す」
「無茶ですよ!」
「フフッ、そう思うか? 礼儀正しい店員は多くの女性リピーターを呼ぶのだ」
全て計算済みだと胸を張る、その姿。
確かに説得力がある。とてもメイドを語っているようには見えぬ。
「勿論味に妥協はない。これも既に腕の良い女性シェフ、デザート専属パティシエを揃えてある。オレに隙はない」
勢いに押され綱吉はパチパチと手を叩いた。
「ありがとう。そして不届きな輩が沸かぬよう対処法として、店に置く男。それが」
「俺?!」
思わず素になってしまった。
「うん、店の女の子に手を出されちゃ困るから。お前は何というか…誠実そうだな!」
「ううう」
如何にも気の弱そう、主張の弱そうな綱吉の外見。
中身もそれに違わない。その辺りを買われたらしい。
「不届きな輩が沸いたら、全然お役に立てそうにないですけど」
「お前は予防策、言うなれば警告灯のようなものだ。客に顔見せて様子を見る程度でいい。問題が起きたらこっちで対処する。何も心配する事はない」
「はあ…」
至れり尽くせりの条件と男の熱意に、綱吉は店長になることを承諾した。
帰り際も妙にベタベタ触ってこられたが、外国人の習慣だろうと割り切って。
新しい仕事に期待と不安を抱え、打ち合わせに来た綱吉を待っていたのは――
「どうだ、可愛いだろう」
「ギャーッッッッッ!!」
がらりと雰囲気の変わった店で新制服に身を包んだ新経営者、つまりは上司であった。
「ここのフリルにこだわった。おっと洗濯も出来るぞ」
「アワワワワ」
綱吉よりはるかに背が高く、体格もそこそこ良い男がひらひらのメイド服を着ている光景。
真っ青になって震える綱吉に、女装上司が渡したのは店長用シンプルな仕事着。
「あの…こっちで統一したら…」
「つまらんからな」
「しかしいや…ええ……メイド服…」
「似合っているだろう?」
「……」
確かに、変にしっくりきてるような気はする。
「変装は俺の趣味だ」
「うわあああああ」
バチコーンと片眼を瞑られて、背中の産毛まで逆立った。
自分の制服を抱きしめるようにして、綱吉はじりじりと部屋の隅に移動する。
「で、でも、女の子達が着てくれるかどうか」
「安心しろ。これはノーマルなクラシックバージョンだが」
ぶわさ、と新しい包みが広げられた。
「このようにミニバージョンもある。どちらを着るかは自由という事で」
「露出高っ! そっちのがキツ……だから着ないっていう選択肢は無いんですか!」
信じられない事に、メイド制服はウケが良かった。
寧ろこれが着たかったんです、と笑顔の可愛い女性店員はのたまった。中には高校生のバイトも含んでいる。
(嘘だろおおおお!)
綱吉の人生の中でこんなに周りが華やかな時期は無かった。
嬉しいというより違和感が凄まじい。容姿の優れた女の子達が可愛いけど結構際どい衣装で仕事とは言え――笑顔で店長店長言ってくれるのだ。
(ファミレス…じゃねえええ)
確かに、当初に比べ家族連れや女性客の姿は増えた。
思ったより抵抗はないようで、皆極普通に利用している。味の評判が良いからか。
しかし中には綱吉が店長と呼ばれる度に「分かってるって」みたいなニヤけた視線を向けてくる輩もおり、納得いかない。
これは、全然自分の趣味ではない。俺のせいじゃないんだ!
「店長、新しいメニュー着てますよ」
「はっ」
一瞬意識を飛ばしていた綱吉の目に、キラキラ眩しい光が差した。
「君、これ…」
「あっ、気付きました? 可愛いでしょこのブローチ! キラキラ〜」
「キラキラ〜って…ウン…」
若い子の感性にはついて行けないものの、極端にスカートの丈を短くするとかではない限り、制服のアレンジは自由である。
あのコスプレ社長はそういう意味を含めて月一の視察を楽しみにしている。
むしろお前地味すぎるなと綱吉が注意を受けるぐらいだ。
放っておいて欲しい。
「それで、メニューなんですけど」
「はい」
「折り方が今までと違うんで、チェックしといて下さい」
キラキラ〜でもキャッキャしていても、このバイトは優秀だった。
店長の綱吉より店を把握しているので、基本的に逆らえない。
「そろそろ時間だ。店開けるね」
「はいっ!」
開店前からぐったりと疲弊している店長にも、女の子達は笑顔で返事をしてくれる。
(良い子達…なんだけどなあ…!)
