料理の先生骸×ツナ
ざり、と嫌な感触がして思わず声をあげてしまった。
痛みが来たのはそれからだ。じんわりと染みるような痛み……もう何度目になるだろう? 周囲の目が一斉に此方を向き――それは気遣わしげなものから、またかというような呆れも含み、非常にいたたまれない気持ちになる。
「…っつ」
自慢じゃないが、俺は痛みにものすごく弱い。
本当は大声で喚き散らしたい気分だった、包丁で指先を、爪とその下の柔らかい皮膚をざっくりと裂くあの独特の感触! 本当にいやなものだ。
でも我慢、我慢。
じゃないとまた、また! 面倒くさい事になる……そう思った矢先だ。背後に立つ気配。ふうと大きな溜め息が聞こえてきた。
「沢田さん」
びくり。
大きく肩を揺らした俺に、追い打ちをかけるような一言。
「またですか?」
「あ……ハイ。すみません…」
謝られるようなことではないんですが、と一応フォローらしきものが入る。
でもその顔はしっかと眉が顰められていたし、鬱陶しいと思っているのが丸わかりだった。
「すぐに洗いましょう」
やや乱暴に手を掴まれる。冷たい。流水にさらされた傷口から赤い色が消え、一瞬だけ傷も消えたような気がする。
でもそれは本当に一瞬だけで、自ら抜くとすぐにじんじんし始め、赤い血が滲んでくる。
指の根本をギュウと締められながら、ハア、と肩を落とす。
「ちょっと待ってて。絆創膏取ってきますから」
「は、はい」
言うなりくるりときびすをかえし、廊下へ出て行く背を幾つもの視線が追う。
中には自分と同じ男、つまり同性も居る筈なのだが、熱っぽい視線が集中する。そしてヘマをやらかした挙げ句、特別な接触(怒られて水ぶっかけられて指の根っこ押さえられただけですけどー!)をされた俺に対する、微妙に嫉妬を含んだ視線……勘弁して欲しい……
「大丈夫、ですか?」
かろうじて同じテーブルで講習についていた、ハタチそこそこの女性が声をかけてくれたが、俺はと言えば口の中でモゴモゴと煮え切らない返事をするのが精一杯。
「大丈夫です。なんかもう…慣れちゃって」
「すっごく痛そう。私も時々やっちゃうんですけど、痛いんですよねー。治るまでいろいろと不便だし」
彼女はなんとニコリと笑いかけてくれた。うわあ、と内心で歓声をあげる。
若い、かわいい女の子が俺のドジでしでかした小さな怪我を心配してくれる――なんて恵まれたシチュエーションだろう。幸せ、感じるなあ。こういうのなら、いいよな。
「お待たせしました」
そんな素敵な場面にズッパーンと入ってきたのは、お帰りの早い先生の一言だった。
「指を出してください」
「あの、俺、自分で」
「はやく」
平素から素っ気ない態度の人だが、なんだかどんどん機嫌が悪くなっている。
大人しく手を出すと、もう一度水で流してから少しきつめに指先を留められた。
「沢田さんは、今日はもう刃物には近付かない方が」
「あ、はい、そうします…」
「賢明ですね」
上からばすんと蓋を被せるような物言いだ。
癪に障るが、したのは自分自身。何も言い返せず、足下を見るしかない。
「材料は切り終わりましたか?」
「あのう、それがまだ」
「では、僕が」
えー。
言いたいけど――ぐ、と飲み込む。
またあの冷たい目でじろりと睨まれるのは、嫌だ。
何でだろう。
少し離れた場所で、手際よく動くその手元を見詰めながら、考える。
綱吉がこの料理教室に通い始めたのは、ほんの軽い気持ちだった。
念願の一人暮らしを初めて二ヶ月――栄養状態の悪化から外回り中に貧血を起こし、倒れたという情けない理由から実家に戻る事を余儀なくされた。
母親は「だと思った」と頼りない息子の帰還をあっけなく受け入れたが、本人はこれ、相当傷付いたのである。
なんせ自分では立派な大人のつもりでいた。
外食やコンビニメシに飽き、かと言って料理などしたことはない。
仕事で疲れて戻って寝るだけの暮らしをしていたら、この有様。
改めて自己管理の無さを実感した綱吉は、以来積極的に家事を手伝うようになった――という事は全然なく、どうして自分はこうもダメなんだ、とおきまりの愚痴を母親に言っていた。
「誰だって最初はそうでしょ。料理はね、憶えるものよ」
「だって…」
「そんなに気になるなら、料理教室通えばいいんじゃない?」
言うなりさっさと出かけていって、チラシを持って帰ってきた母親の行動力は大した物だと思う。
だから自分だって、珍しくさっさと行動した。電話をかけ、定員残り一名の所を滑り込むようにして予約して、エプロンまで買って出かけたのじゃないか!
