はしる/1
略奪の嵐が過ぎ、店内は乱れた陳列物と割れたガラスに埋もれていた。 一つ一つ状態を確かめ、こそこそと奥に持ち込んで貯める。まるで冬眠前の小動物みたいだ。 愉快な想像にも、表情筋はぴくりとも動かなかった。最後に人と話したのは二月も後だ……その時から表情を作ることは止めてしまったし、声も殆ど出していない。 物音を立てればたちどころに奴等が集まってくる。 死ぬのは怖くないが、喰われるのは嫌だった。 「…っ」 凄い匂いだ。 以前、奥まで踏み込まれた時に倒したその屍体は、本当ならずっと前に死んでいる。活動を、正確に停止するまでに時間がかかるが。 隙を見て外に捨てに行く事にしている。匂いがたまらないのと、哀れだから。 服装と背格好に見覚えがある。町の通りの銃器店の店主だったと思う。 がっしりとした体つきが、今は腐って溶け始めている。腕は軽く引くだけでずるりと抜けた。 重い身体を分断して台車に積み込むと、出来るだけそっと、物音を立てずに押す。 町の外れにある共同墓地に、類縁の名前を探し見つかればその側に。見つからなければ端や開いたスペースに、土を掘って埋めていく。背に負った猟銃は固く、重く、いつまで経ってもその感触には慣れない。 「ンッ…」 安物のマスクを通して腐臭が鼻に届く。 ビニール一枚越しに腐った肉の感触が手を滑り、穴に落ちた。 次々血と体液で汚れた台車の上の物を放って落とす。二度目の絶命は額に打ち込まれた一発の銃弾により、そしてそれはこの手で撃ち出したものだ。だから、責任が無いとは言えない。 何をすると言っても、埋めてやるのが精一杯だが。 作業を終え、手袋とマスクを取った。 腐臭は強い風で消え、爽やかで冷たい空気が肺を満たした。 冬はどう過ごそうか、まるで計画が出来ていない。火を燃すのは自殺行為だし、かといって凍え死ぬのも嫌だ。 見渡すと、墓の盛り土の数は四十を少し越えていた。 町の人口はもっと多い。それに、余所から奴等が流れてくる可能性も無いわけではない。 脱出した何人かは、無事に生き延びられただろうか。 奴等が溢れ始めた頃は、とても住める状態じゃなかった。何人もがまだ動く車で逃げていった。友人も、ただ顔を知っているだけの知り合いも、大勢が。 廃墟に息を潜め、外から襲ってくる影に怯える毎日よりも旅をする方を選んだのだ。しかし、既にそんな気力を残していなかった何人かは残り……後はどうなったのか。分からない。 今埋葬した銃器店の主人も、家に立てこもっていた筈の一人だ。 彼の店は少しの改造で絶対奴等の進入を受け付けないのだと、自信ありげに言っていたが――結果はこの通りだ。 武器だけでは暮らしていけないらしい。 そうなると、貧弱な装備とそこそこの食料を拾い集める日々を送っている自分が、二月を生き延びたのは奇跡とも思える。 武器らしい武器は背負った猟銃一丁だけだ。 こうなる前に銃を手にしたのは数度だけ、それも練習場での事だった。 腕前は最悪だった。的に当たった試しはなく、教えてくれた人間も「キミは銃を持たない方が安全だ」と呆れた様子で言っていた。 ガサリ、と物音がした。距離は二十メートルほど。 強風に煽られて揺れる草むらから、下半身を失った屍体が腕だけで這いずっていた。 生者の気配を感じて出てきたのだろう。まだ若い女性のようだったが、既に生前の面影はない。 ゆっくりと背から銃を下ろし、構えて引き金を引く。 額に丸く開いた穴からドロリと黒い体液が滴り、動きは完全に停止した。 不思議なことに、今は構え、狙いを付け、撃つ、この動作の後倒れていない標的は無い。 あれだけ練習してさっぱりコツが掴めなかったのに、分からないものだ。 改めて銃を担ぎ直し、開けた道路を台車を押して戻る。