バランスビター

 

 客の入りはそこそこだった。
 昼時の混雑を過ぎて一段落した、いつもの午後。
 まるで平和な一時。
 何も起こりそうにない……
(起こらないでくれよ…!)
 裏で皿を磨きながら綱吉は陰鬱な表情で居た。
 開店以来、様々な事があった。警察にも行った――あの時より数段緊張している。
 明朝のトレーニングは今も続いていた。少し内容が変化して、より高度な段階へと移った感じが…とても…
(胃が痛い…)
 だからこそ此処でこうして何も起こらない事を祈っているというのに。
 そんな綱吉の願いも虚しく、騒がしい一団がやってきた。
(ああ)
 キョロキョロと店内を見回し、「うおーマジでメイドさんじゃん!」などと騒いでいる。
(何も知らぬ素人め…)
 常連は既に店の空気を敏感に感じ取って大人しくしているというのに。
 しかもまた最悪なタイミングで、接客に当たったのはラルだった。
 心なしかワクワクしているように見えるのは。
(気のせいじゃないよね)
「はぁぁ…」
 深いため息を吐いた綱吉に、厨房の女性スタッフが「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。
「ああいうお客さんだとホールも大変ですね」
「うんそうだね…お客さんがね…」
「え?」
 綱吉はのろのろとした動きで皿を置いて、裏へ行き例のモノを取ってくる。
 ハラハラしながら見守っていると、案の定大はしゃぎの一団は注文もせずワイワイ騒いでいる。
「お姉さん、ココ長いの? すげーカワイイねー」
(ああああ、そんな事したら)
 ラルは可愛いと褒められて喜ぶタイプでは、明らかにない。
 案の定ピクリとこめかみや口元が動き、不快に思っているのが見て取れた。
「ちょっとこっち来て座らない? なんでも頼んでいいからさ」
(うわあああ手! 手ぇ掴んだ!)
 殺されるぞお前。
 拳を噛んで震えを押さえていた綱吉は、ラルのフウ…という大きなため息の後の言葉を、息を詰めて聞いていた。
「お客様」
(おお?)
「当店は食事のための店ですので、そのようなサービスは行っておりません。よろしければご注文をどうぞ」
 ラルは他のスタッフのように完璧な断り文句を述べた。
 但し口調も視線も比べものにならない程冷たい。
「なんだよ」
「つまんねー」
「お姉さん、おれら客だって」
「フッ…」
 極めつけの冷笑。
 周囲が凍り付くような、あからさまなそれはこれから始まる修羅場を予感させ、店のスタッフは以前の騒ぎを思い出しているのか、心配そうに見ている。
 声をかけようとした子を制止して、ツナはホールに出た。
(い、嫌だなあ…)
「店長」
「はいっ」
 パチンと指を鳴らして上司を呼びつけたメイド姿のウェイトレスさんは、それまでの不敵な笑みを消し、かしこまった表情で無礼な客に向き直った。
「では失礼して」
 店の通路は要らん程広く取ってある。
 ロングスカートの拡がりを存分に生かしたいと、オーナーがアホほど力を入れたからだ。
(社長のばかやろぉぉぉ)
 綱吉は諦めた表情で出てきて、用意していた厚い木板をラルの前で構える。
 客、スタッフ、厨房、騒いでいた当人達。
 周囲の目が見事に点になっているのを意識しながら、足をぐっと踏みしめてゆっくり大きく頷く。
 ラルは腰を落とし、ゆっくりと息を吐いた。
「店には店の、客には客の礼儀というものがある。其処の所お分かり頂けないお客様の
――頸椎がこれと見て頂きたい」
「はあ?」
「ハッ!」



