天使降臨

 

最後にシャワーを浴びたのは3日前。
髪はボサボサ鳥の巣状態、シャツもスーツもネクタイまでヨレヨレの情けないナリで綱吉は医者に患者の容態を尋ねた。
「まだ目は覚めていません。意識が回復するかどうかも賭ですね」
「回復して貰わなくちゃ困るんだよなぁ………」
「そんな事言われてもこっちこそ困りますね」
特別治療室に隔離され、一階を刑事と警備が固める異常事態。患者が運び込まれて既に12時間が経過したにもかかわらず、マスコミは食いついて離れなかった。
「あーあ」
窓から見下ろしてため息を吐く。事件以来終始延々と追いかけ回されたせいで、反射的に眉間にシワが寄る。
「会見には?」
「もー俺ァ出ませんよ。後はお偉方のお仕事です」
医者は肩を竦めて出て行った。
残った綱吉は不味いコーヒーの残りを飲み干し、紙コップを噛みながらホルスターに収められたごつい感触に顔を顰める。ベレッタM92FS。非常事態、近隣の署で借りたこのお古の銃だけは嫌と言うほど訓練を繰り返したせいで扱いがスムーズだ。
元々、例外的なケースで警察機関に関わるようになった綱吉はただの一アドバイザーでありたいと願っていながらも、その"特性"のせいで一時的に現場の指揮を執ることすら少なくない。先陣を切って犯人に突っ込む勇敢さはなくとも、犯人の方から寄ってくる事態も数多い。身を守るために必須だった。
とはいえ、この世界の多くの人間に見られるように、銃に愛着を感じるようにはどうしてもならなかった。重いからでも、難しいからでもない。むしろ酷く単純な作業なので嫌になる。この国では人の命が軽すぎる。
「風呂入りてぇ………」
貫徹で疲れ切った目を手のひらでごしごしし、大あくびをしてゴミ箱にカップを放り込む。下と違い、静かな此処は医療機器の音と密やかな話し声以外音が無く、眠気は更に倍増した。
「待機………もういいよねえ」
正にそのタイミングで計ったようにかかってくる携帯。
ありがたいことにそれは綱吉が望んでいた指令だった。長引くようなら一度帰宅し、休んでおけ。ただし呼び出しがあれば直ぐに応じること。

ヒャッホウ。

機嫌良く両手をばんざいするも、階下のマスコミに掴まればもみくちゃにされてげんなりすること請け合いだ。
無事部屋にたどり着けるのは何時になるやら。
「ちょっと寄ってくか…」
ふわあああ、とまたあくびを重ねながら、見張る病院のスタッフに片手をあげて挨拶する。
「見てくだけ。まだ気付いてないでしょ?」
「はい」
「何か異常は?」
「ありません。先程先生が入っていかれました」
「そう………」
視線を戻しかけて綱吉は固まった。
見る見る間にその顔が歪む。吊ったホルスターの中身を引き出して素早くチェック安全装置を外しながら呆然とする女性スタッフにぼそりと呟いた。
「おかしいね。先生、さっき俺と話した後下降りてったんだけど」



銃を構えてドアを蹴り開ける。
ベッドでは呼吸装置を外された男が、瀕死の痙攣を起こしていた。その枕元に立つ白衣の背に銃口を向け、フリーズドンムーブお決まりの言葉を吐きながらじりじりと近づいていく。
回り込んで顔を見ようとした綱吉に、先にその背が振り向いた。

知らぬ顔だ。

男は驚くでもなく狼狽えるでもなくただ笑った。
「早かったな」
「いやホント偶然。俺今帰る所だったんだよ3日ぶりのおウチにさ………よし、両手あげて壁につけて」
「帰ってりゃ良かったのに」

き、た。

宙を切る蹴りから身を伏せて、瞬間的が外れる。
男はその隙を見逃さず踏みだし下段からもう一方の膝を蹴り上げて綱吉を部屋の反対側まで吹っ飛ばした。
叩き付けられた衝撃で肺が一瞬空気を絶つ。激しく咳き込みながらそれでも銃を構えて立ち上がる綱吉に、男は澄ました顔でベッドの上を指さした。
「死ぬぞ、殺人犯」
「ああ―――っっ!!」
顔色が紫になっている患者に一瞬気を取られた。
次に顔を上げた時、男の姿は窓から空中へ跳んでいた。





「やれやれ………」
綱吉とスタッフの救命措置のおかげで一命を取り留めた男の顔は、しかしまだ紫色に腫れ上がっていた。
報告とお説教から帰るどころでなくなった綱吉は、明け方やっと解放された。署から出るなりワッと群がってくるマスコミに「勘弁して!ほんっと勘弁して!!」と拝み倒し、「あっあそこにおわすは警察署長!」などとベタな手を使い一瞬の隙をついてスタコラと逃げ出した。元々郡警の特別犯罪捜査科から派遣されている立場の綱吉は、あまり偉そうにコメントできる立場ではない。仕事はあくまでも捜査、逮捕をするのは市警。仕事分担をきっちりしておかないと、睨まれる。

タクシーを呼び止めて頭から突っ込み、何事かと目を剥いている運転手に住所を叫んでから綱吉は頭を伏せた。
既に逃亡に気付いた面々が足で必死に追い掛けてくるが、あいにく朝のラッシュにはまだ間がある。空いた道路をスイスイ進むタクシーに感激しながらやっと座席に深く腰掛けることが出来た。
家に着く20分の間にもう眠りに落ちていた綱吉は運転手から起こされ、ねぼけまなこを擦って唸る。寝起きは、あまりよくない。
チップ込みの札を払って車から這い出すと、丁度家主のおばさんが花壇の華麗な花たちに水をやっている所だった。
「アラ!おかえりなさい」
「ただいま………」
死ぬ。
フラリと倒れ込む綱吉の体がズルズルと玄関のドアにもたれる。


2006.4.21 up


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