悲劇は綱吉がものすごく不器用だった、という事に始まる。
そして料理教室の先生が男だった、というのも少しあるんじゃないだろうか。
(だいたい、そこからして予定が狂ったんだよな…)
先生は若く、妙に綺麗な顔をして、長身でスタイルも良く、オマケに独身だった。
しかしそんな事は綱吉のやる気に些かも影響せず、寧ろ萎えたというか。
栄養バランスを重視した講義内容から、男性四割女性六割。
流石に主婦は少ないものの、先生を前に頬を染めて恥じらったり、もう堂々と狙いを定めているうら若き女性様々がズラリ。
浮かれるなんてとんでもない。
皆先生目当てに来ているようなものなのだし、美形でない冴えない男など空気扱いである。
(対比だ、対比。対比の問題)
そんでもってこの先生、微妙に綱吉にだけ冷たい。ような気がする。
他の人には丁寧に教えているのに、自分に向いた時だけ視線の温度が二度ほど下がる。
口調もぶっきらぼうというか。いや、言葉は丁寧なのだが、一々気に障る言い方をする。
そんな嫌われるような事をした憶えもないのだが……第一印象からそうだった。
だが綱吉は超がつく不器用で、今もこうして指の一部を薄くそぎ落としたりして面倒をかけ、他の生徒達より世話になる機会が多いのだった。余計に悪い。
近頃は先生も心得てきて、一番始めに綱吉の居るテーブルをチェックしに来るし、料理の味見もここでする。
見張られているような気がして気分が悪い。
でもそういう関わりが、他人には酷く羨ましく感じるらしい。
現に同じ時間帯に受講する女性に、「沢田さんばっかり、いいなあ!」と言われたのは一度や二度ではない。聞くたび、お前じゃあ代わってみろと絶叫したくなる。ただでさえ慣れない包丁使いを指摘され、味が薄いだの、塩が足りないだの姑みたいな小言を食らい、時にじろりと睨まれ――んなの、ノシつけてくれてやるわあああ!
「沢田さん」
「はうぁッ?!」
変な声が出た。
ビックリした。気付くと教室中の視線が集まっていて、目の前には例の仏頂面。
「ここまで、やりましたから。仕上げ出来そうですか? それとも…」
「ああ、いやはい、大丈夫ですやります」
綺麗に下ごしらえされた材料を前に、じわりと汗が出る。
絆創膏で覆われた傷はじくじくと痛み、最早やる気などゼロである。しかし此処で否を言うのは――気の小さい綱吉には到底無理なことだ。
人気の無くなった廊下をとぼとぼと歩く。
あの後、なんとか料理を仕上げた。珍しく先生も味付けなんぞ褒めていたが、それは各分量振り分けられていたのであり、調理のタイミングごと指示が出ていたからで、全然自分の手柄ではないのだった。
(俺、向いてねえのかなあ…)
母親は包丁を握れるようになっただけで喜んでいたが……正直この先の人生、料理などせずに生きていきたい。もうカップ麺でよくね?
