死点
身支度を整えつつ部屋を出る。タイを結ぶ暇もなく、飛び出してきた主の首元にちらりと視線を走らせた獄寺が失礼します、と断って腕を伸ばしてきた。急所の首元に触れられて唯一緊張しない相手が彼である。
獄寺は主である自分を傷つけるぐらいなら自ら死を選ぶだろう。その病的な忠義に信頼と重さを感じながら心持ち顎を引き上げ、素早く丁寧に結ばれるタイを確認する。コートを受け取り、腕に抱えて車へ身を突っ込ませて出発を告げて。続く獄寺の足はまだ一本残っていたが、車が動き出すと同時引っ込められドアが閉まった。
目的地に着くなりぎょっとする。現地で合流する"護衛"は取引を円滑にするための補佐、つまり「せいぜい睨みを利かせ」る為の強面の予定だった。思い浮かべていたのとは別の人物が其処にいた。
「遅い」
「すみません」
今やボンゴレのボスである自分を、反射で謝らせるのはこの男ぐらいのものだ。雲雀はその漆黒の目を遅れてきた不届き者に据え、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「申し訳ない、です」
少し前ならキリキリと眦を吊り上げ、一撃をくらわせる事も珍しくなかったが、最近の彼は静かだった。しかし怖さは増している。静かに、冷たく表される雲雀の怒りは衝動的に繰り出される攻撃よりタチが悪く、底意地が悪い。
「山本は?」
「さあね。僕では不満なの」
「まさか」
後ろで睨み付けている―――もしくは完全に無視の体勢である獄寺と、雲雀の仲はすこぶる悪い。
共通の敵がいる間はそうでもないが、こうして対面すれば必ずと言っていいほど刺すような空気が場を流れいたたまれなくなる。獄寺は雲雀に痛めつけられた過去を持ち、雲雀は、彼特有の物言いでは、群れた草食動物風情と一緒に仕事をする事に高いプライドを傷つけられるらしい。
自分に言わせれば彼等はどちらも属さない一匹狼で、放浪屋だ。(要となる男はため息を吐いた)恫喝のオーラを常に漂わせていることといい、他人への容赦の無さといい共通項はたくさんある。何故こんなにも険悪であるのか不思議なくらいだが、きっと同族嫌悪というやつなのだろう。
ともあれ、簡潔な謝罪と余計なお喋りを慎んだ対応は雲雀の怒りを僅かでも和らげたようだ。彼は大人しく後ろに付き、獄寺と2人、歩調を合わせて歩き出した。
相手の指定した場所で、時間通りに。
現れた取引相手は大げさな歓待ぶりで両腕を広げた。抱擁とキス。挨拶に応え、にこやかに手を握りしめる。鼻を掠めた香りは男性的でセクシュアルなコロン。あまり―――好きな種類のものではない。我慢して笑う。
次々と、よくもまあと舌を巻く速さで声高に世辞を言う相手にこの嘘くさい笑顔はどう映っているのだろう。そろそろ苦笑に移行しそうな、引きつったこの醜い笑いを。
少しも本題に入れない苛立ちを示す前に、後ろでは雲雀が苛ついたように乱暴に視線を巡らした。唐突に「バカじゃないの」って言い出さないだけマシになった方で、ボスに就任してしばらくは彼の助力を得る場面を選ばざるを得なかった。言うのは雲雀でも責を負わされるのは自分である。
その点獄寺は仕事を良く理解しており、不愉快があっても決して表に出さない。完璧に制御されたビジネスライクな横顔は彫像のような無表情を貼り付けていて、身内内でだけ見せる屈託無さは其処にはない。
しかしその分別が多大なる犠牲の元に築かれているのは承知している。彼は主が侮辱された時のみその激しい気性を故意に決壊させ、相手を完全に震え上がらせてしまう。
雲雀はある程度相手を痛めつければ後はフイと注意を逸らす気紛れさに救われも、ハラハラもする。だが獄寺の場合彼は絶対に相手を許さないのだ。相手の息の根を止めるまで一片の容赦なく限りなく冷徹に追いつめていく様は自分をこの地位と世界に叩き込んだあの男を思い出す。
まったく―――余計なことまで教えて。
頭の中で控えたそれぞれについて頭を巡らせていると、商談は滞りなく済んでいた。元々契約の内容は書面で送られており、目を通している。今日は単純に判を押したそれを手渡しに来たのであり、あとはまあ、付き合いというやつだ。
年代わり月代わり週代わり、果ては日替わりのビジネスではこうして直に会うことこそが、対面を保つ方法だと勘違いする輩が多い。顔を出さねばお高くとまっていると陰口をたたかれ、顔を出しすぎればファミリー内から浅はかと突き上げられ、もうどうしたらいいのやら。加減が大変に難しい。
「では此方を」
「おお!」
日焼けした肌と作り上げた笑顔と肉体。典型的な虚栄心。
自信たっぷりに振る舞うこの取引相手に自分はどう映っているのだろう。陰鬱で貧弱でどうしようもない腰抜けと評されているだろうか。それとも得体の知れない何を考えているか分からない、不気味な男と言われているか。無駄なのに考えてしまう臆病な自分。再び押しつけられる男の体。欧米人独特の、体臭とコロンの交じり合った匂い。
耳元へ押しつけられた唇がごそりと動く。不快に顔を顰めたと同時、首を傾げる。
用件は手短に。
仕事が済めば、雲雀は用はないとばかり素早く姿を消してしまう。他の者たちのようにちょっと家に寄ってくつろぐ、なんて面倒はしない。
それが珍しく帰りの車に乗ったので驚いた。当然の顔で彼は隣に座り、獄寺がやけになったように反対側から詰めてくる。勿論広く取ってある車内、贅沢を言わなければ特に苦しいことは無い。が。
後部座席に男3人で並んで、いたたまれない空気を醸し出す趣味はない。
「10代目」
「なに」
「あの男は何と言ったんです?」
獄寺の問いはシンプルだった。その分、切羽詰まった彼の内心が痛いほど伝わってくる。
安心させるために微笑むと、ぎこちなく笑顔を返してくる。
「商売とは関係ないけど、面白い話を聞いたよ」
それから、まあ。
こういう家業をしていると、様々な人間に出会う。中には悪趣味なヤツも居て、今のように大胆に迫ってくる者も居るわけだ。
皆ボンゴレのボスという名札に興味津々なのだから。
「それだけ」
にっこり笑って嘘をつくと、獄寺は目に見えて安心の息を吐き出した。
2006.3.21 up
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