はじまり
放課後、人気の無くなった廊下を歩く。自分の足音がたしたしたしたし響く1階から、緊張の2階へ。
1年の教室は1階、2年の教室は2階……とわかりやすく区分けされているこの並盛中 では、下の学年は滅多なことでは上へは行かない。特に、1年生は。授業の為の移動はほぼクラスごとに固まって行うし、大きな行事や部活動でない限り、他学年の情報は入って来にくい。
積極的に情報収集を行うなら別だが。
そして、沢田綱吉ことツナは積極的に知りたがろうとする人種とは真逆の性質を持っていた。とにかく、世の中の厄介ごとには関わりたくない。大人しくありたい。人の注目を集めるぐらいなら竹筒一本で沼に潜っている方がマシだと考える程の引っ込み思案。将来の夢は公務員で、なんの変化もない作業を機械的に行う部署に配属され、年二回のボーナスを楽しみにささやかな家庭を持って生きていく―――
彼は心の底から地味を愛する少年だった。
ついでに、容姿も地味であった。地味の一級品、地味の中の地味である。小学生の時からお前は余り印象に残らないと心ない担任に宣言されるぐらい、地味である。
唯一"地味"や"一般"から大きく外れているのが成績で、これがいい方に外れていればまだ将来に希望も湧くのだが、残念ながら違った。悪いのだ。最悪だった。
しかし生来諦めの良い彼は、とうに成績や通信簿の5だのAだのの夢を見ることはやめていた。どっちにしたって無理なんだ、頑張るだけ無駄だとばかり日々放課後はゲームばかりして、ただだらだらと過ごしていた。
そうも言ってられなくなったのは、やる気のない担任によるやる気のない一言だった。
今のままじゃ進級は出来ても進学は危ういぞ。お前がどうしようと勝手だが、とりあえず部に籍だけは入れておけ。内申っつーもんがあんだろーが。
なんてありがたいアドバイスだろう。
ツナは些か感心しながら頷き、分かりましたと言った。ついでに一体どの部活がサボるのに好都合かと問うた所、担任はそうだなァと思案顔をし、ものの3秒で答えを出した。
「科学部」
「ありがとうございます」
聞いただけでツナは納得した。如何にも、実に、サボりやすそうな部である。
ツナの拙い記憶力も、中学最初の緊張の一週間のうち、理科、を過ごした時間は覚えている。担当教師は特に熱血という風でもなく、イメージをひらがなで表せばたりらららん、というような雰囲気でメガネの中年だった。
よし、決めた。
ツナは決意と入部届けを握りしめ、1、2階をうろついたが科学部の巣は見つからなかった。それもそのはず、理科室は3階である。うろ覚えな記憶力を悔やむことなく舌打ちと理科室に悪態をつき、(ツナは大人しいだけで、けっこう悪い思考も持っている)階段をおそるおそる上がった。
今年中2の彼は中3のやたら大柄な先輩や、威張っていて、ごつくて、自分の父親ぐらいに見え到底中学生とは思えない先輩に怯えていた。権力とか暴力というものにやたら弱い人間なのである。実はクラスで一番小さい女子にだって勝つ自信がない。
3階も1、2階同様、ガランとしていた。新入生勧誘時期はとうに終わってしまい、すっかりいつも通りの放課後になっている。
校庭側からはさかんに運動部の、ツナに言わせれば無駄に張り切った甲高いかけ声が響き、いよいよ取り残され感が強くなる。こうなれば、さっさと部長か顧問に届けだけ出して。後はばっくれてしまえ。
理科室を探す。ずらりと並んだ3年の教室をおっかなびっくり過ぎる。
いつもは反対側から上がるので実は来るのは初めてっぽい廊下を早足で歩きながら表示を一つ一つ確かめていく。
不意に横から大声が上がった。まだ教室に残っていた上級生が友人数人とたむろし、何やら話しながら爆笑したのである。
臆病なツナはすっ飛んで逃げて、表示を一つ二つ飛ばして見た。丁度、其処に「理科室」の文字が見えた為、彼は息を乱して其処へ飛び込み、ぴしゃりとドアを閉めて凭れた。
そこが、いつも来る理科室でないと気付いたのは入ってからである。
それより半分ほどの広さのなんだか薄汚れた教室だった。それもその筈、ツナが飛び込んだのは第二理科室。第一理科室とは階段と予備教室一つを挟んだ校舎の端っこだった。
名ばかりの物置と化している第三理科室が隣、それで3階は全部である。
乱雑に投げ置かれた鞄が足下にあった。教卓上には段ボール箱、プリント、全部埃をかぶっている。
視線を滑らせると、窓際の水道を備えた実験テーブルに一人いた。おお、すごい。ツナは感動した。
