天使降臨

 

奴が意識を回復した。

朝一でかかってきた電話を綱吉は落ち着いて受け取った。
既に準備完了し、久しぶりにぱりっとした格好で(せいぜいめかしこんでけ、というアドバイスだった)玄関を出た彼は、外に出る寸前横からにゅっとのびてきた腕に引かれて危うく壁に激突するところだった。
「お、おはよ、う」
「持ってけ」
物陰に引きずり込まれた時点でたまらなく嫌な予感はしていたのだが。
悲しいことにそれは的中した。やわらかい唇の感触が己のそれに重なり、ぬるりと舌が滑り込んでくる。男だって。
男だって!
「ぶわあっ」
慌てて手を着いて離れると、男はにやりと笑って口を拭った。
「幸運のお守り、ってやつだ」
「はは………」
力無く礼を言ってフラフラと道路にさまよい出る。協力云々の話が無ければ殴り飛ばしている所だが、折角そちらさんの仕事を待って頂いているのだからこれぐらいは我慢しなければ。





病院の一室で、犯人は拘束着を着せられて横たわっている。
外には武装した警官がずらりと並んで詰めているか、建物をぐるぐるまわっているという警戒ぶりだ。無論、逃亡の危険とマスコミの侵略と恨みに燃える市民の襲撃を用心しての措置だった。
綱吉はいつ狙撃があるかと心配でピリピリしている上司に挨拶をし、少しばかり情報を収集した。
「犠牲者の内の一人がイタリア系でね―――つまり、マフィアの関係者だったんだ。昨日病院で息を引き取ったまだ10代の若者が」
「ふむ」
「カップルで居るところをまとめて襲われた、あれだよ。公園で。可哀想に、同情するね。襲撃はリヴェンジさ」
「邪魔されたら困るけど………」
「正直公判まで守りきる自信は無い」
「ふむ」
「奴は死にたいのかも知れないな。襲われた事についての証言すら拒んでる」
「プロなら捕まえるのは難しいですね。世間の心証もありますし」
「まったくだ」
「ダメもとで、行ってみます」

綱吉には武器が一つしかない。
つまり、生身の自分である。

案の定彼が入っていくなり、横たわっていた男はそれまで虚ろに開いていただけの目を動かし、僅かに首を上げさえした。
『やあ』
『君は………』
硝子越しに見張る何人もの警官の前で、綱吉は極自然な仕草で側に腰掛け、足を組んだ。
『気分はどうだろう』
『最悪だ。体は痛いし寝心地が悪い。でも君が来てくれたので少しはマシかな』

「効果覿面だ」
一般の感性しか持ち合わせない警官達は首を捻る。
地味な東洋人の若者が、これほどまで一部の犯罪者達にもてまくるその理由がわからないのだ。

『どうやらまともな話が出来るのは君ぐらいのようだね』
『皆優秀な警察官だよ』
『それが良くないんだろうな。ところでこの口の所の厄介なベルトを外してくれないか?息が苦しいよ』
『我慢しろ、自業自得なんだから』

「おいおい………」
外の人間は見守ることしかできない。
いつになくぶっきらぼうな綱吉の対応に、ヒヤヒヤしてしまう。

『これぐらいなんでもないだろう?』
『君は………不当な扱いを受けたことがあるかね?』
『ありまくりだね』
『けれども自由を奪われ拘束されて、悪趣味な虐めを受けたことは無い筈だ』
『今でも似たようなもんだし。それに、悪趣味な虐めなんてとっくの昔に経験済みさ。だからお前みたいな奴には我慢ならないんだ』

