その後



 レールからずれた車体が大きく傾いだ。
 乗客が異常を察する頃には、時速70キロで鉄の塊は壁面に激突していた。激しい揺れ、全身に衝撃。クッと肺から息を押し出される感触が最後で、痛いとかは感じなかった。
 意識を失う瞬間天井が明るかったのを覚えている。
 そして暗闇。





「うわぁ…」
 一面雲だった。
 雲海、というやつ。
 歩いて渡れそうなその眺め。飛行機の窓から、初めて見たときは感動した。
「高ぇ…」
 今見てもやっぱりすごいと思う。
「青い空、白い雲……ときたら」
 ツナの周囲を埋め尽くすこの白いふわふわは雲に違いない。
 雲の正体は水蒸気。密度が低くてとても上に人が乗る所ではないと教えられた、その事実が覆ったのかもしくは――
「俺死んじゃったのかな」



「もの分かりがいいなお前」
 ツナがポツリと呟いた、その言葉に返答があった。
 びっくりして振り向くと、さっきまで誰も居なかった筈の場所に一人の男が仁王立ちしていた。
「その通りだ」
「あ…」
 背の高い、逞しい体つきの金髪碧眼の男の全身を、眩しい光が覆っている。
 思わず平服したくなるような、神々しい雰囲気や圧倒的な存在感にツナの喉は震え、それ以上喋る事が出来なかった。
(もしかして)
 この人は、いやこのお方は――
(天使…? それとも神さま?)
「…うう」
 眩しさに目を細め、ツナは視線を落とした。
 多分、いやきっとそうだ。とにかく人間ではない。
 前にいるだけで肌が粟立ち、頭の奥がピリピリと痺れる。
「あ、あなたは…」
 勇気を振り絞って尋ねると、相手はゆっくりと頷く。
「そうだな。お前が思っている事は正しい」
「ひっ」
「恐れる必要はない。ゆっくりと顔を上げればいい――」
 促されるまま、少しずつ身体を起こしていく。
 眩しい光にも慣れてきた。ツナは意を決し、くわと一気に目を見開き相手を見た。


「………アレ?」
 神さまは迷彩柄のパンツにミリタリーブーツを履き、ピッタリした黒Tシャツを着ていた。
 さっきまでは光が邪魔で見えなかったのだが。
「あの、ええと」
(理想と現実って違うんだなあ…)
 ツナは特に信心深いタイプではなかったが、それでも失望を覚えた。
 雲の上の神さまと言うからには、白いヒラヒラした衣装を纏っているイメージがある。それがTシャツなんてガッカリだ。
「はあ。それで、俺は何で此処にいるんでしょう」
「呼ばれたからだ」
 外人の兄ちゃん、もとい神さまは単純明快に答えて下さった。
「呼ばれた…ってそんな。誰に? なんで?」
「新しい神になる為だ」

 珍妙な答えに、ツナは一瞬呆けてしまう。

「漫画の台詞にそういうのあったなあ」
「真面目に聞け」
 男が凄むと、周囲の空気が密になる感じがした。
 圧されて倒れかけたツナを、神さまが引いて止める。
(普通の人間みたいだ)
 体温もあるし感触もする。…爪もある。
「簡単に言うと、職業のようなもんだな。それぞれの分野を受け持って地上に足し引きする」
「足し引き?」
「恩恵を施したり、時にはさっ引いたりだ。バランスを考えて長くやれればそれだけ立派な神になるってわけだ」
「任期があるの?」
 神さまというより政治家みたいな話である。
 ますます妙な気持ちがして、ツナは眉を顰めた。神さま相手に不敬かもしれないが、ふーんと適当な相づちまでした。
 すると男は初めて幾分か愉快そうに、口の端を歪めて笑う。
「オレは戦いを司る神だ」
「あーなんかそんな感じするわウン」
 っていうかそれしかないだろうみたいな、気合いの入った格好である。
 神さまというよりミリタリーオタクみたいな感じはする。
「俺も何かの神さまになるのかな?」
「多分な。普通なら前任者が後継を決めて、見込みのある人間を拾い上げるんだが。お前の分野はもうずっと担当がいなかった。だから仕事を教えるやつがいない」
「はあ…」
「とりあえずオレが迎えに来たけどな。そっちの面倒は見てやれないと思うぜ」
 肩を竦める仕草も、表情も、人間そのものの姿で。
「神さまとか言われてもねえ…」
 なんとなく胡散臭い物を感じて、ツナの顔つきも自然としょっぱくなる。
 完全に乗り気でないその様子に、戦いの神さまとやらはフンと鼻を鳴らした。
「とりあえず、行くぞ。新しい神を神殿に連れて行く約束をしている」