ガラゴロと鳴る車のリズムに合わせ、早くもなく遅くもない速度で。 (弾を調達しなきゃ…) 弾丸は残り少ない。手入れもしていないから銃身は煤で真っ黒だ。 マニュアルと弾丸を求め、違う道を進んだ。 台車は相変わらずガラゴロ鳴っているが、音につられて奴等が出てくる様子はない。 気配を求めて違う町に移動したのだろうか。ただ潜んでいるだけか。 いずれにしろ、出てきたら撃つか逃げるかしか選択肢はない。妙な冷静さで通りの中程まで進むと、荒れて中の物が散乱した銃器店がぱっくりと口を開けて待っていた。 こんなに無防備さは、店が開店してこの方初めてだろうと思う程だ。 下ろされていた筈のシャッターは端から歪んでいた。こじ開けられた様子だ――更に周囲には屍体の山。仕事が増えた――店主は片付ける事をしなかったようだ。 狭い店内で銃身の長い銃は使い難い。 台車に積んだ鉄製のシャベルは墓穴を掘る為の物で、振り回すには少々重い。それでも、他に何も無いのでそれを掴み、ゆっくり店内に入っていく。そこら中、屍体の山。ガラスが割れ、足下がジャリジャリした。 ガラスケースには全て鍵がかかっていた。シャベルの取っ手を握り締める。 以前には全く興味の無かった銃器が、今はどれにしようか真剣に悩んでいる。 扱いやすいのはハンドガンだが、狙いを定めるのに苦労する。撃って当たるか分からないし、反動も思いがけず強かった。 (古いモデルだったからかな。試してみるか) 今ではすっかり扱い慣れた、あの銃に似たものは天井近くに飾ってあった。 骨董品扱いで、油でぴかぴかに磨き込まれている。弾丸の方は棚を少し探っただけで見つかり、此方は問題無い。 強力なショットガンや連射可能な小銃まで並んでいたが(こんなもの、売っていいのか?)、結局手頃な大きさのオートマチックとマガジンの箱、それと初心者向けの解説マニュアルを漁るに留めた。使い慣れていないものは命取りになるだろうし、多すぎて気後れしたというのもある。 緩くグリップを握り、片手にはシャベルを引き摺って店の外に出る。 一々足に突っかかる腐った屍体には辟易した。後で台車を使い、十往復もすればすっかり片付くだろう――そんな事をぼんやり思った時だった。 店を出たその足がぴたりと止まる。 外には人がいた。 それも、生きて、動いている、正真正銘の人間が。 迷彩服に身を包み、銃を構えているその男は唇をぐっと引き結んで張り詰めた表情をしていたが、ツナが銃とシャベルを捨て、のろのろと両手を挙げると其処で初めて――声を発した。 「出てきていいぜ。死人じゃねえ、生き残りだ」 ぞろぞろと物陰から出てくるその数を見て、目を向いた。 十人以上居るのではないだろうか。皆軍のような装備を身につけ、扱い慣れた様子でそれぞれのエモノを持っている。 その目は油断無く辺りに気を配っていて、傍目にも素人でない事が窺えた。しかし――助けが来たのかと思うほど、楽天的では居られなかった。 彼等は皆窶れていたし、目だけギラギラしていて、鋭い。余裕があるならこんな表情はしない筈だ。 案の定、リーダー格と思われる金髪の男は暗い目をしてぼそりと言った。 「装備の補充がしたい」 「…すればいいんじゃないかな」 二月他人と喋っていない割に、言葉はすんなり出た。忘れないらしい。 落とした銃とシャベルを拾い、その場から立ち去るべく早足で台車の場所まで。 その間ずっと周囲から視線が追ってきているのは分かっていたし、幾つか銃口が向いているのも知っていた。 静けさの中、風の音だけが鳴る。 何も言わないのは失礼かと――付け足しみたいに。 「あの、じゃ、俺はこれで」 最後まで彼等の視線は外れなかった。