講習はあと三回残っている。
通い始めて三ヶ月――会社帰りに休みなく、よく頑張ったものだ。うん。
(いいような気がしてきたぞ)
サボろうかなと思い出したら、途端に気分が軽くなってきた。
「よし、よしよし」
決めた。うん、やめよ。
エレベーターのボタンを押し、壁を背にして寄りかかった時だった。
ばん! と大きな音がしてエレベーターのボタンが押され、閉まる寸前だったドアが再び開く。
其所に立つ人物を見た綱吉は――流石に、顔の引き攣りを隠す事が出来なかった。
「待ってください」
「せ…んせい」
「僕も乗ります」
この料理教室、後片付けまで講習に入っている。
だから先生も早くハケようと思えばハケられるわけで、いやでも。
(うわあ…)
今までいっぺんだって一緒になった事はないのに。
つか、息切れてないか?
(まさか追いかけてきた……とか)
ひええ、と内心で悲鳴を上げる。サボろうかな、とか思いだしたのは本当についさっきの事だ。教室を出る時は欠片も思ってないワケで、未来予知? 心読んだ?
でもなんだかこの先生なら有り得るような気がしてきたよおおおお!
(こわ!)
「あ、はいどうぞ」
しかし体は勝手に横へ退き、ぎこちないながらも顔は笑みを浮かべてしまう。営業職の悲しいサガか。
「一緒になるなんて珍しいですねー。今日は早く終わったんですか?」
「……は」
なんだよ、その顔は。
先生はぽかんと口を開けて二、三秒呆けていたが、エレベーターの『4』の文字が点灯するまでには表情を戻した。
「ええ、まあ。そんなところです」
「いつも大変ですよね、遅くまで。俺みたいのが迷惑かけちゃうし」
「そんなことは…」
おお、なんだか大人しい。
いつものハア何言ってるんですか的な反応ではない。珍しい。
「なーんですかねー。やっちゃうんですよねえ。困ったもんで、ハハ。すみません」
「沢田さんは、頑張ってると思います」
え?
またタイミング良くチーンと間抜けな音が響き渡り、出口のある二階に着いた事を知らせる。
「ありがとうございます」
「え……ええ、そうです」
そうなんです、と妙に落ち着かないそぶりを見せて、先生は視線を逸らした。
「お先にどうぞ」
「はあ。どうも」
癖でペコペコしながら、鞄を前に、前屈み気味に出る。
くたびれた吊るしのスーツに安物の鞄と靴。いかにも冴えない俺と、背が高くて見栄えの良いこの人の組み合わせは、多分相当違和感があるだろう。
しかし今は夜だし、時間が遅いこともあって殆ど人気がない。繁華街が近いから、それに金曜の夜だ。居ても酔っぱらい。
なんとなく一緒に歩きながら、ぽつぽつ話をした。
先生も大分気を遣っていたのだろう、料理の話は避けて(正直、ありがたい)会社とか、学生時代のこととか色々聞いていた。
どうやら地元の人ではないらしい。そりゃそうか……こんな目立つ人が居たら、絶対噂になるもんね。
俺と先生は何気に同世代である。
「いえ、僕は、此処の出身ではなくて」
「あーそーなんですかぁ。俺ずっと並盛から出たことないんでー」
さり気なく車道側歩いたり、道路に出る度大丈夫ですかって振り向いてくれたり、なんだか今日はやけに親切だ。
やっぱり悟られているのかな、という気もしたが、こうなると逆に覚悟が固まって、聞かれたら正直に言おう、なんて考えた。
今日のこの感じなら言っても怒られなさそうとか打算が働いたことは否めない。
きらびやかな通り――まあ平たく言えば騒がしくてギラギラした、店の並んだ通りを歩く。
時間が遅いので客引きやら酔っぱらいが所々に居る。それをスイスイと避けて、歩く。