 見渡す限り白い雲の平原で、どうやってその神殿とやらに行くのかなと思いきや流石は神さま。
 白い光に包まれたかと思うと、あっという間に大きな建物の前にいた。
「すごいな」
「お前も既にその力は持っている」
「ふーん…」
 おかしいな、と思う。
 普通なら驚きの連続であろう、とんでもない出来事の数々に心が追いつかない感じだ。
 心は限りなく平坦で波がなく、驚きや恐怖といったおなじみの感情は浮かんでもすぐ泡のように弾けて消える。
「…変だな」
 異常はそれだけではない。
 よくよく気をつけていれば大丈夫だけれど、気がつくと口が開いてとりとめなく思ったことを喋っている。
 流石にそれはマズイような気がして、口を押さえたり息を止めたりしていたツナを戦いの神は笑いながら見ていた。
「お前は既に音を出して、口を開いて喋っていはいない。思うことがそのまま伝わるから、ここでは言語がない。考えるのを止めればいい」
「それってすごく難しいと思うけど…」
 神殿は大体想像通り、ギリシャ神話に出てくるみたいな豪華で壮麗な建物で、行き交う人(神さま? 天使?)も白いひらひらした衣装を着けている。
 すごく、想像の通りである。
 ツナはちらりと隣を見た。
「そうか、あんたがおかしいんだ」
 初めて見た神さまがコレだから驚いたが、辺りは天国と言われて即納得のビジュアル。
「放っとけ」
「なんでTシャツなの? 神さまっぽくないね」
「てめえ、オレにあんな白いヒラヒラを着ろってぇのか?」
 ぎろりと睨まれる。
 どうやら神さまにも色々いるらしい。白いヒラヒラは彼の主義には反するようだ。確かに想像すると愉快な眺めではある。
「似合わないでもないけどなあ」
「そういうのは美の神の仕事だろ」
「美の神?」
 ツナの意識は、ここに来て一番に起きた。
「美の神って、やっぱり美しいのかな?」
「でなきゃ美の神とは言わねぇだろ」
「見たい」
「好きなだけ見ろよ」
 戦いの神はうんざりしたように言う。
 戦いを司っているだけあって、そういう軟派な思考は持ち合わせてないのだろうか?
「今から会うのは何の神さま?」
「お前も神になるんだよ。さま付けは間抜けだからやめろ」
「あの女の人は?」
「女官だ」
「天女?」
「呼び名は何通りもある」
「天使は? こう、羽根が生えた…」
「羽根は邪魔だから切った」
「ええっ?!」
「冗談だ。その辺に腐るほど居る」
 ずんずんと歩いていくその歩幅と、ツナのそれは合わない筈なのに、二人は丁度良く広間のような場所へ出た。
 其処には長いすや敷物が置かれ、幾人もの男女がのんびりと話をしたり、微笑みあったり、竪琴をつま弾いていたりする。
「おお、正に天国」
 あまりにイメージ通りだったので、ツナは思わず呟いてしまった。