目元を潤ませつつ綱吉は自動ドアのロックを外し、暑い中並んでいたお客様へ深々と礼をした。背後では早速元気の良い声が上がっている。
可愛い女の子だらけの職場というのは、一見天国に見えてその実苦労も多い。
案外立場が弱いとか、疎外感を感じるとか、そう言うことに加えて――
「いいじゃない、ちょっと座るくらい」
(そら来たぞ)
入店直後からさりげなく目を配っていたが、とうとう行動に出たので綱吉は素早く席へ向かった。
「失礼します、お客様。何か…」
さりげなく女の子を背後に、笑顔を強調して尋ねると男性客はばつの悪い表情になって首を振った。
(ふう…)
これぐらいで引き下がってくれるならいい。
問題は綱吉をなめてかかり、無茶な要求をする一部の客だ。
(確かにウチの衣装は過激と言えなくも…ない…けどな)
店はあくまでレストラン。女の子を隣に付けるような、そういうサービスはしていない。
けれども中には妙な誤解や開き直りをする奴らが居て、その対応が難しい。
(社長には見てやれって言われてるけど…)
一人男の綱吉の役割でもあるのだけれど。
限界がある。
綱吉は背もあまり高くないし、見るからに気の弱そうで、威圧感がまるで無いのだ。
冗談混じりに用心棒でも雇ってくださいと進言したが――
一番良いのは、普通の格好で普通のレストランにすれば――
(いや)
あのぶっとんだ社長、相当気合い入っているようだから無理だろう。
もっといかつい顔にでも生まれれば良かったかと、ぐにぐに頬を弄っていると、
「店長、お電話入ってます」
「あ、ああ。ありがとう」
上司のブサイク面にも眉一つ動かさず、ぺこりと頭を下げてパタパタと駆けていくのは、現在8:2の割合を保つ少数派制服の女の子だった。
綱吉の予想を覆し、丈の短い露出の多い制服の方が人気があって、バイトの子なんかは大抵こっちを選ぶ。
おとなしめの子や、本社からヘルプに来る社員の女性はロングスカートの方を身につける事が多い。
(本社…ハァ)
綱吉は成り行き上店長をやらせて貰っている。
この女の園(社長の趣味)で男一人というのは、立場的にもかなりのプレッシャーがあるのだが、本社から派遣されてくる人達はとても優秀だった。
経理も店のアレンジも接客指導も、全てにおいて自分より上の女性が何人も何人も来て、その仕事ぶりを颯爽と見せつけていく度に、綱吉は自分の至らなさ、気のまわらなさにガッカリする。
(なんで俺、此処に居るんだろう……社長に聞いてみようかな)
「お待たせしました、沢田です」
『なんだ? どうした、死にそうな声出しやがって』
(オマエのせいだよ)
…とは答えられないのが勤め人の悲哀である。
そして口からは適当な言い訳が出てくるという。
「はあ。腹の具合がどうも」
『若いのに情けないヤツだな。今度スッポンでも食いに行くか』
ウッ、と詰まった綱吉の反応に、受話器から楽しげな笑い声が響く。
完全に面白がっている。
この社長、レストラン経営の他にも仕事があり、あちこち飛び回って滅茶苦茶忙しい筈なのに、こうして頻繁に声をかけてくる。
『それはそうと、用心棒の件な。今日そっちへ行く』
「エッ?」
綱吉の頭には腰に刀を差した『用心棒』が浮かんだ。
『腕は保証する。店に馴染むよう、其処は上手くやってくれよ。じゃあな』
「ちょっと待って下さい、そんないきなり…わー切れたー!」
2009.9.28 up
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