バランスビター
男の綱吉、基本的に表の需要がない。注文を取りに――否、水を注ぎに行くだけでも「チッお前かよ」みたいな顔をされる。
同じ男として分からないでもないのだが、近頃は女性客ですらがっかりしているように見えて――トレイを拭いたり、皿を磨いたりと雑用に励む事が多かった。
昼の混雑を過ぎ、調理場は一時落ち着いている。
フロアのスタッフも交代で休憩に入り、そろそろ俺も昼飯ぐらい頂くかとそう思い始めた頃。
「たのもーッ!」
ドアが開いた途端大音量で聞こえてきた言葉に、綱吉はビクリと顔を上げた。
というか、店中の人間が戸口を凝視する。
「い、いらっしゃいませ…」
流石接客係。異様な客にも応対はソツが無い。若干腰が引けているが。
皆が息を詰めて場を見守る中、その人物はハキハキとした口調で告げた。
「客ではない。本社から来た例の者だと店長に――店長は何処だ!」
「ハハハハハイッ」
背筋までピンとのばし、その場に立ち上がった綱吉。それをじろりと睨み、
(あれ?)
長い布をぐるりと巻き付けた、独特のデザインのコートをばさりと払うと、その下には細くなだらかな曲線が。
(本社から来たっていうとその…例の用心棒? だよな…)
女の人?
首を傾げる綱吉を、その女性は正面から見据えた。
「うっ…」
なんだか妙に迫力のある御仁である。用心棒言うくらいだから当たり前か。うむむ。
性別さえ抜かせば、自分の想像した用心棒像とあまり違わない。
「貴様が店長か」
「は、はあ。店長の沢田です」
「…フン」
じろじろと値踏みする視線に晒され、周囲の目がいい加減気になってきた事もあって、綱吉はスタッフルームのドアを開けた。
「此方へどうぞ」
普段面接などをする時は、基本休憩室を使う。
奥は大きな鏡と軽い照明のある更衣室で、此方は掃除の時以外は入らない。変態扱いされたくないので。
しかし今は休憩中の子達の姿が2、3人。
ポップな色遣いの壁紙に囲まれてこの人物と話をするのもどうかと思い、一応店長室という名目の狭い部屋に案内した。
過去のメニューや様々な資料が詰め込まれたこの部屋は、今や完全に物置である。
「狭いですけど。良ければ…座りますか?」
「構わん。貴様が座りたいなら座るがいい」
「…あ、じゃあ、このままで……何か飲みます?」
「構わんと言っているだろうが! オレは仕事をしに来たのだ茶を飲みに来たのではない!」
「うひゃぁっ」
怒鳴られた。
「大体貴様は何なのだ。店の長という役職に就きながらビクビクと人の顔色ばかり窺いおってそれでも男か!」
「ええ〜っ?! あ…えーと、すみません…」
またも相手の視線が鋭くなる。どうもまずい事を言ったらしいと察しつつも、未だその原因が掴めない綱吉はうろたえるばかりである。
「何故謝る」
「はい?」
「何故謝ったのだ。オレは良く知りもしないお前を侮辱したのだぞ。それを貴様は…怒らずに謝るとは」
今度は呆れられたのか。
深いため息と、じろりと冷たい一瞥を頂いて綱吉は恐縮する。
とはいえ、それぐらいの事は言われ慣れているので今更という感じだ。綱吉に関わった他人は程度や言葉は違えどほぼ例外なく、気弱な物腰を指摘する。
言われれば成る程と思う。そしてそれが気に障ったのだから、謝ろうと思う。それだけだ。
(なんか…色々面倒臭いなこの人…)
そして内心では結構失礼な事を考えていたりする。
「それで、貴方が今日来るその…用心棒さんで?」
「…そうだ」
「本当に寄越しちゃうんだ、あの人」
独り言である。あのキワモノ社長、ふざけてばかりと思いきや、こんな所は真面目なようだ。
相手がピクリと眉を上げたので綱吉は慌てて愛想笑いを浮かべ、どうもどうもと頭を下げる。
「それはどうもご苦労様です」
「具体的にオレは何をすれば良いのだ!」
バンと壁を叩いて用心棒はいきり立つ。
すごく元気の良い人だなあ、と感心しながら、綱吉も困った。
「……どうしましょうね?」
「貴様があの男に依頼したんだろうが!」
「あハイそうですすみませんっ…」
「一々謝るな腹の立つ!」
「グエッ」
喉頸を抑えられて藻掻く。流石用心棒、強い。
これなら無礼な客も一発で…
(って、そんな事したら警察沙汰に)
暴行罪、傷害罪である。
穏便に、睨みを利かす程度で良いのに、こんな爆弾みたいな人送ってこられても。
「ゲホッ、ゴホゴホッ……お、落ち着いて」
「フンッ!」
放り投げられた綱吉の尻は、スポンと椅子に収まった。
カラカラと回転しながらえらいのが来ちまった、としょっぱい顔になる。サテどうしようか――悩んだ所で。
「店長、店長〜!」
パタパタと小走りの足音と共に、バイトの子が駆け込んできた。
「大変です、お客さんがっ」
「どうしたのっ?」
「いつもの人ですけど、今日は酔っ払ってるみたいで……隣に座れとか、あちこち触ってきたりして、無茶するんです!」
「今行く!」
立ち上がって飛び出す綱吉は、最早用心棒の事など頭から吹き飛んでいた。
(あああ〜、よりによって!)