「あら」
 ツナの声に反応したのは、床に長々と垂れる髪の女性である。
 これも神さまなのだろう。
 振り向いたその顔が妖艶な美女だったので、ツナはてっきりこの女性が美の神なのだろうと思ったのだが…
「こいつは愛の神だ」
 戦いの神のぞんざいな紹介によると、違うらしい。
「彼が新しい神に?」
「ああ」
 周囲の目がぞろりと向いたので、ツナは居心地の悪さを感じた。
「あの方のきまぐれの犠牲者ですね。同情しますよ」
 ちっとも同情してる風ではない言葉を吐き捨てたのは、冠と垂れた布で顔を覆っている得体の知れない男だった。
 声はくぐもり、言い方と相まって陰険な印象がある。
「知の神。お前の次に若い」
「よろしく」
「ど、どうも…」
 こんな調子で幾人も幾人もずらずらと並べ立てられ、勿論一度聞いたぐらいでは覚えられず、神になろうがなんだろうが、頭の中身は変わらないんだなとツナはガッカリした。
 知の神とやらにお願いしたらなんとかなるだろうか。
「最後になったが…」
 戦いの神が乱暴に顎でしゃくって見せたのは、長いすの下に寝ている長い影だった。
 これも神さまなのかとツナは呆れたのだが、戦いの神がごろりと転がしたその顔を見てびっくりしてしまった。
「こいつが美の神」
「…ふァ?」
 確かに、美の神と言われるに相応しい容姿をしている。
 蜂蜜色の髪は緩くウェーブがかかり、同色の目を縁取る睫まで金。
 鼻提灯を出して寝こけるその姿さえ美しい。

 男だけど。

「…男なんだ」
「男だ」
「ふわ〜ァ」
 美の神は大あくびをすると、ツナに向かってひらひらと手を振って見せた。
 にっこりと笑いかけられれば、むやみやたらに幸せな気分になる。確かに、神としての力を持っているのだろう……男だけど。
「そいつが新入りかい? じゃあ今から大神の所に行くんだな」
「タイシン?」
 耳慣れない言葉に首を傾げると、横からぶっきらぼうな答えが来た。
「お前がこんな事になってる原因。隊で言えばコマンダー、つまりリーダーの事だ」
「隊で言っちゃうのね…」
 流石戦いの神だけあって、妙な例え方だ。
「よし、さっさと行くぞ」





「ははは、こいつはいい。こりゃぴったりだ」
 大神というから、ツナはヒゲのもっさり生えた筋骨逞しい初老の男性の姿を想像していた。
 ここのビジュアルイメージも戦いの神だの美の神だのという分類も、地上で言うギリシャ神話に近い。
 主神ゼウスのような存在なのではないか、と。
 しかしツナの予想を裏切り、大神は若い男だった。
 戦いの神と外見上は同年代に見える。
 黒髪黒目のハンサムな男前なのだが、黒のスーツを着ているので神さまというよりサラリーマンに…
 見えないか。
(胡散臭え…)
 顔つきが一般人と違う。神さまだから当たり前か。
 そう、これが悪魔と言われたらツナは簡単に信じてしまったろう。男の纏う黒や油断のならない顔つきはなんとなく不吉に感じた。
「胡散臭くて悪かったな」
「えっ?」
「そこのデカブツが言ったろ。考えてる事がそのまま伝わると」
「うるせえ」
 神さまの割にガラの悪い奴らである。
 二人はツナをそっちのけでやり合いだした。殆ど口論である。
 ツナは悲しげに首を振り、しみじみと呟いた。
「神さまってみっともないものなんだな…」
「あぁん?」
「ンだとコラ」
 殆ど同時に言って振り向いた二人は、ニヤリと口元を歪めてくつくつと笑い出した。
「まあ、そうだぜ」
「みっともねえなァ確かだ」





「なんだってこんな事になるんだー?!」
 腹を抱えて笑っている大神と、むっすりと黙り込んでいるが時々口端がひくひくと震える戦いの神に挟まれながら、ツナ――今や神となった存在が、喚く。
 その姿は白いヒラヒラではなく、普通の人間らしい服装でもなく、ほつれて汚れたボロ服だった。
 そしてその後ろには、神々の立派な神殿とは似ても似つかぬボロ小屋が建っている。
「お前の持ち場だ」
「なによコレ! おかしいでしょ!」
「おかしかない」
「そうだ。これ以上ないというぐらい似合ってる」
「なんで!!」
「そりゃお前が貧乏神だからだろ」



「…びん、ぼう」
「神」
 絶妙なあいの手を入れたのは、顔中を笑いの形にした大神だった。
「頑張れよ。頑張って人間共を貧乏にしろ」 



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