番外編:電車
満員電車の不快感は、体験したものだけにしか分からないだろう。
人人人。よくもまあこれだけわいて出てくるモンだ………感心してしまうほど。小さな車両はあっという間に人で埋まり、もう右も左も動けない。
幸いにして綱吉は常人よりちょっと遅い出勤時間だった。朝のラッシュは免れる。しかし―――…
ムギュウ。
(ぐ、ぐるじ………)
窓口は他の店より少し早め、7時に終了する。
帰り支度をして帰りの電車に乗るのが7時半。夕食時、しかし中途半端に郊外なこの場所の金曜、夜。異常に混雑する時があるのだ。
週によってはガラーンとすることもある、近くに大きな会社や工場が建ち並んでいる事もあるのだろうか。とにかく当たると大変な20分を過ごす。
「まあ、たった20分だけどね」
「ふーん」
「ところでさ」
綱吉は握ったボールペンを紙の上でぐじゃぐじゃさせた。
「店いいの?あれお客さんじゃないの?」
「あーいーのいーの。どうせオレ目当てだから」
「ふ〜〜〜ん」
ぶぢっ。
ペン先が紙をぶち破った。綱吉はそろそろ限界である、このちゃらちゃらした奴とにこやかに雑談を交わす間柄など望んでいない。寧ろ放っておいてほしい訳で。
「沢田さ〜ん」
「でも俺は暇じゃないから」
前髪を弄られて頬が引きつる。ペシッと払って冷たく言い、書類に目線を向けた。
「戻ったら?」
「えー」
「仕事だろ」
近頃は綱吉も、ベルのこの態度に大分なれてきた。
マトモに相手をしているとバカを見るので、サラリとかわし、切って捨てるクールさを持ち、間違っても同情などしないこと。どうせそんな愁傷なタマではない。
「………ちぇっ」
いくら頭をつついてもかまってと引っ張っても、反応のない綱吉に舌打ちし。
ベルは渋々自分の店に戻って行った。待ちかねていた客を軽くあしらい、一応仕事らしい仕事をしている。
「ったく」
イライラする………
うっとおしい………めんどくさい………キライ、は続行中でも、相手がまるで意に介さないのでどうしようもない。適当に相手しとくのが一番だ。
綱吉はファイルをばさばさとめくり、日々の業務に戻った。
金曜。
珍しく仕事がスパッと終わり、肩をコキコキグルグル回しながら駅にやってきた綱吉は途端に顔を顰めた。
長い列。電車待ちの人数は凄いことになっている。
(うわー、ついてねえ………)
フトコロがあたたかければじゃ、一杯やってからと回れ右も可能だが生憎給料日前である。
仕方なく列に並び、電車がくるのを待つ。
(げええ…)
やってきた電車は既に大入り状態。更に無理無理詰め込む感じで列がはけていき、綱吉も中に押し込められた。
「ひーっ…」
前を塾帰りらしい学生、後ろをスーツ姿のサラリーマンに固められて綱吉は呻いた。
どうせなら美人なお姉さんとか可愛い女の子に挟まれてみたいもんだが、残念ながらそんな嬉しいハプニングはない。今まで、一度も。
(ああ、でも………)
そもそも女の子はこれに乗らないのじゃないか、と綱吉は思い当たった。
満員電車である。人と人が密着する。痴漢し放題じゃないかコレ。
近頃は駅員も目を光らせているが、このおしくらまんじゅう状態では触るも触らないも判別できないだろう。なんか………可哀想に、女の子って大変だなァ………
綱吉は紳士かつ臆病なので、そんな事は問題外である。というか怖い。
絶対殴られる、と思っている。まああながち間違ってはいない、中にはそういう強い女性もいるだろう―――…
「ぐえ」
窓側にぐっと押されたときだった。
綱吉のスーツの上着越しに、人の体重がぐわっとかかる。ヒイイ。
押し潰されそうになりながら慌ててつり革に手を伸ばしたが届かない。それはもう見事に斜め前の人に頭突きをくらわせてしまい、慌ててすみません!と謝った時だった。
「あ、アレ?!」
「………」
この満員ぶりに、そこだけ不自然に輪が出来ている。
まあ輪と言っても少し楽、という程度だが。しかし綱吉はその人物を見てものすごく納得した。
「ど、どうも…」
相変わらずデカイな―――感心しながら頭を下げて挨拶する。あのうるっさい露店の兄ちゃん、ベルの上司で社長さんである。
(この人………電車使うのか!)