まっすぐ家に帰るつもりだったが、途中先生はちょっと寄りませんか、と言って道の脇を指した。シティホテルの地下の店だった。
雰囲気の良いバーなんて、馴染みがないにも程がある。
正直地元にこんな店があるなんて知らなかった。俺は居酒屋専門なのだ。
先生は慣れたように店に入り、マスターに黙礼で挨拶して、そっちも返して、目立たない奥の席に着いた。
「まじすか」
「はい?」
「いやー、こんな所来たことないですけど。ビールとかあるのかな?」
「グラスビールがありますよ。此処は種類もありますから」
いやフツーにアサヒとかで良いんだけどなあ、とか思いながら。
意味もなく愛想笑いをした。
なんだ、まただ。
この先生、視線が合うと途端に表情が無くなる。造りは綺麗なのに口角が下がり怒ったような顔になるので、怖いのである。
「なんでもいいですよ」
「…ああ、すみません」
カウンターには三人居た。店のマスターとおぼしき、四、五十代の男性。それよりかは若い、ロングの髪を一つに纏めた女性バーテン。若く髪を立てた今風の男。
注文を取りに来たのは若い男だった。
「よろしいですか」
「ジン・ライム。彼にはビールを……どうします?」
「は、あ」
「この店は、色々と。ベルギーやドイツのものもありますが」
なんでも、テキトウに、と口癖が出そうになったが、そんな雰囲気ではなかった。
身なりや印象とは違い、柔らかでソツのない接客用の笑みを浮かべて立つ店員が、メニューを指し示して丁寧な解説を始めた。
「普段飲んでおられるのは……辛口ですね? ではこれなど如何でしょう。なめらかでクリアな味わいが特徴です」
「そーなんすか」
「こちらは日本のものと違い、アルコール度数が高めになりますね」
「あ……えーと、じゃあ」
一番無難そうなものを選んで、かしこまりましたと丁寧な口調にもう反射的にアタマを下げる。
相手は笑みを一層深くし、一礼してカウンターへと戻って行った。
ぺこぺこするのは癖のようなものだ。
もともとそういう性格なのに加え、営業をやるようになってから余計酷くなった。こういう状況で、場違いなのだろう。向かいの席からの視線がギリ、と強くなる。
「すみません。なんか」
「いえ…」
ぎこちない空気が辺りに漂う。
店の選曲もアレだ……かなり古めの洋楽。悪くないんだけど、出来過ぎというか。
「このお店、よく来るんですか?」
「そうですね。教室が終われば、大抵飲んで帰ります」
「えっ……そうなんだ…」
「なぜですか?」
ちらりと視線を寄越したその顔。
怪訝そうに眉が顰められていたが、つい笑ってしまう。
「はは、いやあ、印象違ったんで。結構お酒とか飲まれるんですね? 女の子達が聞いたらびっくりするだろうな」
「どうしてです?」
意外と食い付いてきた。
そうか、そうだよな。誰しも人間、外からの目って気になるもんだよね。
特に異性のものは。
「あんまり酒飲みなイメージないですよねえ」
「僕の料理、お酒用でしょう?」
「あー、そうなんですか。そういうものかと。他知らないんで」
「レシピを考えていると、どうしてもつまみになってしまうんですよ。それをなるべく食事用に……変更を加えて」
「ああ!」
確かに味のはっきりしたものが多い。
男の生徒にも配慮した内容なのかと思いきや、こんな所に理由が隠されていたとは。
なんだか他の人が知らないことを知って、得した気分だ。
そうこうしてる間に、酒とスナックの入ったカゴが運ばれてきた。
料理教室はいつも出来上がったものを頂いて帰る。腹は減っていないのでこれで十分。
