Duca
予想以上に酷い事になっていた。
針葉樹の林の合間に見える、ヨーロッパ調の城。
何の変哲もない山を、パッと見日本とは思えない光景にしてしまっているこの城は、随分昔に外国から移築されたそうである。
一つ一つの石材を船で運び、職人を呼び寄せて――その時代に随分と財力のある人だったのだろうが、今は管理する者もない。
古ぼけて寂しい場所だった。
土台となる石は苔生して、蔓状植物が枯れたのも、濃い緑色のも含めて城全体を覆っている。
確かに、童話に出てきそうな眺めではある。
綱吉は依頼人の顔を思い浮かべた。
深い皺の刻まれた老婆の面が、城の話をする時だけは少女のようにあどけない表情で、キラキラした目で宙を見ていた。その勢いに押されて承諾してしまったけれども。
「…早まったかな」
城に人が住まなくなって何十年も経っている。
電気は勿論通っていず、中はきっと埃だらけ。虫も、ひょっとしたら野生動物もいるかも知れない。暗いし危ない。
そんな場所に一人で行って、あるかどうかも分からない絵一枚回収してくるなんて。
臆病な自分には荷が勝ちすぎやしないか。
(怖いんですけどこの、城?)
話を聞いた時には簡単そうに思えた。
ただちょっとばかし古い家を家捜しして目的の物を持ち帰る、と。
でも家は城で広くて暗くて中の様子もまったく分かりませんとくれば、これは相当重労働の気がしてきた。
絵自体は、そんなに大きい物という印象は無いそうだが。
(六十年前の記憶じゃなあ…)
綱吉がその老婦人の依頼を聞くことになった経緯は、少々複雑だ。
元々は父の知り合いらしい。
綱吉の父親は世界中を放浪する自由人で、世界各地にアトリエを持つ芸術家でもある。
いや、世間的には芸術家沢田家光なのだろうけども、父が家に居た記憶の方が少ない息子の綱吉にしてみればどこで何をしてるのか分からない謎の親父であり、十代の頃は積極的に不信感も持っていた。
それでもその不満が反抗までいかなかったのは、当の本人が自宅に居なかったからだろう。
頻繁に帰ってきたかと思えば一年以上連絡がなかったりと、実に好き勝手生きている父に、息子は怒るより呆れてしまった。何より、母親がそんな父を大好きで、父も母が大好きで、二人でベタベタしている姿を見ると自分の心配やコダワリが馬鹿馬鹿しく思えるのだ。
そして父がその放浪癖を少しずつ落ち着かせてくる段になると息子は既に成人しており、そもそも文句を言う程のこともないのである。
家に戻った父と殆ど入れ替わりに、綱吉は一人暮らしを始めた。
プライベートでは離れたカタチとなるが、父の元で仕事をするようになったので接する時間は多い。
ずっと家に居なかった癖に、息子が大きくなってからベタベタしてくる父へ多少の疎ましさとタイミング悪さを感じつつ、嫌う事も出来ず。戸惑いながら一緒に過ごす。
近頃はそれも悪くないと思えるまでに、少年は大人になっていた。
父は少々だらしない所や、適当な性格を除けば極めて気持ちの良い人物で、友人も非常に多かった。
出入りする様々な人間と、なんとなく付き合い続けているうちに、綱吉は父のマネージャーみたいな事をやるようになった。
期日までに倉庫に放られている作品を出しておく。父宛の電話を受ける。アポを取りたがっている相手の事を、直に父に伝える。
使い走りのようだが、周囲の人間には随分と感謝された。
何しろ気まぐれで、鉄砲玉みたいなありすぎる行動力と、作品と家族以外には興味のない浮世離れした父。
綱吉にとってはバカおやじ、ダメおやじでも、他の人間にとっては業界に媚びない孤高のアーティスト沢田家光なもんで、尊敬してますとかすごい方ですとかいう褒め言葉が宙を舞っちゃっている。いい加減にして下さいよと思っても言えない。言える訳がない。
其処に綱吉はノコノコ出て行って、ちゃんとしてよ父さんなどと言うわけで。
いつの間にかすっかりメンバーに数えられていた。ろくでもないメンバーに。
「綱吉くん、時間開いてる?」
ろくでもないメンバーの中ではそれほどろくでもなくない人に、今朝綱吉は声をかけられた。
「は、はいっ」
「お願いしたいことがあるんだけど…」
眼鏡を押し上げる仕草をしながら、テキパキと今日のスケジュールをボードに書いていくのは父の秘書のオレガノだ。
彼女は非常に優秀な人物で、周囲からは尊敬を込めて女史と呼ばれている。怠け者の父が世界で個展を開けるぐらいに出世(この世界でそういう表現をするものかどうかは知らない)したのはひとえにこの人物の功績である。
「なんでしょうか…」
しかも、とても美人だった。
綱吉はこの人に逆らえた試しがない。
話しかけられると未だにドキドキする。
おっかなびっくり尋ねると、彼女はすまなそうな表情を浮かべて今日一日の予定の変更があった事を告げる。
「恩ある方との約束があったんだけど…この通り、動けそうにないんです」