タイミングを計ったようにネクタイを掴み、緩めてふーっと息を吐く。
綱吉のフリに、犯人は食いついた。

『どんな?』
『なにが?』
『君が………ええい、クソ、痛い!』
『我慢しろ。俺の時は麻縄だったし、こんな綺麗で衛生的な病院なんかじゃなかったぞ』

思わず外の警官達も身を乗り出す中、綱吉はさりげなさを装ってとんでもない告白を始めた。彼は幼少期、ぼんやりとした少年だった。あまり鈍くさいので母親が愛想を尽かし、数日ばかり家を出ていってしまった。
『親父は家に居なかったんだ。あの頃は家も荒れてたからね』
代わりに面倒を見てくれた親戚のおじさんが小さな少年に優しく話しかけ、納屋で体を撫で回すくだりになると犯人は夢中で先を促すだけになった。
完全に話に飲まれ、知的な戦略の欠片もない。

「狙いはこれか………」



一時間もしないうち、必要なことを聞き出した綱吉は内心の高揚を隠して出てきたところを同僚に捕まえられた。
「おい、お前、あの話」
「演技だよな、犯人をその気にさせるための冗談だろう?」
「冗談だよ?当たり前じゃないかあんなの嘘っぱちさ」
けろりと言い放つ所など、なかなかにあくどい。
「日本じゃ母親が子供置いて数日家を出たら捜索願い出るんだよ。干し草積んだ納屋なんて都会にあるもんか。親父は放浪癖激しいロクデナシだったけど、母さんはちゃんと毎日メシ作ってくれたよ」
「………あっそ」

感動屋の同僚などは「俺は俺みたいな子供がお前等みたいな犯罪者の犠牲になるのが耐えられない。だからこの仕事を」の辺りで涙を滲ませていたのに、綱吉にバッサリ嘘だと切り捨てられて半分やさぐれてしまった。

直ぐに捜査の手は伸び、高校時代から彼が使用していた"隠れ家"の存在は暴かれた。
最も此方は彼の自宅よりも整理整頓がなされておらず、大量の虫と死骸と骨にうずもれた廃屋で捜査員達は相当苦労したのだが―――…










犯人の容態が安定し、移送中の事だった。
閉じられた車内で点滴の落ちる管を眺めていた彼は、付き添っていた医者が見覚えのある人物であると気付いた。
そうだ。
この医者は―――

「…ったく、とんだ時間くいやがってあの無能捜査官め」
ぶつぶつと独り言の後、動かない腕から点滴の針を乱暴に抜き取る。男は気付いた。
彼は慈悲深くも最後を与えにやってきた天空からの使者なのだ―――
「情けなんてかけてやるんじゃなかったぜ」
「神よ………」
祈りの体勢に入る。
天からの使者は「あン?」と訝しげな声を上げたが、やがてハッと鼻で笑って懐から銃を出した。
これ見よがしにフィールドストリッピングを行う手つきは鮮やかで、あっというまに個々のパーツをばらし目にもとまらぬ速さで分解、チェック、組み立てていく。
スライドを後退させ、ストッパーを戻して準備は完了。
「さて」

ごり、と頭蓋に触れる鋼鉄の感触。
うっすら目を開けると、天の使者にしては歪んだ笑みがあった。
「最後に良い思いしただろう?楽しいお話の時間を与えてやったんだ、少しは感謝して死んでけよ」
「なんの………事ですか………」
「最もこんな拘束着なんぞ着せられてりゃ、右手一本動きゃしねえ。な?」

ああ。
目の錯覚だろうか。天からの使者は実に下品な手つきで架空の×××を擦り立てる。

「ネタは極上だったろうが」
「私は………」
「あいつが泣き叫んでる所を想像して押っ勃てたろ?でかい男のアレ突っ込まれてヒイヒイよがってるツラをさ」
「ああ………」

罪だ。罪だ。
最後に肉欲に流された。悔恨噛みしめ、男は目を閉じた。

「あれマジで信じちまったのか?ははお前馬鹿だな」

開いた。

「ん―――…残念。あいつ、バージンだったぜ?」
「何……で…」
「そりゃお前決まってんだろ俺が」





銃声で車は急停止したが、開いたドアの奥には頭に穴の開いた死体が一つ、転がっているだけだった。


「これから頂く予定」
2006
.4.21 up


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