C.P

 

「風邪?」
「そ………そう、風邪だよ………おれのせいじゃない睨まないでくれ頼むから!」
こわいこわいと逃げていくそのツラの方が余程じゃねえかとザンザスは思ったが、いやいや。イイ勝負をしている。
強面が多い署でも、1、2を争うと思われている二人の決着が今付いた。そう―――皆が思いながらそっと視線を外していく。津波前の海のように波が引き、不自然な沈黙に送り出されてザンザスは署を出ていく。
綱吉がいないと仕事にならない、ということを彼でさえ承知していた。

最近は送迎を止めた。綱吉に、目立ちたくなかったら控えろと口をすっぱくして言われた為である。
かと言って、所有する車の中からアメ車というだけで選んだのが綱吉の使っている古キャデラックの隣に乱暴に突っ込んであるコルベット―――しかも車体は艶やかな黒。これがもう、決定的に、目立つ。レースでもやる気か、街を走る車じゃない、だとしたらネーチャンをひっかけ用だと喚き散らす綱吉の言うとおり、通りを走り出し最初の信号で停止した車の中を覗き込むそれこそネーチャンの多いこと。
ふざけるなボンボンがと頭を抱える綱吉の苦悩を、生まれのせいでさっぱり理解しないザンザスはさして考えもせず乗り続け、結果捜査で出る時はほぼ間違いなく綱吉の運転になる―――というわけだ。

別に、下手な訳ではない。
ハンドリングも正確で、コーナーの曲がり方も申し分無い。
ただそのスピードは尋常ではない。基本的安全運転の綱吉の運転を無愛想に「眠くなる」と断じた彼らしく、まるでレース会場のようなキキキィ、に一度だけ助手席に乗った綱吉はゼイゼイと呼吸困難に陥り、シートに爪を立てて叫んだ。おろせ、死にたくない!このヘタクソ!
ヘタじゃねぇ!

完全に論点のずれた二人はそこから暫く口を利かなかったが、車が署に停止した途端綱吉は無言でシートベルトを外し、食い込んだ指を一本一本外し、若干の涙目で思いっきり相棒を睨み付けて、ずるずると尻で下車した。
通りかかった守衛がどちらかというと綱吉に同情のまなざしを送ったのは、無理もない事だった。





綱吉のアパートに着いたザンザスは、やっぱりさしたる考えも無くその真ん前に黒光りするコルベットを横付けた。
余り治安が良いとは言えない、住宅地というよりスラムやダウンタウンに近い薄汚い通りに突如出現した超高級車に付近の住民は目を光らせたが、降りてきたザンザスを見るなり即目の中の欲望を消去した。
やはり、下層で生きている人間は危険にも敏感である。
本能で危ない相手が分かるのだろう。
じろりと付近を一瞥した彼は、錆びたアパートの階段をゆっくりと上がっていく。
その辺のチンケなチンピラとはまるで違う足運びに空気が凍る。皆、外に出ていたものは目をそらしあるいはきびすを返し道を戻り、子供達は怯えた眼差しを引っ込め、わっと走り出してしまう。
ドアの前に立ったマフィア界のお坊ちゃんは、コンコンなんていう愁傷なノックはしない。
無言でドアをドス、ドス!と蹴り付けると、三度目で鍵がガチャドスと外れた音がした。
「………」
ゴトッと重いモノが落ちる音がドアの向こうでする。
きっと壊れて落ちたのだろう。
ザンザスは気にしなかった。
彼は乱暴に扉を開けると、前置き無しでずかずかと他人の家に侵入した。
思ったより片付いている。
中は明かりが消えているせいで薄暗い。

げほっ……ごほごほっ………
狭いダイニングから奥、部屋から聞こえてくる苦しげな咳。
点々と落ちているタオルは半分濡れているやら、汚れているやら、何がなんだか酷い状態になっていた。
勿論、拾うなどという面倒はしない。
そのままそれを踏みつけながら進む。
遮光カーテンの引かれた暗い部屋で、ベッドの上にごそごそと動く塊が見えた。
「おい、」
塊は動くのをピタリと止めた。
シーンと静まりかえった部屋にゼーゼー荒い呼吸音が響く。
遠慮というものを生まれてこの方した事がない男は、勢い良く塊の表面、古ぼけて毛羽立った毛布をひっぺはがした。

「………」
「………」

額に突き付けられている銃口がごり、と頭蓋骨に逸れる。
無言で銃を掴み放り投げた後輩に、綱吉はほっとしたような、泣きそうな顔をして頭から突進した。
ドスッ。
「……っ」
「く、苦しー…」
それはオレの台詞だ。
腹にぐさぐさ突き刺さる髪の毛と、石頭の頭突きの威力を実感して思い浮かんだ台詞は声にならなかった。飲み込んで、肩を掴まえて起こす。
「なにしやがる」
「うん………うん」
綿のパジャマ越しにも熱が上がっているのが分かり、ザンザスは眉を顰めた。風邪………風邪か………そういえばこんなもんだったか。
健康優良児だった彼の最後の風邪の記憶は、4歳の時のおたふく風邪以来、無い。
真っ赤な顔はいつもより顔色が良いくらいだが、目がとろんとしてフラフラしているのはいけないだろうと、素人目にも分かる。
「どうする」
「うん………」
「お前」
酒臭さに気付き、また顔つきを変えた後輩に綱吉はいつもの飄々さ加減はどこへやら、ズビズビ鼻を啜りつつ、
「ごめんなさい………ごめんなさい………」
「は?」
「窓のらくがきは明日じゅうに消します…ミキサーの故障は俺のせいじゃありません………にんじんは嫌いなので出来るなら寿司屋のお盆が」

「おかしくなってやがる」
頼りになる先輩は風邪を引くと電波系だった。


2006.8.4 up


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