サボろうという明確な意志を持って来た自分を迎える科学部員達は更にスゴイサボり率である。これなら安心して毎日サボる事が出来そうだ、いやいいものを紹介して貰った。
担任に密かな感謝を捧げながらツナはその一人に近づいた。
「……」
ぴくりとも、しない。
その生徒は台に伏せ―――どうやら寝ているらしいのだがしかし、寝息すら聞こえない。 死んでいるみたいに動かない。
ツナは恐る恐るその周囲をぐるりと回った。制服の草臥れ具合から1年生でないことだけは確かで、ブレザーの上着を肩にかけそれはもう安らかに眠っている。
「どうしよう、死んでたら」
ぽつりと零したつぶやきにも反応せず、その生徒仮に先輩はまるで静物のようである。
もう入部届けだけ置いて帰っちゃおうか―――
面倒くさくなったツナは寝太郎(仮)の横にそれを置こうとして気付いた。
ちりちりちりちり
「燃えてるぅぅぅ!」
勢いの良いランプの火に熱せられ、ビーカーの中の液体が沸騰している。そのすぐ脇に寝太郎(仮)の頭がある。
そしてきわめつけ、なんだか周囲が焦げ臭かった。
如何に鈍いツナでも、事態は直ぐに飲み込めた。急いで手を伸ばしてランプを遠ざけ、煮立つビーカーと金網もずらす。
「あぢあぢぢあっつ―――!あー、あぶなー…」
「……あっ……あれ?」
流石にこれだけ騒げば気付くだろう、っつか気付けよ!
ツナがわたわたと危険物を遠ざけた後、やっとその寝太郎(仮)は起き出した。いや、もう決定である。ウッカリ者の寝太郎め。ウッカリ寝太郎(決定)。
「あ、あー…あつい」
「遅っ!」
思わず立場も忘れてつっこんでしまうほど、ウッカリ寝太郎の反応はのろかった。ようやく、ランプとビーカー側に寄っていた左手を振り回してあついというのだから呆れたものだ。
一挙に先輩に対する礼儀とか尊敬とか恐れを無くしてしまったツナは、呆れ口調のまま無造作に訊いた。
「あの、あなたが部長さんですか?」
「部長……?」
「科学部の」
「科学部……」
おいおい、大丈夫かよ。
ツナの顔が引きつるぐらい、寝太郎の反応は鈍い。
ようやくその言葉が浸透したのか、ああ、だのはっきりしない返事がくる。
「そう……いう事になりますかね」
「そりゃよかった」
ハイ。
ツナが差し出した入部届けを、寝太郎はまじまじと見つめた。
「なんですか」
「そのままですけど。入部したいんです」
「なぜ?」
「なぜって、そんな決まってるじゃないですか」
ツナは笑顔で言った。今や完全に目の前の人物を自分と同列、またはそれ以下のウッカリ凡々人だと信じていたので真正直に。
「学生の本分はゲームにあります。特に来月発売されるファーストファンタジー最新作に」
「初めて聞きますね」
「ファースト、つまり初めてのとつく割にもう13回も始まっているシリーズで作品ごとにアタリハズレが厳しいですがとりあえず全部遊べますよ。俺は予約して発売日当日に手に入れる優良なユーザーです、つまんないと翌日売り飛ばしますけど」
「ほー」
「それから今週発売の幻想西遊記。えらそうでゴーマンで電波、妖怪を殺して煮て食べるのが趣味の三蔵法師と殺戮と略奪が三度のメシより好きな暴れ者孫悟空、巨乳好きの猪八戒苦労性の沙悟浄が中国本土ばかりか他国も荒らし回りつつ天竺を目指す痛快娯楽アクションRPGです。実は発売前からクソゲーと名高いある意味有名作なんですが、俺的に睨んだ所これはアタリです。ただし好き嫌いが激しく別れる上親御さんの苦情が山盛りそうな問題作であることは確かです!」
「なるほどなるほど」
「未来の名作が連続で出るんですよ?!ゆっくり部活動に費やす時間など俺にはありません」
男らしく言い切ったツナは、ウンウンと頷きつつ引き続き暴言を吐いた。
「だから手っ取り早くサボりまくれる科学部に入部したい、ただそれだけです」
「分かりました、入部を認めましょう」
スコーンと的に当てたような爽快な返事が返ってきた。
聞いたツナの方があっけにとられてしまったぐらいだ。反射的に彼は両手を上げた。
「やったあ」
「良かったですね」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、意気揚々と帰る。
その背をウッカリ寝太郎は静かに見送り、やがてクフフと不気味な笑い声を漏らしたが、その頭がちょっぴり焦げている事にはまだ気付いていないのだった。
2008.8.9 up
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