そのあまりにもデンジャラスな雰囲気から高級車を転がしているイメージしかわかないが、こんな庶民的な一面もあるなんてビックリだ。
綱吉は目を真ん丸にしたままいやー混んでますね、大変ですね、とどうでもいい話をした。
彼は微かにああとか言いながら頷き、窓の外を見た。
まああんまり興味はないのだろうな、と綱吉も窓の外を見る。
「うわ」
その瞬間、またぐわと人の波が来た。
揺れにあわせて人が右左と動くわけである。綱吉は再度社長さんに頭突きをくらわせる羽目になった。
「わあ!ごめんなさい!」
殺されるかと思ったが、流石に満員電車でも利用するだけあって、外見にそぐわず心の広い人のようだ。
フウッと呆れたようなため息を吐くと、「いいからじっとしてろ」と綱吉を自分の側に寄せてくれたのだ。
親切だなあ!
見かけに寄らず!
綱吉は小さくありがとうございます、と言って頑張って立った。
あと15分は立ちっぱなしだけれども、これならなんとかいけそうだ。よかった………そう、安心した時だった。
「………?」
なにやら腰のあたりでモゾモゾする感触がして、綱吉は反射的に振り向こうとした。
しかし首を回せば体を支えてくれている彼の頭に抉り込むような回転を仕掛けてしまう訳であり、それは申し訳ない。
気のせいかとじっとしていると、そのモゾモゾは次第にエスカレートしてきた―――やっぱり気のせいじゃない!コレってまさか。
「………う」
綱吉の顔がサアアと青くなる。まさか、自分は………スーツ姿だし髪も短い、間違えられるなんてことあるだろうか?!
「…っ!」
だが間違いない。そのモゾモゾが人の手であることも、それが徐々に腰から下に下りて尻の辺りに触れているのも、紛れもない現実だ。
(げええええ―――ッ)
せめて女なら(可能性は限りなく低いが…)気持ち的にこう、逃げ場があるのだが。
先程から綱吉の鼻に届くこの香りは男性用のコロンである。
あれ、どうして俺知ってるんだ誰かいたっけ………なんて思いつつじっとしていると、手は
(ぎゃあっ!な、なんだ!!)
スルリと前に回り、綱吉のベルトのバックルを外し始めた。
(そこまでするか〜〜〜!)
完全に相手は男だと分かってやっているのだろう。カチャカチャと音がする度綱吉の顔色は限りなく白に近くなっていく。ファスナーが下ろされ指が入り込んでくる。
「ぐっ…」
「…なんだ?」
「い、いえなんでもっ…」
下着越しに触られて足が震える。ねっとり粘着質な触り方で表面を撫で回した後、隙間から指が潜り込んできた。
(嫌だ、気持ち悪っ…!)
細くて長い指。服の上から咄嗟に抑える。だが。
「動くんじゃねえよ」
「すみませ………ん」
身じろぐのを煩がって男が腕を掴み、抑えてしまう。
動けない。
「あっ…」
下着の中に潜り込んだ手はやはり男の物だ。骨張って固い感触が動けない綱吉を好きに弄り、いたぶって遊ぶ。
嫌だし気色悪いし、全然、そんな趣味はないのだが、綱吉も男だ。
「はぁ……っ」
触られれば反応するし、腰の辺りがゾクゾクする。力が抜ける―――ぐた、と足が崩れてもう駄目だ、ばれると思った。
キキキイ―――
電車のブレーキ音と共に大きく斜めになった。
耐えられずに倒れたのを、タイミング良く電車の傾きと重ねて痴漢はますます調子に乗っている。
綱吉が知り合いに抑えられて動けないのをいいことに、動きがますます派手になる。ずるりとズボンを下げられて、慌てて手で押さえた。
「………おい」
「ごめんなさいっ!」
間近で凄まれ、反射的に直立不動になった。
手は一度離れたが、また同じように潜ってくる。しかも今度は横からでなく、後ろから―――
「………!!!」
ええーっ!と声が出せる状況なら叫んでいただろう。
指が。
そんな、有り得ない場所に。
「ヒ……」
確かめた訳じゃないけど、その指はぬるぬるしているような気がした。滑る表面で綱吉の後孔をつつき、ずるりと入ってくる。
(嘘だろっ………なんだコイツ!)
