第三の眼
ラウンジから戻ると連れの二人は一つ前の席で、折り重なって眠っていた。
正確には眠りに落ちているのは一人。もう一人は眼鏡を押し上げて骸の視線に頷いて見せる。
「機内、異常ありません」
「犬は眠ってしまったのですね。ああ、いいんです。そのままで」
彼等は常に追われている。警察機関、過去に接触を持った政治組織、そしてマフィア。
裏世界ですら身を置くことを許されぬ代償に、彼等は奪い、奪い、薙ぎ倒し潰して切り裂いて来た。ひしゃげた世界を残して去る神話の破壊神の如く。
「疲れているのでしょう」
空港でチケットを提示する時間まで、外套の下は血まみれだった。不格好でサイズの合わない服を着込んだ犬は機内でアナウンスが流れるやいなや動物的素直さで眠りに落ちてしまったが、不穏な気配は此処にはない。
少なくとも、この階には。
「僕も少し休みます」
席へ着いて骸は目を閉じた。と言っても五感の全てを閉じ無防備に身を晒す事はない。彼が生きて動いて息をしている間は絶対にないだろう。
通路に行き来する乗客の気配を瞼を下ろし感じていた骸は、やがてぱちりと音が鳴りそうな唐突さで目を開いた。
空席の筈の隣に、誰か座っている。逆光で顔は見えないが、じっと此方を見ているのは確かだ。
流れるような動作で視線を移す。
そこにいたのは先程ラウンジで落ち着かない様子を見せていた少年だった。
無論、見覚えはない。
骸の記憶力は敵限定でほぼ完璧を保っているが、一般人にまでは及ばない。美しい少年である彼に通りすがりにでも好意を寄せる人間は少なくないが、そういうのとは違うようだ。
「何か?」
「………あの」
せいぜい勿体ぶった仕草で視線を上げる。
丁度その時、少年の肩越しに奥の通路が見えた。トイレ前は照明が落ちることなく、明るさも保たれている。同じように視線を寄越した中肉中背の男。
こんな所にまで。
骸は思わず腰をあげかけたが、驚いたことにそれを少年が制した。
「行かない方がいい、です」
不似合いな程低めた声だった。
ラウンジでは明るい茶に見えた少年の瞳は虚ろな闇を湛えており、何処に焦点があるのか分からぬ茫洋とした一対の瞳をひたりと骸に据えていた。
「何故」
普通なら不気味さ、恐怖すら感じただろう。しかし骸は何事も怖れるたちではない。
落ち着いて問い直した彼に少年は一瞬戸惑いを浮かべ、俯いた。それは、などとくちごもる。他人と話すのは不得手のようだ。
しかし決意は固いようで、その場所から動こうとしない。それどころか骸の腕を掴んだ。
強く力の込められた手は微かに細かく震えていて、気付いた。
彼は怯えている。
「君は―――」
「お願い、行かないで」
「何故?」
骸は態度を切り替えた。
優しく問うと、少年は悲痛な表情をして言った。
「あと20秒程でいいんだ。ここにいて」
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