「はい、すみません………」
ショボくれた声がした。視線をやると、角のテーブルに覚えのあるツンツン頭がちらりと覗く。向かいに座っているのは腕や足もその2倍は軽くあるであろう、中年の女性である。
「沢田君がしっかりしてくれないと………どうしたの?何かあった?」
「はあ………」
「今年に入ってからとても成績良かったのに。昇給の話も出てるのよ」
既に中身のないカップを前に、ひたすら恐縮する若い青年と。
最初こそ厳しい声だったが、そろそろ懐柔案に出そうな女性の声は小さな喫茶店の喧噪に紛れている。
「なんだか顔色も悪いし。体調崩してるならそういえばいいのに何、胃?」
「いえそういうわけでは」
「悩み事でもあるの?」
「………」
束の間動きが止まった。
しかしふるふると首を振って、否定している。親子ほども年の離れた二人は似たような感情を抱いているのかもしれない。
「………申し訳ありません。今後気を付けます」
「そう………頑張ってね」
お勘定はいいわよ、経費で落とすからと悪戯っぽく笑う女性に曖昧な笑みを返し、見送った後。
青年は深く深くため息を吐いて肩を落とした。
今は昼を少し過ぎた時間帯で、休憩中と書かれた札が机には置いてある。
綱吉は立ち上がる気力もわかず、ゆるりと視線を巡らした。
「………あ」
ぺこり、と頭を下げたのは一応の知り合いの姿を目に留めたからであるが、次に視線を落ち着かなくウロウロさせ、徐々に顔色が赤くなっていくのは傍目には原因不明である。
しばらく逡巡していたが、結局声をかけることに決めたようだ。
トレイの中身をカウンターに返してから入り口に近いその席で再度頭を下げた。
「ちょっとお時間いいですか?」
「………」
無言で顎をしゃくる大柄な男に、店員の視線が集まっている。
その生業や身に付いた威圧感が元で、悪目立ちしている。既に噂になっているらしい。
(なるわな………そりゃあ)
綱吉も、何も好きこのんで話し合いたい相手ではない。
しかし自分が抱えている悩みについて何らかの手がかりを持っているのではないかと―――思う人物が、彼と、もう一人しかいないのだ。
もう一人は今頃上で、暇だ暇だと騒いでいるに違いない。
「先日は………色々とご迷惑おかけしました」
後々ベルから聞かされた「沢田さんが潰れちゃったから社長と二人で事務所に転がしておいた」という言葉を、綱吉は疑っていない。
言われた方は黙ってカップの中身を口に運んだ。
どう答えて良いのか分からなかったからだろう。
「それであの………」
煮え切らない態度は、綱吉の中で今最大限の努力がなされているからだ。
別に男への恐怖は感じていない。それよりも気恥ずかしさが先に立ち、今すぐこの場から………だけでなく、この世から消えて無くなりたいと思っている。
原因はここ数日、寝ると必ず見る夢のせいだった。
夢の中で綱吉は………もうはっきり言ってしまうと、この、目の前でたった今人を3人ほど殺してきました、みたいな顔をしている男(素)とその部下と深夜のオフィスでヤリまくっていた。
自分の何処をどう裏返したらそんな変態じみた欲求があるのか、綱吉自身訳が分からない。
彼は混乱の極みにある。
「正直、俺はあの人嫌いなんです」
混乱のあまり最初からぶっちゃけた。
「ちゃらちゃらしてるし、馴れ馴れしいし、俺が此処に勤務になった朝会って爆笑されたし。開口一番に『その頭どうしたの爆発でもした?』って言いやがったし」
「………」
「それ以降も、なにかっていうとからかわれていい加減頭にきてたんですけど」
其処で言葉が切れる。
息を飲み込み飲み込み、続ける。
「………最近、顔みるだけで動悸が」
苦しげに綱吉は心臓を押さえた。
「眩暈が。不整脈が!………そりゃもうおかしいぐらい反応するんで、なんというか俺もバカなんですけど直接聞いてみたんですそしたら」
あっけらかんとした笑顔で、
「『そりゃ決まってるよ沢田さんオレに惚れたんだよー』………などとあの店の真ん前、で、大声で………」
握りしめた拳がプルプルと震える。
恥ずかしさや怒り、色々な感情が交じり合い、綱吉はいっそ泣き出しそうになっていた。
「本当なんでしょうか?!で、でも俺嫌なんですけど!!考えるだけではらわた煮えくりかえるっていうか内臓が口から出そうです。吐きそう。き、気分悪」
うっ。
俯いて口を押さえるその顔は見る間に青くなっていった。
「でも………何度も言われてるうちにそうなのかもしれないとか、いや、有り得ないですけど!!!有り得ないんだ!」
勘弁してくれーと言いながらわっとテーブルに伏した綱吉を前に、男が思っていたことは一つだ。
めんどくせえ。
「周りの店の子達にもすっかり誤解されるし………何より自分に自信が無くて!あ、あの人は一体何を考えてるんですか?!冗談にも程があるっ………悪ふざけにもうんざりだ!」
「あー………」
今此処ではっきりと、「あいつがお前を構うのは完全な趣味。制服着たガチガチのお堅い職についた女が好みで、今まで散々口説くか薬と脅迫で食ってきた。お前は初めての男。ちなみにぶっ壊れた女は風俗に売り飛ばす………その動悸だの不整脈だのはお前があいつを嫌うか怖がっているかしているせいで、された事を考えれば当たり前の反応だろ。ついでにオレも一発中で出した」と言ってしまえば事実は全て明らかになるが、卒倒して精神に支障を来しかねない。
「そういう奴だ。諦めろ。ほっとけ」
「そんな」
「相手にすればする程調子にのるし、つけ込まれる。無視しろ」
「………はあ」
綱吉はあんぐりと口を開けてただ、馬鹿みたいに頷いた。
あまりに「救いようがない」と言わんばかりの口調だったので、それ以上何を言うことも出来なかった。
とりあえず、走り書きのメモで連絡先なども教えてくれたので親切だったのだろう。
見かけに寄らず。
薬と暗示で記憶が定かでない綱吉は些かの疑いも持たず、単純に感謝した。
「何いいひとぶっちゃってるんですかー」
「知るか。お前の不始末だろうが」
「酷い。なんでオレ一人だけ悪者扱い?沢田さん………あんまりつれないとまたむらむらきちゃうから」
「ビョーキだてめえは」
ぱたぱたと仕事に走り回っている後ろ姿をジロジロ眺め回す人相の悪い男二人は、やっぱりすごく目立っていた。
2006.7.7 up
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