第三の眼

 

怯えたように少年は店を出た。放っておくには、余りに、興味深い。
「犬」
「できましたーぁ」
事切れた死体で通路に赤いペンキを塗りたくっていた犬は笑顔で返事をする。店中まんべんなく塗られた天然塗料から生臭い匂いが漂っているが、外までは漏れない。両腕を広げ壁に貼り付けられた男の頭は項垂れ、白いシャツが赤に染まって、殉じた者に相応しい。反面、暗示はまるで神の子のようで………不遜だ。
「行きますか」
「え、これだけ?」
犬が素っ頓狂な声を出した。千種も固まっている。
わざわざここまでお膳立てし、有象無象群がって来るであろう敵意に満ちた獲物を前にして彼等は去る。ただ一つ、彼の言葉の為。
何ともお粗末な結末だが、此処が最終目的ではない。骸は微笑い、無言で店を出た。

言い争っている声がする。数ブロック先に黒のフェラーリ。
この香港で数千万もする高級車を、しかも此処で乗り回す馬鹿どんな顔をしているやら。骸は息を潜めたが、そんなことはお構いなしの激しい口調が飛び出した。
「一体何を考えてる!俺達がどれだけ心配したか―――」
激昂する青年の居る場所は影になり、ここからでは見えない。しかし対峙している少年の荒んだ横顔はよく見えた。
「重いんですよ、そういうの」
「………」
「俺は望んでこうなった訳じゃない。あんたたちが来るまで平穏無事に過ごしてたんだ。全部、全部あいつが悪いんじゃないか」
長い腕が伸び、少年の肩を掴んで闇に引きずり込む。
「わかってんだろ。誰よりも、一番、お前が」
「あんたに何が分かるっていうんだ?」

骸は異様な気配にのまれ、引いていく通行人の間を突っ切ってそのただ中へ飛び込んだ。
最近はこんな状況ばかりだと嘆きつつ、男の腕から少年を引きずり出す。スウ、と息を吸った姿を見て安堵する。
彼は望んでいるのだ。
「失礼」
殊更気取った仕草で一礼すると、骸は少年を抱えて後退った。
「おい―――」
「嫌がっている子を無理に連れて行くのは可哀想じゃありませんか?」
光の輪を背負ってるような華やかな容姿の男。陰鬱な少年と共通点はまるで無い。骸は笑顔のまま問答無用で一発ぶっ放した。
「!」
流石に飛び退き顔色を変える。周囲から金切り声が上がった。潮時だ。
身を翻して走り出すと、少年は黙ってついてきた。
息を切らして全力疾走をしているのだからそれなりに懸命なのだろう。





「なに、ソレ。チジョウのもつれ?」
「さあ」
肩をすくめてみせる骸の前で、犬は丹念に爪の間を舐めていた。まだこびり付いている血が気になって仕方がないのだ。
たったあれっぽっちの距離を走っただけでダウンしてしまったヤワな少年を、千種がみている。暇な犬がダメもとで質問したところ、案外簡単に骸から答えが返ってきた。
「いずれにせよ、計画に支障はありません」
「ほんとかなあ」
犬が骸の意見に否やを唱える事はないが、彼は動物的勘が強い。
慌てて服従の色を目にのせながらも、一生懸命言葉を、思いついた片端から出していく。
「だってむくろさんも柿ピーもなんかおかしいから………あいつ、そんな匂い全然無いのに」
「匂い?」
ヘヘ、と笑った顔でピンと来た。
骸は不快や不機嫌を通り越し笑い出したくなった。よりによって、この自分はともかく千種までもそんな誤解を受けているのか。

今頃彼は狭い、狭い貨物船の底で蹲りげえげえと激しく嘔吐する。

 

骸達3人にとって、その国に馴染み潜伏するのは非常に容易い事だ。外国人である彼等に相応しい立場を用意するその過程において協力者の存在は必要不可欠であるが、それはいとも簡単に迅速に手に入る。
しかも今回はその手間すら要らない。必要な書類を持って申請を終え、めでたく日本の中学生となった3人は旅行者の顔と衣服を脱ぎ捨てた。

相変わらず彼等にくっついている少年は、骸の命にもかかわらず決して、その個性のない衣服を脱ごうとはしなかった。渡した黒曜中の学生服は寝床の下に敷かれ、床の冷たさを遮るマットほどにもその存在を認められないでいた。

外に出る訳じゃないんだもの、彼は言うが、実際そうであるかは怪しいものだ。
日本に着いて以来、彼の怯えた様子は一段と酷くなり部屋にこもる日々が続いた―――とは言え、たまに骸や千種や犬が彼に与えた空き部屋を覗いて見ると、空の時がある。何をしているのか気にはなるものの、彼等は忙しかった。手に入れた情報ではこの、イタリアから遠く離れた日本にボンゴレの重要人物が居るというのである。





端的な手がかりしか無いにもかかわらず、骸は楽しげだった。
頭の中でカードを並べ、選び手を出す作業は楽しかった。謀略と悪意は彼の専門なのだ。
学生服の地味な色あいの袖をまじまじと見つめていた彼は、格好通り中学生らしく振る舞うことに決めた。

こんな小さな社会でも優劣を競う争いには事欠かない。
まったく、人間というのはどこまでも罪に満ちた生き物だ。


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