第三の眼
陽が落ちるか落ちないかのうち、原色のけばけばしいネオンサインが瞬く。
香港有数のショッピング街として名高い、尖沙咀。通りを歩くのは外国人観光客ばかり、ブランドショップや免税店が建ち並ぶ。
此処で買い物をする気はない。いつもなら、千種は深水歩や旺角で用を済ます。安いからだ。湾仔にも電脳街はあるが、此方はどちらかというと骸のお供で来ることが多い。
湾仔は歓楽街だ。一本路地を入れば無数のナイトクラブやその筋の店が建ち並び、尖沙咀とはまた違った趣のネオンが怪しげに点滅している。その殆どが黒社会の経営か息のかかった店で、悩ましげな格好で店の前に立つ商売女の色気にフラフラと吸い寄せられたら最後尻の毛まで抜かれてしまう。揉め事のプロに文句を付けるのは自殺行為だ。実際荒っぽい事件が絶え間ない。
骸は密かに繋ぎをつけた幹部に裏ルートで武器と人員を買い付け、自分と分からないよう巧妙に動かし細工をした。"少しばかり遊んでやる"のだと言うが、これには重要な意味がある。
本来なら香港には足を着けるだけで直ぐ日本に向かう筈だった。しかし、予期せぬ顔見知りの出現で足止めをくらった。
つまり相手に時間を与えてしまった。千種も犬も長くの刑務所暮らしでまだ完全に調子が戻っていない。少しばかり暴れる必要があるわけだ。
その機会を作るためにわざわざ骸は足を使って出向き、最後に仕掛けの成果を確かめた。
2つの組織が壮絶な縄張り争いの末発表されているだけでも6人の死者を出したし、殺気立った空気でピリピリしている。裏通りを歩くストリートガールの数は激減し、どこもかしこも血生臭い噂ばかりだった。
「面白いか?」
「………」
千種は少し後ろを歩く少年に声をかけた。
彼は飛行機内で、いつの間にか骸と知り合っていた。どんな事情か知らないし別に興味もないが物騒な輩に追われている。他にも秘密があるようだが、話そうとしない。
千種も大概無口な方であるが、彼はそれに輪をかけた無口だった。聞かれた事以外喋ろうともしない、酷いときには聞かれても喋らない。いつでも陰鬱な表情をして、滅多なことでは部屋からでない。
とうとう骸がこのままでは体に障るなどと歯の浮くような台詞を言い、千種に預けて追い出した。骸にしては根気よく少年に事情など問い質していた様子だが、脅されようが優しく宥められようがまったく口を開かない頑なな態度だった。
「…珍しい」
たっぷり数十秒経ってから、ようやくか細い答えが返ってきた。こうして陽の下で見ても顔色は青白く、痩せていて、おおよそ子供らしい様子とはかけ離れている。
一体どんな事情があるにせよ、骸と行動を共にしたら後戻りは出来ないのだ。
それを彼は分かっているのだろうか?
「あまり、離れるな」
人通りは多い。観光客目当てのスリや置き引きも多い。
そう注意した側から彼は通行人に突き飛ばされて尻餅をついた。いわんこっちゃない。
千種は呆れ、ため息をつきながら手を伸べて少年の袖を掴む。生肌の触れ合いは苦手だった。
「………もう、帰りましょう」
差し出した腕を掴むことはせず、少年はのろのろと腰を上げた。
「これ以上此処にいてもしょうがない。そろそろあの人の用事も終わったんじゃないですか?」
骸の事である。
ぱんぱんと服の汚れを払いながら、無感動な口調で言う。
「また今夜も人死にが出るんでしょうね」
「何が言いたい」
「俺は一人で帰れます」
何も言っていないはずだ。
骸はお喋りなたちではあるが、本当に必要な事は滅多に口にしない。
「きっとあと少し、此処を歩いたら電話が鳴る。貴方は立ち止まってそれを受ける。聞こえてくるのは大勢のがやがやした声と、あの人の声だ。言いましょうか」
「お前………怖がってる訳じゃ、ないんだな」
千種は無意識にポケットの中のヘッジホッグを掴んだ。
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