初めて見たのは場末の酒場で、男はスツールに腰掛けて体を揺らしていた。 子供っぽい仕草が人目を引いている事に気付いたのだろう。顔を赤らめてグラスを持つその手首にデジタル時計がはまっている。コートの裾が埃だらけだ。酒ではない。多分、ジュース。随分若いのだなと思ったのを覚えている。 聞き込みついでに酒場の女とイチャついている上司を待つ部下。政府の力を笠に着て甘い汁を吸うのは何時の時代も変わらず、店は愛想良く振る舞わねばならない。カーテン奥から出てきた中年男は腹を揺らしながら部下を罵り、小突いて更に罵った。彼は黙って項垂れて耐え続け、肩を掴まれても揺らされるがままになっていた。 あの無礼な珍客も釘を刺せば一発でここには来なくなるだろう。気弱さの滲み出た虚勢に少しばかり苛ついたが、面倒だからそのままにしておいた。店も少しの教育が必要な時期だ。 「はあ、すみません」 透明な声がした。無感情に放たれた言葉に一瞬詰まらせ、ぐうと唸ってから、出口を目指してノシノシと歩く上司の後をついて男はゆっくりと歩き出した。その口元が、通り過ぎる折一瞬だけ皮肉気に笑みを刻み、辛辣な眼の光で前を行く上司の頭蓋を貫く。無論鈍感なそいつは気付きもせず下品な足音を響かせて店の外へ出ていったが、側に居た自分の肌は一瞬粟立った。 男が見ていたのは最初から、自分を虐める詰まらぬ上司などではないのだろう。それは些末、大事なものはもっと他にある。恐ろしいほど徹底した割り切りに悲しみすら感じる。あの男にとって必要なものはごく僅かで、世界に要らないものが大半だ。こんな一瞬ではっきりとそれを見せつけ、視界の片隅にも自分を入れなかった。 それが妙に気にかかった。 町で、街路で、気がつけば捜している。目で追って追い掛けてなんでもないと部下に言い訳するのも可笑しくて、嘲笑った。 最初から別世界の住人と認識していれば、それは、興味を持つことなど愚か意外の何ものでもない。嘲笑し見下し哀れんで突き放す。考えたくなくて追い出そうとして、けれど出来ない。病のようなそれを治す術もない。切って捨てる事が不可能なら、もう放置しておくしかなかった。 そんないい加減諦めがつきそうなその土壇場で、男は自ら飛び込んできた。不幸な偶然?神のお導き―――恐らく前者。 ゆっくりと牙を研ぐ。噛み付いて引き回して頭から飲み込んでしまいたい衝動と闘いながら笑む。 彼は後退った。賢い獲物。 2007.2.2 移動 next |