春の夢

 

彼はあのことを完全に忘れているらしい。

ヒバリはゆっくりと目を開けた。バイト帰りで疲れているくせに、律儀に自分に付き合う相手を。眠い目を擦りながら、目の前のクリームソーダを攻略している。とても嬉しそうだ。
ハタチにもなって。

これ俺の携帯のと言いながら帰り際にメモを渡したのはツナの方だった。ヒバリは黙ってそれを受け取り、無言でタクシーに押し込めた。
二度目は5日後呼び出した。バイト後の疲労でフラついていた。そして多分、それだけではないようだった。調べを入れるとどうやら失恋したてらしく、しかもお喋りな情報提供者によると、不仲による別れではないようだ。一番厄介な。

これであの意味不明、かつ失礼な質問の謎が解けた。
説教でもする気かと呆れたが、ツナは笑った挙げ句、いかにも軽い調子でとんでもない言葉を言ったので不覚にも一瞬固まってしまった。年月を重ねてもあまり変わらない幼い容姿から、かけ離れた遠い姿に見えた。
それで結局何が言いたいのだろう。

昔からヒバリは他人の事を考えるのが、あまり好きではない。他人の行動様式はくだらないセンチメンタルな感情に振り回され、不規則で、甘ったるい。胸が悪くなるような不快感がある。
他人が側にいる事自体、面倒で不愉快で嫌いだ。
成り行きで配下の人間を会社という形でまとめあげたはいいが、やっていることは昔と変わらない。時々酷く面倒になることがあり、そういうしがらみを持つ今の現状を疎ましく思う。
そんな時に懐かしい顔に出会ったのは、偶然といえど不幸な事に違いなかった。
弱々しく、おどおどと他人の顔色を伺い、覚悟のない弱者の代名詞のような少年はそのまま大人になり、今も変わらない。それが気に障る。
過ちを思い出すからだ。

今こうして向かい合って座り、のんきに茶など飲んでいる自分の行動も、ヒバリは理解できなかった。考えたくもなかった。どうせくだらない感傷なのだから。
「そんな甘いもの、よく入るね」
「おいしいですよー俺これ大好きです」
ソフトクリームとメロンソーダはどっちも甘いじゃないかと言えば、だからおいしいですこの組み合わせが絶妙でなどと言われ、ついいたずら心がおきた。
「っあ―――!!!」
大事にとっておいたらしいサクランボを、ヒバリはひょいとつまんで口に入れた。
人工甘味料と着色料の味が口いっぱいに広がる。ぶよぶよとした柔らかい感触は食べ物というより―――
「まずい」
「最後に食べようととっておいたのに………」
ヒバリさんひどい、ぽつりと呟いたツナは再来月で21になる筈だ。とてもそうは見えない童顔に、格好に、表情。
極めつけに好物がクリームソーダなど、今時女でも言わない。
「こんなまずいもの喜んで食うやつの気が知れないよ」
「味じゃないんです!サクランボはクリームソーダの象徴なんですよ!」
今度はクリームソーダにおけるサクランボの役割について力説している。
そんな無駄な事を考えている暇があったら、自分がどういう状況なのか少し考えた方がいい。ヒバリは意地の悪い気分になった。
「出る」
「へ?」

唐突に席を立ち、店を出る。確認しなくても分かる、ツナは慌ててついてくる。
停めてある車に滑り込むと、戸惑ったように立ち止まった。
いつもだ。
彼はここで足を止める。あの時と同じ。遠慮というより本能で恐れているのかもしれない。所詮人間は動物なのだ。
「乗って」
そしてヒバリは自分が、到底大人しい草食動物などではないことを自覚している。
そろりそろりと乗り込む臆病な姿に、7年前のそれが重なる。

まだ思い出さない。

油断しきって、警戒心は別方向へ向いている。殴りたいのでも殺したいのでもないようでいて、実はしたいのかも。最大限に傷つけたいのかもしれない。自分はとても執念深い。
復讐など望むほどに、あの頃の自分が愚かだったという事実を再確認するのは嫌な気分だが。

「ヒバリさん」
沈黙を破ったのは、ツナの方だった。
「あの………もし嫌じゃなかったら、これからも時々会ってくれますか、ね」
ヒバリは黙ってハンドルに片腕を置いたまま、前を見ていた。
「変なお願いしてすみません、実は俺」
「煩い」
締めるように首を掴み、一瞬息をのんだ喉の動きを手のひらで愉しむ。
「このまま殺したっていいんだ」

でも結局、手に力を込める代わりに唇を食んでやる。びくりと手の中で震える。異常な程一瞬で気持ちが高ぶり、残忍な気持ちになる。
爪で頸動脈をなぞると、離した口から息が漏れた。さぞかし怯えているのだろう。

そう思って見た相手の顔色は、暗闇でも分かるほど真っ赤になっていた。


2005.9.20 up


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