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あ、まただ。

ドアが開閉する度、世界が崩壊しそうな音を立てる壊れかけのエレベーターが開く。所々埃と塵のたまった薄汚れた通路の端に、小さな黄色いアタマが見えた。
ツナの口元は無意識に笑みの形になるが、本人は気付いていない。ニコ、というよりはニヤニヤした笑いを浮かべて足早に3つの扉の前を過ぎる。最後の扉の手前にある階段。その、一番上の段に腰掛けて窓から外を見ていたのは。
「よっ」
ぽす、とアタマの上に手を置くと、うるさがって払う小さな手。華奢な腕。
「シッシッ」
「あ酷ェ」
人を野良犬か何かみたいに冷たく追い払おうとすると、ツナは口を尖らせてアタマを小突いた。
少年は大儀そうに顔を顰め、ちらりと視線を寄越す。
「ドタドタ足音たてやがって。うるせえ」
「忍者じゃあるまいし。忍んでどうする忍んで」
「落ち着きってものも必要だぜコラ」
それきり、また窓に視線を戻してぼんやりと座っている少年の襟首を掴み、ツナはずるずると引きずろうとした。
「何しやがるコラ!」
「いーじゃんいーじゃん。おとーさんまだ帰って来ないんだろ?俺ン家で面白いことしよう」
「テメーの面白いことっつったらゲームじゃねーか!」
「あ、マンガも」
「同じだコラ!」
「ふぎゃっ」
少年が踏ん張ってずるずる引きずられるのを阻止したので、ツナは見事に転げた。
埃だらけになって唸るのを、呆れたように青い目が見下ろしている。
「バカ………」
「なにおう!」
ったく、しょーがねーなとぶつくさ言いつつも、転がったツナのバックパックを掴んでスタスタと歩き出した。その足が隣室―――ツナん家の前で止まり、だんだんと苛立ったように足踏みを慣らす。
「早くしろコラ!」
「ってーな、もう…」

ツナの住んでいる海沿いの都市は、中規模ながらも工業が盛んでどんどん人が入ってきている。住宅地にはぽこぽことニワトリがタマゴを産むように家や集合住宅が建てられ、店やホテルも激増した。空港が新設される予定があり、エアラインも充実すればもっと大きくなるだろう、急成長都市である。
彼自身は年中世界を放浪している父親の、謎の家業の煽りをくらってなんとなーく成り行きでこの地に住んでいる。母親と二人、慎ましい生活をして学校に通い、年頃の少年が夢中になる事よりもやや大人しめの物に興味を示し、奥手故に女の子には声をかけられない―――そんな平凡な学生だ。
母と子のつつましい家庭は、大通りから数本またいだ町外れ、内陸側東ブロックにあるアパートメントの3階にあった。ちなみに4階が最上階。

ずっと空き部屋だった隣室に、人が入ったのは一月も前の事だった。慌ただしく家具が運び込まれ、工事が入り、最後に住人が。
習慣と時代の違いで今は引っ越しのあいさつなどしない。ツナがその住人、おそらくは一部―――を知ったのは、学校帰りの丁度今と同じ時間帯だった。エレベーターの扉が開くと、通路をウロウロして座ったり立ったり落ち着かない少年に出くわしたのである。
ツナは一人っ子、お世辞にも社交的とは言えない性格だったが年下の少年達とは仲が良く、気がつけば(向けば、じゃない。いつの間にかだった)面倒を見ていたりするので軽い気持ちでなにやってんのと話しかけたのだ。
「………」
ちょっと、そんじょそこらで見ないような綺麗な少年だった。
少々キツさが目立つけれども、目鼻立ちの整った正当派アーリア系の美貌に金髪、青い眼と人形のように出来すぎていた。
「うへ」
あまりにあまりだったのでツナは派手に顔を顰めたものだ。
この辺りは治安が良いとは言えず、夜ともなれば薬の売人や裏の組織の怪しげな男達が横行する。こんな見目の良い少年は、ロクな目に遭わないに決まってる。
「………喧嘩売ってんのかコラ」
彼の運命を嘆いてそうしたのに、誤解を与えてしまったようだった。低い声を出した少年の形相はもの凄いことになっており、一瞬足が震えたのだがそこはそれ、ツナは持ち直した。こんなちっさいのに、こわいなあとのんきな感想を抱きながら。
「違うって。俺昨日からちょっと腹具合悪くて」
見るからに嘘だったが、少年は一応怒りを収めてくれた。その後は、互いに自己紹介をした。
ツナは通っている高校、母親と二人暮らしであること、名前をきっちり言ったのに少年が言ったのは名前だけだった。
不公平だなあ、と思ったのだが、会って直ぐ警戒を解かぬだけの頭脳を持った賢い子供と好意的な解釈をすることにした。
「コロネロ?」
「…ツナ」
二人は友情の握手を交わし、それ以来友人というか知り合いというか、微妙に近くて遠い関係を築いている。

近いのは、ツナがコロネロをしょっちゅう自分の家に招いて夕食を一緒にするところ。
遠いのは、コロネロがツナを自室に入れることはなく、自分の家庭事情も一切話すことがないところ。

けど二人はそれはそれでうまくやっていたし、ツナとしても些かの好奇心が刺激される以外は別に、支障はなかった。

「母さん、遅くなるのかー」
テーブルに揃えられた食事はレンジで温めるだけになっている。
そして二人分だ。ツナの母、ナナは隣家の少年が息子の部屋に入り浸っている事を知っている。
「食ってけよ。どうせお前また冷凍ピザばっかなんだから」
「ばっかじゃねえ」
「大きくなれないぞ」
「ンなこたねーよ余計なお世話だコラ!テメエの心配でもしてろ!」
憎まれ口ばかり叩く間も、コロネロはツナの隣で大人しく待っている。ツナが冷蔵庫から出した牛乳をコップに注ぎ、棚から取り出した菓子を持ってずんずん進んでいく。
「邪魔するぜ」
がつーんと足でドアを蹴り開けながら、散らかった部屋をぐるりと一瞥してため息。その後ろからでへへと誤魔化し笑いを浮かべて入ったツナは、早速ゲーム機の電源を入れた。

「っつーかお前ガッコー行ってんの?」
「………」
「アタマ、良さそうだもんな。あと女の子にも人気あんだろーな…」
えい、えいと前髪を弄るツナの指をベシッと払いのけて、コロネロが睨む。
くわばらくわばらと引っ込めてコントローラーを握るツナの口が尖った。
「もー最悪。バスケの試合近いから、応援しろって運動部うるさくてメンドくさい」
「学校は楽しいか?」
「だから最悪っつってんじゃん。楽しかねーよ!だからサボってんだよ」
ヒヒヒと嫌な笑い方をして、慣れた仕草でボタンを連打。オープニングもセレクト画面もガシガシすっ飛ばして早速ぐるぐる画面の中の高級車を走らせ始めたツナは、菓子盆から一つつまんだ。
それをあきれ顔で見ていたコロネロもまた、手元のコントローラーを操作し始めた。
「あっクソ!テメー!」
「フン」


2006.3.26 up


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