普段綱吉が奥でなく、フロアのギリギリ見える所に常駐しているのは牽制の為である。
自分が席を外したせいだろう。見てやって、注意をするのが仕事なのに。
フロアに出ると、確かに常連客の一人が顔を赤くして店員に絡んでいる。
連れの男もニヤニヤ笑うだけで、止めない。周囲の客は眉を顰めている。
最悪である。
(とりあえず、助けないと)
腕を掴まれて涙目の女の子が、綱吉を見て店長、と呟いた。
(ごめんね、遅れて)
「お客様、失礼ですが当店では…」
「うるせぇな、聞き飽きたよそれ」
酒くさい息がかかる。酔っぱらった勢いでこんな事をしているのだろうが…
「いいじゃねえか。あんたも一緒だろ? ンな格好させてるんだからよ」
(ち〜〜が〜〜う〜〜!)
この格好をさせているのは社長。俺じゃない。仲間にするな。
カチンと来たのと、女の子がいい加減限界だったので、少々強引に手を離す。
ヒクと喉を鳴らして数歩下がる。一瞬そちらに注意が行った。
「何しやがる!」
「…ッ!」
顔面に衝撃が来た。殴られたのだと分かった時には、床に転がっていた。
いじめられて小突かれるぐらいはあったが、正面から殴られたのは初めてだ。滅茶苦茶痛い。
足が震える。怖い、逃げ出してしまいたい。じりと動く。
(でも俺、店長なんだっけ)
痛いけど。
犬に噛まれた時のが痛い。
変に冷静な思考が恐怖を上回った。
この職に就いてからずっと、怖い人がからんできたらどうしようと散々考えていたからかもしれない。思ったより酷い事にはなっていないと。
なにしろ想像の中の自分は数人に殴る蹴るの暴行を加えられていたが、今はとりあえず一人だし。
綱吉は震えながらも起き上がり、鼻を押さえてくぐもった声を出した。
「お客様。申し訳ありませんが――」
「申し訳ない事があるか――ッッ!」
目の前を高速の弾丸が飛び出していった。
いや、人だ。そして拳。テーブルに付けた足。
「酔っぱらいに情けなど無用! 殴られて謝るなど貴様変態かーッ! 男ならやり返せッ、拳で語れッ」
「ふげっ、ゴボッ」
「この店は食事を提供しておるのだ! 店員への懸想は禁止だ身の程知らずめが! 用事が済んだらさっさと帰れ馬鹿者がぁ!」
「わーもうそれくらいで勘弁してえええ」
客を殴り続ける用心棒を、綱吉は慌てて後ろからがばりと押さえつけた。
(警察沙汰になるっ、営業停止になるー!)