必死で腕を回して抑えようとするが、その動きで指が動く。クチュ、と濡れた音がする。
額から汗が流れた。もう無理だ。隠せない。
見上げると彼は窓の外を見ている。セーフだ………ほっとした瞬間中に入った指がぐるりと動いて力が抜けた。
「………っあ」
思いっきり相手に縋る形になると、その目が呆れを含んでぐるりと上を見た。
腕が回り、支えがしっかりする。ご親切にどうも!だが―――これでは手が動かせない。
(そんな)
どうも動けない状態で綱吉が出来ることは声を出さないようにする事だけだ。
息を詰め、唇を噛む。指が大分こなれた中を好き勝手に行き来する。
違う手がシャツの裾から入り込み、胸や腹を撫でた。この密着した体勢で器用に―――
「う、く!」
半勃ちの性器を手が扱いた。
違和感は直ぐに分かった。後ろに指、胸を手が撫で回し、更にもう一本………ってそりゃ。
(痴漢、二人………?!)
男を触る物好きがこの車内で2人も乗り合わせるなんて。
しかもそいつらが、よりによって自分を狙うなんて。
なんて不運だ。
「ぁ………う、あ……!」
指が一層深く入ってくる。
不思議なことに痛みが殆ど無い。そんなの始めてな筈なのに………?え、そういうモンなのか。
思わず考え込んでしまう適応性に、更にガクリと足が崩れる。殆ど全身でよりかかっている状態にも彼は文句も言わず、綱吉を支えている。そんな。幾ら何でも気付けよ………!
縋るように見る。ちらりと巡った視線が一瞬だけ合った。
出会ったときと変わらない無表情な眼が僅かな時間だけ掠めて窓の外を見る。
「あぁ…く」
胸を弄る手が尖った先端を摘み、捻り上げた。
前を扱く手は先端をぐるりと撫で、大きな手の平を押しつけて擦りつける―――酷く厭らしい触り方だ。真正直に反応する自身が情けない。綱吉は唇を噛んだ。
「ひ、ぃっ………!」
閑散とした駅のフォーム。
いつの間に下りたのか、ベンチで蹲る体勢からのろのろ身を起こして綱吉は視線を巡らせた。
「う………」
ズボンの中が濡れて気持ちが悪い。
起きたことに信じられず、まだ思考がぼうとしている。本当にあった事なのかも一瞬分からなくなり、はあっと息を吐いて鞄を引き寄せる。
「沢田さーん」
「げえっ!?」
よりによってこんな時に来ること無いだろ?!と涙目になって綱吉は立ち上がり、逃げかけた。
だがベルの方が足が速い。瞬く間に追いつき、後ろから腕を回して抱きついてくる。「ダイジョーブ?具合悪いって?歩けないなら担いで持ってく」
「担………いやいやいや!結構です!」
「びっくりしたー。なんだ元気そうじゃん」
捕獲されて藻掻く綱吉の前に、むっすりと黙り込んだまま現れたのは先程散々迷惑をかけた例の社長さんだった。
彼は顎をしゃくって見せ、ベルがあいよと元気に返事をして綱吉を引きずっていく。
「送ってやるから乗ってけって。無理しない方がいいって」
「い、いや要らな………」
「心配させんなよもう。大人しくしろよ暴れんなこの」
「う………」
一瞬スイと掠めた手が留まり、腰の辺りを支えている。
余先程の韻で妙な気分になりそうだった。綱吉は途端に大人しくなった。
「そうそう。素直が一番」
「ごめん………」
ニヤリと笑って駅前に停めた車のドアを開けてくれる、躓いた時に掴んだベルの袖がぐっしょりと濡れていたので綱吉は驚いた。
「あ、コレ?さっき捲んないで手ェ洗ったから」
「え?」
「こっちの話だから気にしないでー」
ぐいぐい押して乗ってくる、その服に香るそれがふと、
「………?」
覚えがある気がしたが。気のせいか。
綱吉は内心盛大な舌打ちをし、その状況故に額には冷や汗を垂らしながら小さくなって後部座席に収まった。
二人はテンポ良く内輪の会話をし、完全に置いていかれている綱吉は窓の外を見た。
金曜の夜で人出が凄い。今夜はどうやらこのまま飲み会へ突入のようだ―――ああ、普通にしてれば今頃は家でゆっくりしていられた筈なのに。
「な?すげー面白かったろー?」
「………まあな」
「絶対いけるシチュエーションだと思ったんだよなー。話聞いてピンと来ちゃってえ」
随分話が弾んでいるようだと、一応、社交辞令として綱吉は訊いてあげた。
「何の話?」
「たまには庶民の乗り物もイイって話」
2007.3.13 up
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