味の濃いスナック菓子をかじりながら、ビールを飲む。うん、ウマイ。
「こういうのもいいもんですねー。今度友達と来てみようかな」
「……」
「先生は」
「いえ、僕は。一人でしか来ません」
「女の子とかも?」
俺は指で小さなバツを作って見せる。
なんつうか、仕草がおっさん化してるな。間違いなく仕事の影響だ。
「ふーん。でも先生、モテるでしょ?」
「はい」
ずっぱしと言い切った。
ここまで言い切られると、逆に気持ちがいいね。
「こういう店連れてってー、とか言われない?」
「言われますが」
「ダメなの?」
先生は頑なに首を横に振る。
「騒がしいのは嫌いなんです」
「なんつーゼイタクな…」
「すみません」
うわあ。
意識せずに本音が漏れていた。一杯の半分だけ飲んだビールのせいではないだろう…多分。
もうついでだと、残りも飲み干してしまう。
水滴の付いたグラス越しに、横向きの顔が見える。
鼻筋が高い。ちょっと日本人離れしているほど。
目だって――見慣れたものとは大分違う。表情を読み取れるほど大きくて、はっきりしているのに切れ長で、なんとも申し分のない形だ。
普段は憎たらしいほど軽蔑の色を乗せてくるが。
総じて綺麗な顔なのだ。
後ろで束ねた髪とか、普通にその辺の男がやったら単にへんなやつで終わってしまうような格好が似合っている。見合っている。
なんでこんな人が俺なんか誘うかな、と思いながら凝視していると、不意に正面で視線が合った。
俺はへらりと笑う。殆ど癖のようなものだ。子供の時からそうだった。
先生は笑わなかった。
「沢田さんは、料理は嫌いですか?」
うお、直球で来たな。
「嫌いというか……あんまり向いてないのかな、とは思います…」
「そうですか」
沈黙。
それは不思議と居心地の悪いものではない。
多分、顔だ。
この人の困った顔が俺は妙に愉快だった。普段澄ましているから余計に際立つ。
薄笑いを浮かべて言葉を待つ。一杯だけのビールがやけに効いてきて、度数云々の話は本当なのだと実感する。
「別に、来たくなければいいんです」
「ん?!」
散々逡巡した後、先生が言った言葉は予想外のものだった。
「嫌なのに無理して通う事はありません。料理なんて出来なくても死にませんしね」
「うーん…」
死にかけとまではいかなくても、ぶっ倒れた身としては中々に賛同し辛い。
ビミョーな顔付きで固まっていると、先生はびくんと肩を揺らした。
動揺している?
「そういう意味では。ただ、教室は止めて頂いて構わないんですけど、それだと」
何言ってんのかなあ、この人。
最初俺は教室に通うことを止めないよう、説教しに店に入ったのかと思ったのだ。
普通立場的にとめるだろ?
料理しなくても死なねえとか、言わないだろうよ。料理教室の先生が、さ!
「…なかなかお会いできなくなるので」
「なんで?」
後から考えると酷い。デリカシーの欠片もない。
だがその時は、ンな素っ頓狂な事をこの先生が言うとは思っていなかったので仕方がない。
案の定相手は絶句していた。
「なんでって」
「うん」
酒の勢いもあるのだろう。
俺は酔っ払うと判断力が30%程低下する。
「どうしてなのかなあ、って」
もう一度、念押しのように目を合わせて尋ねると、先生は目を閉じて眉間にシワを寄せ、難しい顔をした。
そのまま数秒間動かず――再び目を開けた時は、はっきりとした決意を持っていたに違いない。
「もう他の生徒さんと関わらないでください」
「うえぇ?!」
な、なんで?
本当になんでだと思った。
俺、そんなに周囲に悪い影響をもたらしていましたか?
