03.
照明の落ちた通路を歩く。特に急いでいるようには見えないものの女性は足が速く、小走りにならないと追いつけない程だった。
エレベーターの向かいに配置されている階段室(各フロアへのガラス張りのドア、非常灯が見える)へ入ると同時に、「つきそいの子は帰ってもらったから」と言われた。
「はあ、そうです…よね。もう遅いし」
「ええ」
一呼吸置く。
「彼、目を覚ましましたか」
「いいえ。でも心配はいらない。怪我は見た目ほど酷くはないのよ」
「屋上から落ちたんですよね? 俺、その場にいなかったから聞いただけなんです。血がたくさん出てたので……」
「出血はそこそこね。だから時間がかかるでしょう。命に別状はないから安心していいのよ」
「なんでそんな場所にいたんだろう」
構内では一番古い建物だった。
屋上へ通じる扉は鍵がかけられ閉鎖されている。
何か目的がない限り近づかないし、普段はその存在すら忘れられている。新設されたエリアと違い、出られるような作りではない。
そんなような事をぼそぼそ喋っていると、不意に前を行く背中が振り向いた。
「多分、そうね、あの辺りでは一番高い建物だったから。普段は人も寄りつかないし、手っ取り早く周りを見るにはうってつけの場所なのよ」
「…はあ」
「でも不用心だわ。だから――失敗したわね」
ため息でも吐きそうな言い方だった。
身内(だよな?)が未だ意識不明の大怪我をした割に、随分冷淡な態度ではないだろうか。
途惑う綱吉に少しだけ笑ってみせ、女性は一気に階段を上りきる。ついて行くのがやっとの速度。
何も言うことは出来ず、人の少ない廊下を通って病室へ向かう。
きびきびとした動作が印象的だった。空調の音と、彼女がたしたしと床を踏む靴音が響く。静かだ。
「荷物は此方で預かるわね。顔、見てあげて。多分まだ眠っているけど」
いつの間にか個室に移されている。がらんとした何もない空間に、ベッドがひとつ、カーテンは閉められ部屋の中は暗い。廊下より暗かった。
「バジル君…」
青白い顔のそこかしこに小さな傷がある。
包帯の巻かれた腕が布団の上にあり、点滴の針が刺さっている。ぽつ、ぽつと滴の落ちる管を目で追って、それから台の上で見事なまでに真っ二つに割れた携帯を見つけた。
「これのせいで色々と面倒な事になっちゃって。インカム使わせたら早いんでしょうけど、学生生活では不自然なのよね。そこまで大変な事態にはなっていなかったのだし」
「あの…」
「いかなる事情があろうとも、保護対象に保護されるなんて護衛失格。私達は一瞬だけど、あなたを見失いさえした。事態を把握次第連絡して増援を呼ぶべきだったのよ……判断ミスね」
何の話をしているんだ。
聞き返したい事が沢山出てきた。しかし綱吉の喉は凍り付いたように動かない。
本当は分かっているんだろう? あの部屋の――貼り付けられた複数の写真とメモ。隣人? 偶然? まさか。
それらは全て故意に行われたのだ。この人は言った、『保護対象』とやらは俺で、それが保護なのか監視なのかは知らないが、とにかく自分は見張られていて、それで――
「なんでバジル君は……それにこんな酷い怪我って」
「ただ落ちただけじゃ腕の傷は説明がつかない?」
潜めたような声は怪我人を気遣ってのものではない。
油断なく周囲を探るのも、緊張した表情も、綱吉を意識しているのではないのだ。
「ちょっとややこしい事情があって。あなたはある組織から狙われている。バジルは対象に直接接触し、身辺の警護をしていた。私達はそのサポート」
仲がいいよね、と何度も言われてはいた。
でもそれは当たり前だ。住んでる場所が隣で、同じ学部で。気も合うし、いいやつだし、一緒に居る事になんの不満も不審も無かった。
当たり前だと思っていたのだ。
「その組織の名前は――」
「あ、ちょっと待ってください」
ショックを飲み込む時間が必要だった。
彼はいいやつだ。笑顔で、人当たりがよく、親切で、非の打ち所のない性格。
そんな相手が四六時中自分と共にある状況に、どうして気付かなかったんだろう。
なんだろう、これ。
うう、と綱吉は唸った。
感じるべきではない妙な敗北感があるのだった。そうか、そういう事情か。そうなんだ。そうだよな。
俯いて目を閉じて、言い聞かせる。
こんなのたいしたことじゃない。
「――はい。いいです…続き、どうぞ」
「本当に大丈夫?」
相手の途惑う様子が伝わってくる。余計な動揺を見せてしまった。咄嗟に舌打ちしたい、けど、堪える。笑顔こそ作れないものの、どうにか普通の顔は出来ている筈だ。
「いろいろびっくりして」
「そうよね…驚いて当然だと思うの」
驚いている。
訳の分からない組織だの護衛だのの話より、今の今まで親しい友人と思っていた相手の、新たな一面を知って腹に一撃くらったみたいな重さがあるなんて。え、そっちかよ、みたいな。
2012.6.6 up
04.
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