あんなに人数が多い癖に随分用心深いんだな、と、心の中だけで呟く。一度も振り返らなかった。 何もない小さな町に、あんな大集団が訪れたことは無かった。 さぞかし大騒ぎをしているのかと思いきや、彼等はひっそりと町外れで夜を過ごしたらしい。 簡素を極めた冷たい朝食を食べ、手面を洗って外に出る準備をする。 マスクと、ビニールの手袋。店に山ほど在庫があるので足りなくなることはない。昨日店主不在の店から仕入れたばかりの銃を試しておくのと、落とした拍子に先が曲がったシャベルを叩いて直すこと。店の周囲に中に重なるようにして倒れている屍体の山を片付けて――仕事はたくさんある。 昨日と同じ、いつもと同じ、ガラゴロと台車を押して歩き慣れた道を行く。 昨日と同じ良く晴れた空は青く、雲は薄く、雪が降り出しそうな程気温は冷えている。いざという時手が動かないのは困るので、出来るだけ動かして体温を保っておく。ぐるりと周囲を見渡した時、林の奥に動く物があった。ゆらゆらと、のろく同じ動きばかり繰り返すのは奴等の特徴だ。ぼろぼろの衣服に、腕の先が抜け落ちて骨だけになっているのも遠目に見えた。 試すつもりだった新品には少し余る距離だったので、いつもの猟銃を背中から取り、構える。撃つ。倒れた。 背中に銃を戻す。 (どうしようか…) 片付けたいが、あの辺りは見通しが悪い。 もっと木の葉が落ちきって、視界がよくなってからでも遅くはない。 ガラゴロガラゴロ…台車を押してそこから七歩進んだ所で、道の真ん中に昨日の男が立っているのが見えた。 「……」 声をかけるつもりはなかった。 昨日、久しぶりに喋ったからだろうか、夜になると喉が酷く痛んだのだ。ただ風邪を引いただけかもしれないが。 黙って通り過ぎるのも何なので、一応通りすがりにお辞儀らしきものをした。ちょっと頷く程度しか実際には動かなかったが、十分意味は伝わっただろう。 男の側を過ぎて大分進んだ頃、気配で着いてきているのが分かった。何か話があるのかもしれない――あの店の物を全部持って行きたいのかもしれないし、隠している食料があれは全部出せと言い出すのかもしれない。 いずれにしても、今日やることは決まっている。 墓穴を出来るだけたくさん掘らなければならない。一つ一つ埋めていては間に合いそうもない、広い穴を掘って一緒に埋めてしまうか。それともやっぱり、毎日少しずつでも縁のある場所へ―― ガタン、と音がして台車が止まった。 後ろからそれを留めている腕が、慣れた様子で身体を探り腰に差したオートマチックを取り出す。 一通り動作を確認した後、背中の猟銃も抜き取られた。 昨日、マニュアルとにらめっこで手入れをしたので煤だけは取れている。油を含ませた布きれで中も外もまんべんなく拭いた。そのおかげか、今日の一発目は随分と快適だった。 男はそれも覗いたり握ったりひっくり返したりしていたが、大人しく待っていると銃を返してくれた。 「こんなもんであの距離撃つんだな」 「…骨董品だよ」 同じ場所に刺して歩き出す。人と喋るのは本当に久しぶりで、言葉が出るのが不思議なくらいだ。でも、違和感はあるのだろう。男の視線はずっと顔面に向いていて、注意深く観察している、こいつは気が狂ってるんじゃないかと―― とうとう、昨日の店まで着いてきた。 中がどうなっているのか、大体は想像が付く。どうでも良かったので、男の視線を無視して手近な屍体を掴み、転がした。 寒波が来たせいで道路には霜が降りており、屍体も表面が軽く凍っていた。おかげでさほど苦労せずに台車に乗せる事が出来たし、これなら崩れも少なく済む筈だ。 倒れている者達は皆体格が良かった。 二体積むと限界で、それをゆっくり押しながら、元来た道を戻る。 