C.P

 

最初からそのつもりではなかった。少し静かな場所で考え事をしたかったのだ………それなのに部屋に帰れば隣部屋からけたたましい叫び声と怒号と物の割れる音が、ああまたいつもの夫婦喧嘩が始まり………そのまた隣から壁を蹴飛ばす音と、子供の泣き声と………とても居られない音量になってきたので綱吉はそそくさと逃げ出した。
わざわざこんな薄汚い下層に住む必要を同僚は問うが、いつも曖昧に笑って誤魔化してきた。必要だからと言ったら変人扱いされそうだ。
此処には色んな感情が渦巻いている。むき出しにされた敵意や嫉妬、あからさまな憎しみを綱吉はいつでも脇から眺めている。それに寄って引き起こされる悲劇も喜劇も余すところ無く感じ、覚え、いつでも答えが出せるようにしておく。

そいつなら、どう動くか。
何を考え、何に慌て、何処に迷うか。

それに居心地の良い家を与えられたら最後、綱吉はそこから出ていくのが面倒になるだろう。元々生粋のインドア派なのだ。
夜になって涼しい風が吹いている、涼しすぎるほどに。店に着くなり馴染みの店主は口角を僅かに上げ、ボトルとグラスを取り出した。注文はいつでも割と決まっている。
2杯程干した後、感慨深そうな口調が言った。
「大したもんだ」
嫌だな―――珍しくツナはあからさまに顔を顰めた。古なじみと言う事は過去も色々知られているワケで、それは殆ど飲めずぐでぐでに酔っぱらい、背負われて帰った事も含む。
「センセイはこのところ、とんと顔を見ないな」
「先生は忙しいんだよ。こんな街に来る事はない」
「あんたがいるのにかい?」
くつくつと喉で笑う声に綱吉はますます機嫌を悪くした。
こうして話題が出てしまった以上、今夜静かに現相棒の扱いや出身を熟考するなんてことは無理だ。そしてどうにか上手く追っ払い、もっと大人しめのベテランを着けて貰う事だって………既に酒でどうでも良くなりかけていた。
綱吉はイライラと店を見渡した。
しかしどっちを見ても、"先生"にコテンパンにされたダーツだとか、ビリヤード台とか、磨き込まれたジュークボックスがまだ動く事に驚かされた………とか。
店の選択を間違ったらしい。
少々煩くても、別の所へ行けば良かったのだ。もしくは、女がいるような所でも良かった。
ちらりと恨みがましい視線をやった綱吉に、店主は悪い悪いと頭を下げて日本風の謝罪をし、その後潜めた声でこっそりと耳打ちをした。
「ちょっとおかしな噂を聞いたもんでね。近々大きな捕り物がどうのと」
「またあの人は無茶してるのか………」
「連絡取ってないの?」
「取らねえよ!あんた誤解してるよ………」
店主は心得たようにニッと笑う。口が堅い事、情報に通じている事、総じて綱吉はこの人物を信頼しているが、今のような意地悪は頂けない。
「あまり深酒する前に帰りな」
「余計なお世話だ」
それに誤解は誤解でもなかった、居心地の悪さを隠すためぐいぐい飲んだのが悪かったのだろう。





元々東洋人は童顔だが、綱吉はその中でもとびきりだった。
更に眠ると酷く幼い顔になる。熱が下がったおかげで寝苦しそうな様子は無く、くうくうと実に気持ちよさそうに眠っている。
起こすべきか、放っておくべきか。
生まれて初めて他人の看病をしたザンザスは、病人に対する物珍しさで一晩中張り付いていたのだが、椅子でも何処でも眠れる特権階級には珍しい体質の人間であったため、すっきりした目覚めだった。
元々大した睡眠時間を必要としない上、意識的に睡眠を操る事も出来る。元の職業のせいだろう、特に優秀であった彼等は能率良く単調に、兵士のように休み無く仕事をこなすからだ。
彼にしてかなり珍しくほんの少しだけ迷った後、結局起こす事にした。退屈だったのだ。
「おい」
つついて起こそうとする。
綱吉はうう、と唸るなり、煩そうにその指を払った。
「起きろ」
少しムッとしながらその体をぐらぐら揺らすと、唐突に腕を掴まれた。パシッと小気味よい音がして、腕を巻き込まれて体勢を崩す。
こんな冴えないナリでも犯罪現場に関わる者として、それなりの動きはするらしい。
もしくは無意識の状態の方が力を発揮出来るのか。
咄嗟に左腕で倒れた体勢から支え、引き戻し、文句を言おうと開けた口を掠めて指が首筋に絡み、強い力でベッド側に引き寄せる。
「まだ………まだいい…寝る」
「寝るな」
動揺していた事も手伝い、バカ正直な返事をしてしまう。
腕が巻き付いてザンザスの頭を抱え込み、耳元に口を寄せてぼそぼそと喋る声は掠れている。完全に寝ぼけているから力加減がされてない。抜け出そうとして抵抗しても、余計に強く締められる。
「おい…」
「たのむよ先生今日は………仕事は………休もう」
どことなく甘えた口調だなと思うのと、耳元から伝った唇がそれに触れたのは同時だった。濡れて生暖かい舌が入り込んで、たっぷりと絡む。首を傾け、背を撫でて。思いがけない積極性に一瞬状況も忘れて人は見かけによらないものだと冷静な感想を抱きかけ―――

丁度、薄ぼんやり目を開けた綱吉と視線が合った。

「起きろっつってんだろ」
「うわあああああっっっ!!!!」

耳をつんざく叫び声が隣部屋から発生した事により、アパートの住人達は朝っぱらから度肝を抜かれた。
なんとも、珍しい。
有り得ない。いつもあの冴えないヨレヨレの男が「あ、どうも〜」と、ぺこりと挨拶だけして入っていく印象の薄い部屋なのになんだあれは。
驚きのあまり文句を言うという発想も浮かばなかった。

「ごっ…ごごごごめ、ごめん!間違えたッ…!」
「………」
綱吉はわたわたと手を離して壁際にぴたりと背を着ける。ヒイヒイ高い声を出しすぎて涙目になっている。
それに起きてもやはり―――子供みたいな顔だ。
「間違えた、なァ…」
「ほんとにすまん!悪かった!」
がばりとその場に這い蹲って謝るそのつむじの無茶苦茶な後頭部を高い場所から眺めながら、ザンザスは冷めた視線をじろりとやった。何処の世界にこの自分と、柔らかい女を取り違える人間がいるか………いや、いるわけがない。


2006.8.26 up


next

文章top