それのみ考えての行為だったが、触れた途端力んでいた背がびくんと震える。そして。
「軟弱者がオレに触るなー!」
「わぶっ」
もう一発食らった。先程の三倍痛い。酷い。
綱吉はのけぞった体勢のまま後ろに倒れ込む。
暴れまくる『用心棒』に、店の客は恐怖に目を見開いているし、殴られた酔っぱらいは茫然自失。店員達も凍り付いて動かない、そんな中。
「店長っ!」
床にポテリと倒れた綱吉に、初め腕を掴まれていた店員が駆け寄った。
それを期にわっと周囲が動き出した。暴風域から店長を救わんと、皆で掴んで引っ張る。
「うぅ…」
「店長、しっかりして下さい!」
「店長頑張って〜!」
何の応援なんだ。
こんな状況でも冷静に突っ込んでしまう。因果な体質である。
「大丈夫ですよ、もうすぐ警察が」
警察って。まずいじゃん。
(どうせ…怒られるの…俺……)
夢うつつにサイレンの音が聞こえてきて、綱吉の意識は絶望に沈んだ。
「あのねぇ」
疲れたような表情で、警帽を着けたおまわりさんが自分を見る。
五十代ぐらい、落ち着いた様子の人である。しかし視線は鋭い。
「あんた…店長さん? とにかくこれで鼻拭いて」
「ありがとうございまず…」
事情を聞くにも鼻血がダラダラ流れている状態では、落ち着かないだろう。
「あのお客さんね。まあたいした事はないでしょ、酔っ払ってるしね。目が覚めたらお話して帰しておくからね」
「ずびばぜん…」
此処は最寄りの交番。
綱吉の右隣では、憮然とした表情で腕組みをし、まるで反省の色のない『用心棒』が座っている。
また左には、酔っぱらい客の連れが幾分青い顔色で座っていた。
「それで、何があったのかな?」
「先程全て言った筈だが」
鼻を押さえた綱吉の首ががくんと落ちる。あわわ、なんつーことを。
発言の元は勿論『用心棒』だ。どこまでも偉そうな人である。
「うん。でも大事だよねえ。こんな大騒ぎして、周りのお客さんにも沢山迷惑かけてる訳でしょ?」
「……」
諭す口調、物腰柔らかな態度だが、流石に警官。押しが強い。
「まずは身元確認から行きましょうか。そちらさんは?」
「は、はい。沢田綱吉、住所は…」
「免許証とか身分証明、ある? ああどうも。確認させて頂きます」
左隣の男も、進みが無い様子ではあったが、無事確認を終えた。
問題は『用心棒』だ。
「オレの名はラル。住所は無い」
以上。
みたいな、味も素っ気もない反応に警官の口があんぐり開く。
「ああ…外国の方?」
なんとも微妙な言い方だが、途端に左隣の男がビクリとしたのには驚いた。
綱吉は、用心棒…ラルの容姿を見た時も、社長がアレなので勝手に納得していたのだが。
(確かに前髪長いし、額にゴーグルみたいの着けてるし、パッと見変かなあ。日本人じゃないけど日本語メチャ上手いし……ラルさんって言うのか。覚えておこう)
これもあのコスプレ社長のせいで、極自然に受け入れていた綱吉。
「それはちょっと…手続き面倒だねえ。後で照会させて貰うよ。じゃ、最初から話して」
「簡単な話だ」
誰よりも先にラルは口を開いた。
「其処の酔っぱらいが店員に不浄な振る舞いをした。この軟弱者は注意をしたのだが、軟弱な姿勢でヘコヘコと媚びへつらい、殴られた。オレはようじ」
全ての言葉が出る前に、綱吉はその口を塞ぐ。
冷や汗がたらたらと背を流れた。
「モガッ」
「彼女は店のスタッフです」
用心棒云々は、話せばややこしい事になりそうだった。
流石にそれは察したのか、ラルはものすごい目で睨みつつ黙って腕組みをした。
ところが言葉に詰まったその時、左隣の男が抗議の声を上げた。
「このねーちゃん、すげえ勢いで殴ってたよ。ありゃ酷ぇや」
「フン、急所は外している。痕も大して残らん。素人に本気は出さないようにしている…貴様こそ、友人の危機に青い顔で震えていただけではないか。まったく情けない」
「なんだと…っ!」
まったく、情けない。
そんな不穏当な発言、不利になるばかりではないか。綱吉はがくんと頭を落として唸った。勘弁してくれ。
睨み合う二人の間に、割って入ったのは調書を作っていたおまわりさんである。
「大体の事情は分かったけどね。君、君ね。腹が立ったんだろうが、女の子が人殴っちゃいけないよ。お店やっていけなくなったらどうするの」
「うむ……それについては反省している」
「そうそう、やり方があるでしょ。なんでも自分だけで解決しようとしないでね、知らせてくれればとりあえず行くから。それからあんた、そうあんた」
「オレは関係ねぇよ!」
「関係ない事ないでしょう。お友達が酔っ払ってるのにお店入るの止めない。女の子にちょっかいかけてるの、黙って見てただけだね? 良くないね?」
「そんなもん」
「良くないねぇ?」
ボードからじろりと視線を上げて、念を押す。
その目の鋭さに、横に居た綱吉ですら震え上がった。
(この人が一番怖いんじゃ…)
案の定文句を言いかけた男も、口を噤んで頷いている。
「それから店長さん」
「ハ、ハイッ!」
「其方のお店ねえ…どうもその…ちょっと変わってるというか。こういうお客さん、多いんじゃないの?」
「はい…」
「どうにかならない?」
どうにかしたい。
どうにかしたいよ、ねえ。
俺だってこんなの困るし、面倒だし、殴られたら痛いし。
ギリ、と腹の辺りの服を掴む。胃の痛む思いで綱吉は言った。
「こればかりは、店の方針なので……」
「はぁ。へぇ…」
三方向から微妙な視線を頂いて、思いは一つ。
(辞めたい…! 今すぐここ、辞めたい〜!)
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