「道具を貸しあったり、分量確かめたりとか、玉葱切る度一々涙が出る話とかそういうのイライラするんで。ウチは婚活料理教室じゃないですよ」
「え、あ、でも、そういうの、は」
俺がそういう事をしているのは……そりゃあ同じテーブルになった女の子相手の時もあるが、大抵は向かいの定位置に居る入江さんであり。
入江さんは男である。念のため。
「入江さん男ですけど」
「性別はこの際関係ありません」
いやあるでしょー…婚活とか言ったの先生ですよ? ほんのちょっと前。忘れた?
今度は俺が絶句する番だ。
「君が他の人間と関わっているのを見るとイライラするんです」
俺、そんなにあなたに嫌われるような事しましたかね?
人生初だ。今まで色々言われてきたけど、皆半笑いでとか影でこっそり、だったぞ!
こんな真正面からヘイトを叩き付けられたのは始めてで、なんか。むしろ、笑ってしまう。
「そんなに嫌わなくても…」
「嫌ってなんかいませんよ」
心外だ、という風に鼻を鳴らして(ちょっとびっくりした。そういうキャラじゃない)先生はくわと目を見開いた。
「沢田さん」
「は、はあ」
「付き合ってください」
「……………誰?」
言い訳させて欲しい。
あまりに、あまりに予想外の言葉だったのだ。アタマがマトモに働かなくても許してくれよ!
「僕と」
「せん、せいと」
「結婚を前提に」
「それは無理だろ」
思わずツッコんだ。
「海外ではそういう可能性もありますよ」
「ああ…」
あ、そういう意味、なの? かな?
「……って、先生は、そういう…」
男の人が好きとかそういう事なのかな、と思ったが、彼は首を振った。
「特にそういう趣向ではないです。性別に囚われないだけで」
「す、すげえ」
両方オーケーっていう内容が、言い方を変えるだけでこんなにも格好良くなるなんて発見だ……ところで俺は女の子しか受け付けないですけど。
「なんでそんな事思ったんです?」
ノー、という言葉ではなく、変に捻れた質問が出てきた。
否定の気持ちより好奇心が勝ったのだ。
先生はうーん、と考え込んだ。
それは、探さないと無い感じですか。
「第一印象で」
「そんなに初めから…」
「かわいい人だなと思いまして」
恥ずかしいことを言わせるんですね、と、ちっとも恥ずかしそうじゃない顔で言う。
表情が一切無いじゃないか。
「……あ」
もしかして、これって照れてるのか?
この顔、目が合う度されてたけど、その意味を俺は悪い風にしかとっていなかった。
他の人間が――勿論俺も含めて――頬を染めるとか視線をそらすとか、そういう奥ゆかしーいリアクションをする代わり、この人は恐ろしいほどの無表情をしてきた訳か。
「……ええと」
そう考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきた。
一番最初、教室で会ったときから先生は俺にこんな顔ばかりしていたからだ。とすると、いよいよもって本気らしい、という事に思い当たって、焦る。
(いや。つきあえって言われても)
リアルにそんな状況、想像できない。
この人と俺がデート? 手を繋いで、買い物して、映画の感想を言い合い、休みともなればせっせと景色の良い場所へ行って美味しいもの食べたり? 手料理作ってくれたり?
最後だけは妙にはっきりとしたビジョンだった。家庭用コンロで手際よく料理を作っていく先生と、それを大人しく待っている俺、の図。付き合っている二人というより給食センターと欠食児童の縮図みたいな感じだよな……
「ううん…」
はっきりとした否が、思っているのに口から出てこない。
それは遠慮とか勇気という問題じゃなくて、まるで鍵がかかっているように其所から出て行かないものだった。
俺はこの人をどう思っているんだろう?
困り果ててその目を見返すと、なんと若干潤んでいた。目尻の際がうっすら赤く染まっている。
「恋人なら、僕は君にもっと優しく出来ると思う」
「ふーん。いいですよ」
好意ではない。好奇心だった。
それと酔い。
俺は慣れない外国産のビールに酔っ払っていたのだ!
平凡な会社員ツナと料理の先生骸
ゲスト出演:正チャン、白い人(バーテン)
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