 気合い一閃、撃ち出した拳は厚さ三センチ強の木板を真っ二つに叩き割った。



「ヒクッ」
 息を呑む音が幾重にも重なる。
「ブバッ」
 周囲で飲み物を口に運んでいた何人かが、それごと吹き出した。
 目の前で板割りをやられた方は、口をぽかんと開けて呆然としている。
「……む。まだ納得して頂けないようだ。店長!」
「はいぃ」
 もうヤケになった綱吉は裏から更に重たいものをよいせ、よいせと持ってきて置いた。
 勿論破片が周囲に飛び散らないよう布をかける。
「…ご注文のコンクリートブロックです」
「セイヤッ!」
 これも拳で真っ二つ。
(瓦は都合が付かなかったので、二段階ほどすっ飛ばしてみました…)
 どうでしょうと周囲を見ると、皆は突然始まった大道芸に大きく目を見張っていた。
(あああああ)
「店長、次!」
「はいっ!」
「これは頭蓋としよう。ハァァーッ!」
 最終的にラルはブロックを頭突きでぶっ壊した。
 練習で散々見ている綱吉でさえ、背筋の震えが止まらなかった。気合いの入れようもものすごいが、ブロックの壊れ方が尋常ではない。
(こなごな…)
 あれを人体に食らったら。死ぬ。
 そんな大技を次々やったら少しはダメージを受けそうなものが、ラルは平然と顔を上げ、注文票を手に言ったのだった。
「以上。よく承知した上で、注文をするが良い。謹んで承る」
 パチ…パチ…
 まばらな拍手がみるみる内に大きくなり、やがて店中を覆い尽くす。
 感動して手を叩くスタッフ。他の客もすごいすごいと大喜びだ。
「す、すいません、でした…」
 さっきまで勢いの良かった彼等も、恐怖に顔を引き攣らせて叩く。
 仕方がないので綱吉も叩いた。
 叩いて、叩いて、手の平が痛くなるくらい叩いて、それから割れた板やら砕けたブロックの後片付けを始めた。







「ラルさんのおかげですね!」
「うん…」
 それから数日の内にラルのパフォーマンスは店の名物となり、綱吉は板とブロックを支えたり運び続けた。
 そして何処をどう伝わったのか、『あの店のメイドさん達は板割りが出来るらしい』『不埒な行いをすると頸椎砕かれるらしい』『頭突きで頭蓋骨骨折もあるそうだ』との噂が街中くまなく拡がり、客のマナーは異常に良くなった。
 もうヘラヘラと声をかけてきたり、馴れ馴れしい口を聞いたり、失礼な事を言う者はいない。
 大変仕事がしやすくなったと喜ぶスタッフに囲まれて、綱吉の笑顔は引き攣っていた。
 すごくありがたいことだ。
 やり方は少々乱暴だが、成果は凄いものがあった。
 店は繁盛し、オーナーからお褒めの言葉も頂いた。そして――
「その…ラルさんなんだけどね」
 近々、余所の区域に二号店が出来るらしい。
 同じようなトラブルが予想され、ラルは近々其方に出向く事になるだろうと告げられていた。
「だから、今週末でお別れなんだ」
「ええーっ?!」
「ラルさん、行っちゃうんですか!」
「そんなぁ…」
 電話を受けた綱吉も、呆然としてしまった。
 確かに彼女が派遣されて来たのはトラブル対処の為だったし、役目を終えた今、その必要がなくなった事も分かっている。
 でも…
「ずっと一緒に仕事してきたので、すごく寂しいです」
「うん」
 滅茶苦茶な所もあったが、ラルにはとても世話になった。
 店の空気を新しくして、よりいきいきと働けるようになり、充実していたというのに。
 涙ぐんでいるスタッフにつられ、ツナも思わず視界が潤んできて視線を落とす。

 大変だったけど、楽しかった。
 いなくなるのはとても寂しい。
 
(早朝のトレーニング、しばらく続けてみよう…)
 そんな事を考えながら、皆でしんみりしていると。
「どうした、こんな暗い所で集まって」
「ラルさん!」
 オフの日にも関わらず、顔を出してくれたラルにワッと人が集まる。
「なんだ店長…皆も、顔色が悪いぞ」
「いや、なんでもない」
 心配させてはいけないと思い、なんとか笑顔を浮かべた。
「どうしたの?」
「本社に顔を出してきた。これを」
「なんですか?」
 受け取ったのは何の変哲もない封筒。
「貴様に渡しておけと。社長から」
「うん」
「辞令だ」



「……はい?!」
 慌てて裏を引っ繰り返す。確かに。
 ざわつくスタッフに囲まれながら中身を取り出すが、
「読めない!」
「店長イタリア語は不得手か?」
 イタリア語どころか英語だって分からない。流麗な文字を見ただけで変な汗が出てくる。
「つまりはその新しい店に貴様も入るのだ」
「お、俺、でも」
「しかし三号店も間を置かず開くらしい。其方へも出張があるとか」
「何のお話ですか!」
 正に寝耳に水である。
 まったく予想していなかった自身の移動を知らされた綱吉は絶叫した。
「なんでー!」
「それは…貴様が板を持たねば誰がやるというのだ?」
「え」
 それってセットなんですか。
「俺と、貴方、で?」
「その通り」
 真顔で頷くラル。
 彼女は冗談を言うタイプではない。とすると。
(本当に…)
 青ざめた綱吉の背後で、電話が鳴った。けたたましい音。
 本社からのお知らせ電話。
 内容はきっと。
「店長」
「…うう」
「電話だぞ」
「ウウウーッ!」


2009.11.10 up


オマケ

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