「えっ…あ、でもその人、俺なんかで用事……足りますかね…?」
「もちろん! 行ってくれると、とても助かります。本当の本当ならオヤカタサマが直にお会いする予定だったんです」
「う、うん」
綱吉の笑みが微妙なものに変わる。
それは用事についての心配事とは別に、彼女の家光に対する独特の呼び名に猛烈な恥ずかしさを覚えたからだった。
スタッフは比較的初期にアトリエを構えたイタリアを始め――様々な国の人間が入り交じっているが、父は手っ取り早く母国の文化を伝える為に時代劇ばかり見せたらしい。
おかげでこんな時代がかかった言い回しを皆恥ずかしげもなく言うし、それは人が多い所でも変わりない。初めて聞いた時はぎょっとしたし、未だに慣れないのだった。
(バカだ…あの人、ホントにバカ)
父の弟子であるバジルという青年も、綱吉と同い年にも関わらずおぬしなどと言う。
あれが父親だと、恥ばかりかく。
綱吉はそそくさと事務所を出た。
「うわっ」
踏みしめた石段が崩れ、よろける。
思わず掴まった草がぶちぶちと切れて一瞬焦った。ギリギリで踏ん張って、這い上がる。
「めちゃくちゃ大変じゃないか…はー…」
朝事務所を出て、向かった先は都内の一等地に建つ、如何にも金持ちそうな大きな家。
揺り椅子に腰掛け、時代がかったオーディオで音楽を聴いていた女性は父が若い頃からずっと援助し続けてくれている人物だそうだ。
とりあえず自己紹介をした綱吉は、本人が来られない非礼を詫び、高そうなカップで薫り高いお茶を頂きながら――長い昔話を聞いた。
今、こうして、綱吉が土まみれになりながら立っているこの場所は、彼女曰く本家の大屋敷であり、幼い頃はよく遊んだのだと言う。
現在土地の権利は他に移っているが、建物は未だ片付いていない。所持する人物が不明で、売るも買うも最終的な決定は出来ないそうである。
立ち入りは身内以外禁止されており、彼女はその許可を持つ数少ない人物だった。
しかしこの年齢では思うように体が動かない……と、その辺りから話の雲行きが怪しくなってきた。
「でもねえ。この年だからこそ思い出す事もあって…」
「はあ」
間抜けな返事をした綱吉に老婦人が語ったのは、まだ年若い少女の、甘い初恋の思い出だった。
初恋と言っても人間が相手ではない。
それは一枚の絵、らしい。
客間の一つにかけられていた人物画。
異国の青年が椅子に座り、前を向いて微笑んでいる――平凡な構図の一枚。
「でも、ただの絵じゃなかったのね。なんというか、魔力があるのよ。一族の女の子は、必ず一度は彼に恋していたんじゃないかしら…」
「……」
綱吉はぐっと息を飲み込んだ。
絵に関わる人間がよく言う惚れたとか魔力とか、そういう感覚が彼には分からない。
(俺はそういうのからっきしだもんなー)
父が芸術家だからと言って息子がその感性を受け継ぐものでもないらしい。
絵画も彫刻もオブジェも、綱吉は分からない。
綺麗だなとかすごいなあとか、ありきたりの感想しか出てこない。酷いのになると訳がわかりませんなんでしょうアレ、と思う。申し訳ないが。
しかし言って相手をがっかりさせるのは良くない。
綱吉はこういう話になると黙って頷くだけにしている。
「年に一回だけ、素晴らしい時間だった。でも私がこの家に嫁いでからは、もうずっと…会っていないわ。そのうちにあの城も――」
「ボロッボロだもんね」
やっと扉らしきものを発見した綱吉は、額の汗を拭った。
彼女、そして一族の女性全てが恋をした云々というその一枚を探し、可能ならば持ち帰る。
それが綱吉の仕事だった。
既に土地の所有者とは話がついており、現在行方不明であるという城の持ち主とは、代理人を通していつでも交渉の用意は出来ている、とのこと。
誰でも使えそうな経済力があるのに、老婦人はとても用心深かった。
古くからの知り合いである父を頼ったのもそれ故だろう。
それが巡り巡って自分に廻ってくるとなると、迷惑だけど。
(すっごい面倒くさいコレ…)
それでも承知したのは、自分がこの役目に相応しい気がしたからだ。
それは自負や自信ではない。まるで反対である。
どんな価値のある美術品も、全然まったく分からなければ興味も薄い自分なら価値に目が眩む事も無いだろう。
あったらバンザイ、無かったらザンネンでハイ終わり、だ。
確かに良い人選かもしれぬ。
「ぐっ…」
ただし、こんな重労働でなければ…!
綱吉は扉に預けられた鍵を差し込もうとしたが果たせず、結局力を込めて押す事になった。
ギシギシと蝶番の軋む扉を押し開けると、重い扉がぐらりと揺れ、やがてバッタンと倒れる。
「ゲホッ、ゴホッ」
ものすごい量の埃に襲われながら、綱吉は城の中に一歩足を踏み入れた。
2009.8.7 up
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