何をしているのか聞かれる事も無く、男はその場に佇んでいる。ぼんやり見ている方向は店でもなく空でもなく勿論この自分でもなく、強いて言えば道の突き当たりで、今その場所には何もないのだ。 今や男の全身から立ち上っていたピリピリした警戒は、完全に消え失せていた。 あまりにも無防備過ぎて怖くなり、ほんの少しだけ足を速めた。道端から唐突に動くものが飛び出してくる、ゆっくりした動き。声はなく、風向きで届く強烈な腐臭。 腰に差した銃を抜き、安全装置を外し構え、撃つ。外した。二発目、また。 いくら撃っても中らない。もう、台車に手をかけていた。虫の沸いた手がそれでも縁を掴み引く。力は驚くほど強い。きっと生前にもこんなに強く引いた経験は無いのじゃないか。 諦めて銃を放り出すと、台車に積んであったひしゃげたシャベルを使ってその頭を砕く。ぐしゃりと潰れる嫌な音がして、それはもう糸の切れた人形のように動かない。 水を吸って腐ったのか、死んで骨の堅さを保つ成分が溶け出したのか、立派な頭蓋骨はあっけなく砕けてしまった。 こうなるともう尊厳もへったくれもない。 シャベルをそのまま使って脇へ退かし、台車を押す。乗せている屍体が落ちなかったのが幸いで、もう一度乗せるとなると作業は憂鬱さを増した。どんなに哀れに思っても、所詮は腐った屍体なのだ。屍体、そうだ。それは至る所に落ちていて、藪の中に、道路の側溝、土の下、家の中、車の下。それに、 道の曲がり角だ。 「なんだ、おまえ」 のばした腕が虚空を掴み、そのまま崩れ落ちた。 弾けた頭部から、傷。血すら滲まない。乾いてカラカラになってもまだ生者を求め、結局叶わなかった。 (もう少しで上手くやりおおせただろうに) 男は奇妙な格好で撃っていた。おそらく拾った流れのまま動いたに違いない。それでも中てるのだから大したもので、プロなんだろう。どうでもいいが。 「あの距離で撃ってこの距離で撃てねえのか」 「そう…」 「おい、大丈夫かよ?」 問題ない。そう答えようとして気付く。 この乾いた屍体なら、もう一つぐらい積めそうじゃないか。 何を思ったのか、男は墓穴を掘るのを手伝ってくれた。 あっという間に大の大人が一人入るに十分な穴が三つ。見覚えのない、形の崩れた屍体を墓地の端に埋めて、また同じ道を引き返す。 男は概ね黙ってついてきて黙って手伝ってくれたが、たまにぽつりと呟きのようなさりげない質問を向ける事があった。 言葉が出る時は答え、考えるのが面倒臭いのと、真剣に考えても答えが出せそうに無いものは黙って通り過ぎるのを待つ。大抵は黙っている事になる。 それでも相手は怒る事もせず、静かに聞いていた。動きは三倍速く、力も強いから随分捗ったが、他の生きている人間という存在に慣れず、随分居心地が悪く感じた。 それに男のそれは埋葬ではなく、作業という感じなのだ。ざくざくと土を掘り、屍体はモノ、そんなような。当たり前だが――それまで一人墓を掘ってきた自分にとって、それは辛い事に感じたのだった。 ただのわがままかもしれず、衛生面から言っても、死者とて、地の表で朽ちていくより土の下が良いだろうに、くだらない感傷で、自分は本当につまらない事を気にしているのかもしれないけど。 陽が落ちた時、最後の一つを埋め終わると、袖で汗を拭っている男に向かってゆっくり首を振った。 言葉にするとあまりにもエゴイスティックな主張だから。卑怯だし、良いやり方とはとても思えないけども、黙って静かに町外れを指差して、拾って貰った銃は渡した。背中には使い慣れた猟銃があり、手にはシャベルも持っている。今までやってきたからやれないことはないんだろう。 男は無表情のまま、指した方向に歩き出した。一度も振り返らなかった。
|